志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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堺市博物館・特別展「堺と武将 三好一族の足跡」

 今年は三好長慶生誕500周年!それに合わせてこの秋も色々と企画が目白押しでしたが、博物館展示として現状のトリを飾ることになったのが堺市博物館・特別展「堺と武将 三好一族の足跡」!10月29日から12月11日までの開催となっております。
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monsterspace.hateblo.jp
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 観覧料は一般500円、図録は2210円となっております。高槻市大東市と比べると割高な気もしますが、これは高槻や大東が太っ腹だっただけであって、本来はこちらが適正料金、ということでしょう。だから、高槻市の展示図録500円なんてお金を使っているうちに入らないですよね?実質タダで買えるようなもんなのでお買い得でしょう。

 さて先ほどもちょっと述べましたが、三好氏関係の博物館展示も高槻、大東と来ていよいよ堺へということになりました。中世の堺といえば堺だけでトピックになる…そこに三好がどう絡んでいって何を見せられるのか。芥川城や飯盛城といった三好氏の本拠地を抱えていたわけではないからこその視点に期待していました。
 そういった点で注目されるのはやはり三好以前、三好以外の大名家の資料の存在でしょう。「和田家文書」や「開口神社文書」が駆使されることで、細川京兆家、和泉守護家、畠山氏などの室町中期からの文書が展示されています。こういった資料は三好目当てだとやや面食らうかもしれませんが、堺本位に見れば武家や三好氏との関係は一側面に過ぎないとも言えるわけで、交流や交錯といった面が見えます。
 そういったところで個人的に面白かったのが洛中洛外図(歴博甲本)の模本も展示されているということです。この歴博甲本も成立には諸説ありますが、描かれている京都は細川高国政権の時代というのは認められています。なので、細川高国、稙国、尹賢、氏綱、畠山稙長などの高国政権要人と推定される人物も描かれているのですよね。彼らの図像は、そもそも図像がない人もいて今回出品されていないのですが、氏綱や稙長は書状は出品されているので、単純に邸宅だけではなくて、その中にいる人物をもっとアピールしても良かったかもしれません。
 それとも関わるのですが、文書というのは一般人は崩し字は読めないしビジュアルイメージにも乏しいものですが、今回は書状に登場する人物を肖像画をモデルにキャラクター化して何が書いてあるのか語らせるという解説手法を取っていたところもありました(そういったところで地味に登場が多い寺町通昭が今回の名脇役でしょうね)。人物をキャラクター化して印象付ける手法は今年の六角氏の展示でもあった効果的な手法でしょうが、図像がないとのっぺらぼうになってしまってアピールが薄れてしまうので、氏綱や稙長も歴博甲本からビジュアルを取ってくるのも1つの方法であったかとも思います。
 以下は、個人的注目資料について。

 淡路の方向から見た大阪湾の都市や風景を描いた屏風です。描かれた年代は江戸時代前期なので、当然描かれているのもその頃の風景で戦国時代とは時代が若干ずれていますが、三好氏は大阪湾をどう認識し、見ていたかという点を追体験するものとしては「その手があったか」と唸る展示でした。

  • 斎藤基速像

 斎藤基速に肖像画なんてあったのかと思われそうですが、図像自体は東京大学史料編纂所に模本があり、肖像画模本データベースで検索すれば誰でも容貌は確認できます。そのため今回の出品もそこまで価値を感じていなかったというか、そりゃ基速さんの肖像画が出品対象になるのは画期かもしれないけれども、存在自体はわかっていたじゃんと感じていました。ところが、出品されているのは史料編纂所の模本ではなく、頂妙寺所蔵の原本じゃないですか!原本が見られるのは恐らく初だったので、無茶苦茶興奮しました!原本だと左の頬の上に黒点があるのが模本との違いですかね。損傷なのか黒子なのかはわかりませんでしたが…。

 『冬康連歌集』自体は『群書類従』に翻刻されていて内容は知られていたものです。翻刻にも「冬康(花押)」とあり、それならこれは数少ない冬康花押が残っているのでは?と気になっていたのですが、本文・奥書・署名・花押の線と筆致がずっと同じなので、これは全編自筆本!戦国武将でも自筆だと確定できる文書が残っているのはかなり少ないのに、冬康の筆遣いを感じられるものを実見できるとは…。感激の一語でした。展示資料としても堺を詠んだ歌が収められているので的を射ていますよね。

 展示のいいところは文字だけの文書を資料として確認できるところで、高槻での六角承禎書状などはその最たるものでした。足利義維の発給文書は現在3通しかありませんが、今回出品されたものは顕本寺での忠節を褒めるよう本能寺に伝えるもの。近年は三好元長殺害との関わりが注目されていますね。この文書がまた小さい!流石に六角承禎書状ほどではありませんが、御内書にはもっと大きいイメージがあったのでA4サイズくらいだったのは驚きでした。やはり義維は行動が制限されていたので大きな文書は出せなかったのでしょうかね。

 私は何回か言っていますが、「葉間文書」に現れるいわゆる「寺町通以」と寺町通昭は同一人物だと考えています。今回の展示でも通昭は「寺町左衛門大夫」であった、「三人衆」の1人でもあったとかなり真に迫っていますが、断定には至っていないようです。鍵となるのはその花押。高槻の図録には「寺町通以」の花押が、そして今回の堺では通昭の花押が見られます。じっくりと見比べて同一の花押と判断できるのか、御報告をお待ちしています(誰のだ)。

 この文書は『戦国遺文 三好氏編』には収録されていない文書です(新出?)。永禄4年の足利義輝の三好邸御成にあたってのものなので、長慶の伊勢貞孝への書札礼などが窺えてここで一見しておく価値はあります。

  • 図録

 図録は税込2210円で、高槻や大東と比べると高いですよね。でもこれ高くないんですよ。90点もの展示資料が網羅されているというのもありますが、最大のセールスポイントは天野忠幸「三好長慶足利義維・義栄親子」。何と何と…三好長慶足利義栄御内書が新出文書として紹介されているんです!かつてそれまで不明であった足利義維や義栄の御内書が見出され、花押が確定できたことで、従来「某書状」としか分類できていなかった既存資料から新たに阿波公方の文書を発見できるのではないかという展望が幕府研究者によって語られていましたが、その後音沙汰が絶え、そう簡単には出て来ないものなのだろうとやや諦観していた中でした。まさか本当に発見できるとは…。しかも義栄の活動は永禄の変後に始まると思われていたのに、長慶に上洛を打診していたのも驚きです。また、内容から三好実休が上洛に協力的だったのも明らかになったので、馬部隆弘氏の「阿波には阿波公方を推す勢力が残存していた」という説も裏付けを得たことになります(個人的には馬部説には懐疑的だったのですが裏付けとなる文書が出てきたので考えを改めないといけませんね)。もう一石を投じるどころか漬物石が投げ込まれたくらいの事態です。長慶が将軍や幕府をどう捉え、どうしようとしていたのか、今後の省察が深まっていくことでしょう。これだけの成果に2210円は無茶苦茶安いですよ!是非皆さん、義栄の御内書を見ていってくださいね。

まとめ

 高槻では三好氏の勢力の広がり、大東では北河内に関わる三好氏と、三好氏にフォーカスして三好氏を中心に周縁に他の勢力も存在するという見せ方になっていて、三好氏の本拠があったからこその三好氏アピールを実践できていたと思います。それが堺では本題が「堺と武将」のように様々な勢力が交錯する中で三好が現れ、そして消えていく、そういった流れを感じられるようになっていたのが堺ならではでしょう。思えば三者三様この趣を三好氏で感じられるのは何と贅沢なことでしょうか。一大ムーブですよ。改めて、本当にすごかった!
 一方で三展示ともに大阪府下ということもあり、三好氏の勢力圏でいうと丹波、大和、讃岐あたりは損をした面があったかもしれません。また、十河一存は今回の堺でこそやっと発給文書が展示されましたが、花押を欠いたもので三好4兄弟の中での影の薄さは拭えません。十河氏や讃岐は今後、個人的なものも含めて課題かもしれませんが、丹波・大和の影の薄さは逆に松永兄弟をアピールしなくとも三好氏で展示と客引きが成り立ってきていることを示しているようで、ここは力強い面もありますね(でもそのうち松永兄弟で展示やってもいいのよ?)。
 三好長慶生誕500周年だけあって、三好氏が世間的にも(?)一本立ちできることを大きく示した今秋でした。高槻は11月20日まで、大東と堺は12月11日までやっておりますので、まだ来ていない人はどうぞ三好を御贔屓に。