志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

歴史

なぜ松永久秀は誤解されていたのか―三悪説話に反駁する

松永久秀は三好政権関係の人脈の中ではダントツの知名度を持つ戦国武将である。久秀のみがメジャー武将と言っても過言ではないほどである。これはやはり戦国時代の超メジャー人・織田信長と関係を構築したため、その関係性がフィーチャーされる機会が多いた…

松浦光(孫八郎)―和泉国の戦国大名

唐突だが、和泉国の戦国時代を説明せよと言われて、すらすらと答えられるだろうか。そもそも和泉国に戦国大名はいたのか、それさえも意識にない人が多いと思われる。そうした中、松浦氏は和泉戦国史の鍵を握る氏族である。ところが、松浦氏の情報は未だ研究…

永禄13年(元亀元年・1570)織田信長が上洛を求めた諸大名勢力について

元亀元年(1570)に行われた織田信長の朝倉義景攻めは信長の人生を語る上で外せないイベントの一つである。と言っても、朝倉攻めそのものが画期と言うよりも、この最中に織田信長の同盟者であった浅井長政が信長より離反し、以降織田信長は長期にわたって、…

松永久秀と若江三人衆の血縁関係

以前から、松永久秀と若江三人衆の血縁関係については触れているが、そろそろ「なぜそうなのか?」と思われる方もいるかもしれず、考えをまとめてみることにした。 まず、前提として松永久秀と若江三人衆のプロフィールをまとめておく。若江三人衆については…

中西裕樹『戦国摂津の下克上 高山右近と中川清秀』(中世武士選書・戎光祥出版)の感想

知ってると思ってるけどよく考えたら意外と知らない、そんな人物や出来事を研究者が斬る!ことでお馴染みの戎光祥出版さんの中世武士選書シリーズ。最新刊は何と中西裕樹先生が描く、摂津の戦国時代。これは高槻市民としては読まざるを得まい…といった趣きが…

『今村家文書』376「年未詳七月 松謙斎新介(松山重治)書状(折紙)」小考

『今村家文書』に松山重治の新出書状があるというのは認知していたが、確認するのが遅くなってしまった。ただ、正直何を言っているのかよくわからないところがあり、それでいてこれは結構面白いのではないかとも思ったので全文と試訳を掲載して諸賢の教示を…

三好右衛門大夫政勝と三好下野守政生は同一人物か?

三好政長(宗三)の息子・政勝と三好三人衆の一人・三好宗渭が同一人物であることは今やWikipediaにすら載っている。この事実が指摘されたのは平成22年(2010)と9年前にすぎない(『戦国期三好政権の研究』補論二「三好一族の人名比定について」)*1が、す…

『戦国遺文 佐々木六角氏編』八〇一・本文と現代語訳~長文で激怒する六角承禎

先日から村井祐樹『六角定頼:武門の棟梁、天下を平定す (ミネルヴァ日本評伝選)』を読んでいるわけなのですが、この本は史料の引用と現代語訳が多く、六角氏に関する歴史の流れはとてもわかりやすいものになっています。その中には、永禄3年(1560)の「六角…

村井祐樹『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』(ミネルヴァ書房)の感想

発売されるとわかった時から話題騒然だった本です。何せ、六角氏は室町時代・戦国時代に侮れない勢力を誇りながら、この手の比較的一般向けの評伝を欠いていたからですね。タイトルは六角定頼ですが、実際には章を割いて、前2代の高頼・氏綱、後2代の義賢・…

三好康長の息子・徳太郎の動向と三好式部少輔との関係小考

三好徳太郎は三好康長の息子とされる人物である。『細川両家記』の元亀元年野田・福島の戦いの三好勢の記述にも「三好山城入道笑岩斎。同息徳太郎」が見える。『両家記』は元亀4年(1573)に成立したとされるため、この記述の信憑性は高い。また、康長の文書…

三好長慶の動員兵数はどれくらいなのか?

昨年三好長逸の記事を完成させた後、Twitterで「三好長逸」の話題を探っていたら、偶然あるやり取りに出くわした。どうも最近ある本が出版されたところ、その著書には三好長慶の動員兵数は数千人程度であるという記述があり、読者と筆者がその件について話し…

4人の足利義氏―貴種足利氏が持つ権威と反権威

「何と!足利義氏は4人いた!」 「なななな何だってーーー!!!!」 となる人は多くないと思う。一般人なら「そもそも足利義氏って誰だよ」と一蹴されてしまいそうである。本質的には知識マウント以外の何物でもない記事だが、「4人もいたのか、知らない○人…

松山重治―境界の調停と軍事

松山重治とは一体何者なのか?松山重治なんて初めて聞いたという人にも、三好氏を齧っていて名前を知っている人にとってもこの問題は深淵なものを孕む。三好氏家臣の中での出世頭と言えば松永久秀である。近年では三好長慶の家臣団編成の特異性が指摘されて…

豊臣秀長の評価の推移とこれから

豊臣秀長は豊臣秀吉の弟である。何でもないような事実であるが、秀長の存在はあまり意識されることがない。兄である秀吉が最下層から天下人に立身出世した話は江戸時代初期から創作の題材としてメジャーであるのに対して弟の秀長の影は頗る薄く、兄の物語の…

荒木村重って元亀3年(1572)に何してたの?

最初に言っておきますが、この記事は疑問を噴出するだけのもので、記事タイトルの回答要素はありません。荒木村重研究会、何とかしてくれー!ってやつです。 荒木村重はまあまあ有名な戦国武将なのではないかと思います。通説だと織田信長に取り立てられて摂…

「1565年6月19日付フロイス書簡」に見る永禄の変

さて、先ごろ『フロイス日本史』に見る永禄の変への道 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』という記事を製作し、永禄の変への経過について何があったのか、考察を加えた(この記事の前提ともなるので、是非ともお読みいただきたい)。その時は『フロイス…

なぜ織田信長は三好康長(康慶)を重用し続けたのか?

三好康長はどちらかと言えばマイナーな三好一族の中ではそこそこ名前が知られている武将ではないかと思われる。なぜなら、康長は織田信長の重臣となっており、近年は本能寺の変の原因として四国説がクローズアップされる中、四国説のキーマンとなる人物だか…

足利義輝側近・一色藤長と三好氏

去年『戦国遺文 三好氏編』の補遺ページをざっと見ていたら、ある書状が目に入ってきた。固より古文書など読めるわけがないが、「石力」「入魂」「(一色藤長)」などの文字が見え、どうやら石成友通と一色藤長が親しい関係にあるらしいことは何とか読み取れ…

三好政長(三好宗三)―細川晴元権力の体現者

戦国時代、三好長慶は細川晴元や将軍足利義輝と戦い三好政権を樹立した。長慶は三好之長以来、受領名「筑前守」を名乗る三好氏の嫡流であった。一方で三好氏には多数の支流があり、長慶という「主流」にある時には従い、ある時には対立して生き残りを図った…

『フロイス日本史』に見る永禄の変への道

永禄の変とは永禄8年(1565)5月19日、室町幕府将軍足利義輝が三好義継、松永久通、三好長逸らの襲撃を受け殺害された事件である。戦国時代の足利将軍は影が薄い存在のようにも捉えられがちだが、この事件は織田信長上洛のきっかけとなっただけに知名度も高…

三好孫九郎生勝の役割についての雑考

戦国時代、畿内と四国を跨ぐ勢力を築いた三好政権の主宰者の地位は「三好本宗家」によって継承された(と言っても二代だけだが)。しかし、天正元年(1573)11月16日「三好本宗家」の当主・三好義継が織田信長の部将・佐久間信盛に攻められ死去したことで「…

元亀の争乱における細川昭元(細川信良)―織田信長に天下を取らせた男

何となくリアルっぽさがある人気戦国歴史漫画『センゴク』を読んでいて思わず吹き出したシーンがある。『センゴク』第一部第五巻(だったか…)には比叡山で織田信長包囲網を代表する大名たちが参会する、漫画らしさ重視の場面がある。ここに現れたのは朝倉義…

三好長逸―中央政権の矜持を抱き続けた「三人衆」の構想者

三好長逸は『日本人名大辞典』によれば、以下のような説明がなされている。 三好長逸 みよし-ながゆき ?-? 戦国時代の武将。 三好之長(ゆきなが)の孫。三好三人衆のひとり。松永久秀と協力し,宗家の三好義継(よしつぐ)を後見した。のち久秀・義継の同盟軍と…

細川氏綱の実名について―「氏綱」って何やねん論

不肖ながら私が細川氏綱という人物について詳しく調べ出したのはここ数か月の話にすぎない。が、この人物の名前は10年以上前から知っている。中学の頃歴史手帳を買っていたことがあり、それには付録として室町幕府歴代執事・管領表が付属していたからだ。歴…

三好義継はなぜ自ら死を選んだのか―「天下人」継承者たちの戦い

天正元年(1573)は濃尾の大名織田信長がそれまで共に室町幕府を運営してきた将軍足利義昭を追放し、織田政権を樹立した年である。また、この年には信長がそれまで戦ってきた有力大名の死が相次いだ。4月には甲斐の武田信玄が死に、8月には越前の朝倉義景、…

徳川氏の実名に見る「秀吉」の有無

豊臣政権下において元服した徳川家康の息子は四人いる。次男秀康、三男秀忠、四男忠吉、五男信吉である。家康の長男信康は天正7年(1579)に切腹に追い込まれ、六男忠輝が元服したのは慶長7年(1602)、家康が将軍となる前年である。さて、これら豊臣政権下…

豊臣秀頼は豊臣秀吉の実子ではない?―論争の意義

はじめに 豊臣秀吉は戦国時代の日本列島を統一し、江戸幕府に繋がる統一政権を作り上げた人物である。しかし、豊臣政権は秀吉の死後、豊臣政権の宿老であった徳川家康によって政権を奪われ、江戸幕府にアップグレードされた。秀吉の遺児で名目的には豊臣政権…