志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

歴史

黒嶋敏『天下人と二人の将軍:信長と足利義輝・義昭』(平凡社)の感想

ここ10年ほど畿内戦国史を彩る風景はだいぶ様変わりしている。信長上洛以前の権力(室町幕府・細川京兆家・六角氏・畠山氏・三好氏)の実態解明が進んだことで織田信長の上洛、あるいは織田政権の成立を画期と見なす時代観は大きく動揺し、再考を迫られてい…

柴裕之編著『図説 豊臣秀吉』(戎光祥出版)のススメ

小学生以来歴史とは長い付き合いになる。私の位置としては一介の歴史ファンの域を出ていない。しかし、それなりに最新研究も能動的に摂取していると、どうしても知識としてはディープなものになる。「初心者」ではないわけである。一方、歴史というジャンル…

高槻市しろあと歴史館・トピック展示「戦国武将・松永久秀と高槻」を見に行って来た!

「たかつきDAYS(広報たかつき)」(http://www.city.takatsuki.osaka.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/11/koho200301all.pdf)を読んでいたら、突然見たことがない松永久秀の肖像画が飛び込んできたのもだいぶ昔な気がする(ついろぐで見てみたら2月…

石成友通(長信・岩成友通)―近世への「手負せ」の中で

いきなり個人的な昔話を語って申し訳ないが、私が「三好三人衆」を知ったのは小学4年生の頃であった。学研だったかの教材に三英傑が主人公の歴史漫画が掲載されており、織田信長の上洛戦の時に「松永久秀と三好三人衆が将軍を暗殺した」という下りがあったの…

『興福院所蔵鷹山家文書調査報告書』のススメ

4月上旬頃から『鷹山家文書調査報告書』というのはすごいらしいという噂が聞こえてきた。しかも聞くところによると、充実の内容にして2000円という安価!付属論文も錚々たるメンツが書いている。家にいてもやれることは多くはないし、自粛のお供と思って買っ…

100日後に死ぬ足利義教

もはや一昔前のような気さえしてしまうが、「100日後に死ぬワニ」という1日更新型4コマがわりと流行った。これが秀逸だったのは「100日後に死ぬ○○」にそれなりの汎用性があることで、歴史オタ界隈でも歴史上の人物を○○に入れるのがそれなりにまた流行った(…

馬部隆弘『椿井文書―日本最大級の偽文書』(中公新書)の感想

椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書 (2584))作者:馬部 隆弘発売日: 2020/03/17メディア: 新書 まさか馬部隆弘先生の初の新書が椿井文書になるとは驚きだった。馬部隆弘先生と言えば、畿内戦国史の新進気鋭研究者の一人で、細川氏・畠山氏・三好氏などに…

(年未詳)3月2日牧郷宛池田教正・多羅尾綱知連署状の年次比定について―「御家門様」とは誰か

日本史を素描していくための史料として基礎となるのは、やはり当事者がその時々に遺した文書や手紙、日記ということになる。こうした史料にはリアルタイムの認識が直に反映されていると見られるからである。ところが、こうした史料の「素性」というのはすぐ…

山田康弘『足利義輝・義昭 天下諸侍、御主に候』(ミネルヴァ書房)の感想

『足利義輝・義昭』に何を見出したいと思っていたのか いやあ出ましたね。山田康弘先生による『足利義輝・義昭』!もう発売から2ヶ月経っておいて「出ましたね」も何もないのですが、著者といい題材といいいつ読んでも「出たな!」という重みがある。足利義…

三好宗渭(政勝・政生)with三好為三―生存を賭けた闘争

戦国時代、三好長慶は細川晴元や将軍足利義輝と戦い三好政権を樹立した。長慶は三好之長以来、受領名「筑前守」を名乗る三好氏の嫡流であった。一方で三好氏には多数の支流があり、長慶という「主流」にある時には従い、ある時には対立して生き残りを図った…

『多聞院日記』天正10年6月3日条の「細川殿」とは誰か

『多聞院日記』は興福寺の塔頭多聞院の僧侶が3代、文明10年(1478)から元和4年(1618)まで書き継いだ日記である。140年分全てが現存しているわけではないが、戦国時代から江戸時代初期にかかる「一次史料」として日本史研究では重視されている文献である。…

松浦光が死んだのはいつか

以前の記事(松浦光(孫八郎)―和泉国の戦国大名 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』)では松浦光が亡くなったのを、織田信長が光に進物の返書を宛てた天正3年(1575)12月から、『兼見卿記』に「泉州松浦後室」が出現する天正4年(1576)8月までの間と…

なぜ松永久秀は誤解されていたのか―三悪説話に反駁する

松永久秀は三好政権関係の人脈の中ではダントツの知名度を持つ戦国武将である。久秀のみがメジャー武将と言っても過言ではないほどである。これはやはり戦国時代の超メジャー人・織田信長と関係を構築したため、その関係性がフィーチャーされる機会が多いた…

松浦光(孫八郎)―和泉国の戦国大名

唐突だが、和泉国の戦国時代を説明せよと言われて、すらすらと答えられるだろうか。そもそも和泉国に戦国大名はいたのか、それさえも意識にない人が多いと思われる。そうした中、松浦氏は和泉戦国史の鍵を握る氏族である。ところが、松浦氏の情報は未だ研究…

永禄13年(元亀元年・1570)織田信長が上洛を求めた諸大名勢力について

元亀元年(1570)に行われた織田信長の朝倉義景攻めは信長の人生を語る上で外せないイベントの一つである。と言っても、朝倉攻めそのものが画期と言うよりも、この最中に織田信長の同盟者であった浅井長政が信長より離反し、以降織田信長は長期にわたって、…

松永久秀と若江三人衆の血縁関係

以前から、松永久秀と若江三人衆の血縁関係については触れているが、そろそろ「なぜそうなのか?」と思われる方もいるかもしれず、考えをまとめてみることにした。 まず、前提として松永久秀と若江三人衆のプロフィールをまとめておく。若江三人衆については…

中西裕樹『戦国摂津の下克上 高山右近と中川清秀』(中世武士選書・戎光祥出版)の感想

知ってると思ってるけどよく考えたら意外と知らない、そんな人物や出来事を研究者が斬る!ことでお馴染みの戎光祥出版さんの中世武士選書シリーズ。最新刊は何と中西裕樹先生が描く、摂津の戦国時代。これは高槻市民としては読まざるを得まい…といった趣きが…

『今村家文書』376「年未詳七月 松謙斎新介(松山重治)書状(折紙)」小考

『今村家文書』に松山重治の新出書状があるというのは認知していたが、確認するのが遅くなってしまった。ただ、正直何を言っているのかよくわからないところがあり、それでいてこれは結構面白いのではないかとも思ったので全文と試訳を掲載して諸賢の教示を…

三好右衛門大夫政勝と三好下野守政生は同一人物か?

三好政長(宗三)の息子・政勝と三好三人衆の一人・三好宗渭が同一人物であることは今やWikipediaにすら載っている。この事実が指摘されたのは平成22年(2010)と9年前にすぎない(『戦国期三好政権の研究』補論二「三好一族の人名比定について」)*1が、す…

『戦国遺文 佐々木六角氏編』八〇一・本文と現代語訳~長文で激怒する六角承禎

先日から村井祐樹『六角定頼:武門の棟梁、天下を平定す (ミネルヴァ日本評伝選)』を読んでいるわけなのですが、この本は史料の引用と現代語訳が多く、六角氏に関する歴史の流れはとてもわかりやすいものになっています。その中には、永禄3年(1560)の「六角…

村井祐樹『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』(ミネルヴァ書房)の感想

発売されるとわかった時から話題騒然だった本です。何せ、六角氏は室町時代・戦国時代に侮れない勢力を誇りながら、この手の比較的一般向けの評伝を欠いていたからですね。タイトルは六角定頼ですが、実際には章を割いて、前2代の高頼・氏綱、後2代の義賢・…

三好康長の息子・徳太郎の動向と三好式部少輔との関係小考

三好徳太郎は三好康長の息子とされる人物である。『細川両家記』の元亀元年野田・福島の戦いの三好勢の記述にも「三好山城入道笑岩斎。同息徳太郎」が見える。『両家記』は元亀4年(1573)に成立したとされるため、この記述の信憑性は高い。また、康長の文書…

三好長慶の動員兵数はどれくらいなのか?

昨年三好長逸の記事を完成させた後、Twitterで「三好長逸」の話題を探っていたら、偶然あるやり取りに出くわした。どうも最近ある本が出版されたところ、その著書には三好長慶の動員兵数は数千人程度であるという記述があり、読者と筆者がその件について話し…

4人の足利義氏―貴種足利氏が持つ権威と反権威

「何と!足利義氏は4人いた!」 「なななな何だってーーー!!!!」 となる人は多くないと思う。一般人なら「そもそも足利義氏って誰だよ」と一蹴されてしまいそうである。本質的には知識マウント以外の何物でもない記事だが、「4人もいたのか、知らない○人…

松山重治―境界の調停と軍事

松山重治とは一体何者なのか?松山重治なんて初めて聞いたという人にも、三好氏を齧っていて名前を知っている人にとってもこの問題は深淵なものを孕む。三好氏家臣の中での出世頭と言えば松永久秀である。近年では三好長慶の家臣団編成の特異性が指摘されて…

豊臣秀長の評価の推移とこれから

豊臣秀長は豊臣秀吉の弟である。何でもないような事実であるが、秀長の存在はあまり意識されることがない。兄である秀吉が最下層から天下人に立身出世した話は江戸時代初期から創作の題材としてメジャーであるのに対して弟の秀長の影は頗る薄く、兄の物語の…

荒木村重って元亀3年(1572)に何してたの?

最初に言っておきますが、この記事は疑問を噴出するだけのもので、記事タイトルの回答要素はありません。荒木村重研究会、何とかしてくれー!ってやつです。 荒木村重はまあまあ有名な戦国武将なのではないかと思います。通説だと織田信長に取り立てられて摂…

「1565年6月19日付フロイス書簡」に見る永禄の変

さて、先ごろ『フロイス日本史』に見る永禄の変への道 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』という記事を製作し、永禄の変への経過について何があったのか、考察を加えた(この記事の前提ともなるので、是非ともお読みいただきたい)。その時は『フロイス…

なぜ織田信長は三好康長(康慶)を重用し続けたのか?

三好康長はどちらかと言えばマイナーな三好一族の中ではそこそこ名前が知られている武将ではないかと思われる。なぜなら、康長は織田信長の重臣となっており、近年は本能寺の変の原因として四国説がクローズアップされる中、四国説のキーマンとなる人物だか…

足利義輝側近・一色藤長と三好氏

去年『戦国遺文 三好氏編』の補遺ページをざっと見ていたら、ある書状が目に入ってきた。固より古文書など読めるわけがないが、「石力」「入魂」「(一色藤長)」などの文字が見え、どうやら石成友通と一色藤長が親しい関係にあるらしいことは何とか読み取れ…