志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

三好長慶

三好長慶の動員兵数はどれくらいなのか?

昨年三好長逸の記事を完成させた後、Twitterで「三好長逸」の話題を探っていたら、偶然あるやり取りに出くわした。どうも最近ある本が出版されたところ、その著書には三好長慶の動員兵数は数千人程度であるという記述があり、読者と筆者がその件について話し…

新元号「令和」に思うこと

先立つ平成31年(2019)4月1日、来たる皇太子殿下の御即位に向け、新元号「令和」が発表されました。 いやはや驚きました。 新元号がおめでたく発表されるのは近頃あまりなく…と言うか、平成4年生まれの私からすると改元を体験するのも初めてなわけで、興味…

松山重治―境界の調停と軍事

松山重治とは一体何者なのか?松山重治なんて初めて聞いたという人にも、三好氏を齧っていて名前を知っている人にとってもこの問題は深淵なものを孕む。三好氏家臣の中での出世頭と言えば松永久秀である。近年では三好長慶の家臣団編成の特異性が指摘されて…

足利義輝側近・一色藤長と三好氏

去年『戦国遺文 三好氏編』の補遺ページをざっと見ていたら、ある書状が目に入ってきた。固より古文書など読めるわけがないが、「石力」「入魂」「(一色藤長)」などの文字が見え、どうやら石成友通と一色藤長が親しい関係にあるらしいことは何とか読み取れ…

三好政長(三好宗三)―細川晴元権力の体現者

戦国時代、三好長慶は細川晴元や将軍足利義輝と戦い三好政権を樹立した。長慶は三好之長以来、受領名「筑前守」を名乗る三好氏の嫡流であった。一方で三好氏には多数の支流があり、長慶という「主流」にある時には従い、ある時には対立して生き残りを図った…

三好孫九郎生勝の役割についての雑考

戦国時代、畿内と四国を跨ぐ勢力を築いた三好政権の主宰者の地位は「三好本宗家」によって継承された(と言っても二代だけだが)。しかし、天正元年(1573)11月16日「三好本宗家」の当主・三好義継が織田信長の部将・佐久間信盛に攻められ死去したことで「…

三好長逸―中央政権の矜持を抱き続けた「三人衆」の構想者

三好長逸は『日本人名大辞典』によれば、以下のような説明がなされている。 三好長逸 みよし-ながゆき ?-? 戦国時代の武将。 三好之長(ゆきなが)の孫。三好三人衆のひとり。松永久秀と協力し,宗家の三好義継(よしつぐ)を後見した。のち久秀・義継の同盟軍と…

細川氏綱の実名について―「氏綱」って何やねん論

不肖ながら私が細川氏綱という人物について詳しく調べ出したのはここ数か月の話にすぎない。が、この人物の名前は10年以上前から知っている。中学の頃歴史手帳を買っていたことがあり、それには付録として室町幕府歴代執事・管領表が付属していたからだ。歴…

三好義継はなぜ自ら死を選んだのか―「天下人」継承者たちの戦い

天正元年(1573)は濃尾の大名織田信長がそれまで共に室町幕府を運営してきた将軍足利義昭を追放し、織田政権を樹立した年である。また、この年には信長がそれまで戦ってきた有力大名の死が相次いだ。4月には甲斐の武田信玄が死に、8月には越前の朝倉義景、…