志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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山田康弘『足利将軍たちの戦国乱世』(中公新書)の感想

 近年は畿内戦国史の研究進展が著しく…と毎度言っている気がするが、実際そうなのだから仕方ない。また、日本中世史ブームというのもあり、界隈での狭い話かと思いきや、徐々に世間的な注目も集まってきているようだ。今回発売され、紹介する山田康弘『足利将軍たちの戦国乱世』が新書という形態で出来したのもこの風潮とは無縁ではあるまい。

 ところが、その一方で本書は近年の畿内戦国史の解像度の高まりともまた一線を画す。基本的な構成としては山田康弘氏の論稿「戦国期足利将軍存続の諸要因」(『日本史研究』672号、2018年)で示された枠組みや世界観をベースに『足利義稙』(戎光祥出版、2016年)・『足利義輝・義昭』(ミネルヴァ書房、2019年)で示された事象を再構成していくものとなっている。一方で、最新研究の反映という点はそれほどでもない。巻末の主要参考文献を見ると、山田氏の論稿や著書が多く並ぶ一方で、近年の幕府研究で挙げられているのは、谷口雄太『中世足利氏の血統と権威』(吉川弘文館、2019年)くらいである。他には現代政治学の著書も目立つ。
 本書は近年の研究が明らかにした事実を網羅し羅列していく内容ではないからだ。足利将軍や室町幕府が一般には「力の時代」というイメージも強い戦国時代に、なぜ滅亡しなかったか、存在意義を保っていたのかを明らかにする。しかして、その方法は現代の国際政治を支える力学を戦国期の日本列島にも適用していくというものを採る。それだけに現代に生きる読者にとって、戦国期将軍・幕府の存在意義というものは非常にわかりやすく示されていると言える。
 もっともこれだけでは政治理論に傾いてしまうので、内容としては味気ないものとなってしまう。そこで本書では、実際の史料の一節を引用して、戦国時代当時の認識や足利将軍の肉声や人脈を折に触れて象徴的に提示する。このおかげで、足利義尚・義稙・義澄・義晴・義輝・義昭らの人格が具体的に想起される。理論的な将軍・幕府の存在意義の展開という枠組みと、生身の将軍の人格への肉付けを上手に両立していてとても読みやすく、一般層にも勧められる内容を持っている。

 こうした構成は本書の強さと見て良かろう。個人的には、一部の事実については多少の強引さを感じる部分もある*1が、最新研究を取り込むことは同時に数年後にはその記述が古くなっており通用しないという側面と表裏の関係にある。具体的な事実が判明していくのも重要だが、研究進展が著しい限り、すぐに鮮度は落ちてしまう。本書が示すのはあくまで見取り図なので、重大な事実との背反が今後判明しても通用する汎時代的なものを提示できているのである。
 一方でそれでもやや不足な側面もある。確たる見取り図が示されてしまうと、今度は見取り図そのものが実は100年の中で変質していたのではないかという面は強調されなくなる。室町幕府はなぜ存続できたのか?という問いは、なぜそれでも滅亡したのか?という問いとセットにあり、本書でも滅亡の原因については「力・利益・価値」の消失によって説明されている。しかし、その事情は幕府に代わる政権を樹立した豊臣秀吉とその臣に下った足利義昭両者の関係や個性のみに収斂されてしまう。よって、それ以前の織田信長三好長慶足利義輝ら、あるいは細川高国足利義稙の段階で、「力・利益・価値」の諸要因に変質があったのではないかという問題はついに言及されることはない。本書においては「世論・規範の縛り」はあくまで解明途上に位置付けられるが、もう少し踏み込めたのではないか*2
 不足と感じる面もあるが、それでも戦国期幕府の日本列島における見取り図を示すという目的は十分に達成されていると考える。近年の事実を明らかにしていく研究の進展ぶりに一石を投じ、それだけで良いのかという問題提起にもなっているのも啓発的であろう。足利将軍の存続、そして滅亡の諸要因を考察していくために読み継がれる一書になるだろう。

*1:例えば、山田氏は『足利義輝・義昭』以来弘治年間に足利義輝本願寺を自身の与党に引き入れ、東西からの三好氏挟撃を企図したことを永禄元年の挙兵の要因に見ている。しかしながら本願寺は永禄元年に何ら三好氏を圧迫する動きを見せておらず、そもそも本書の中でもほかならぬ山田氏本人が享禄・天文の一向一揆以来本願寺武家の争いから距離を置いていたとする。さすれば、本願寺が義輝に友好関係を示したことまでは確かであっても、それが三好氏に軍事的・精神的圧迫を加えるものであったかはさらなる検討を要する

*2:この点、「足利・近衛体制」に否定的な評価が下されるように、朝廷・幕府関係への言及が少ないことも気になっている