志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

徳島城博物館・特別展「阿波戦国絵巻―細川・三好・長宗我部・蜂須賀―」

 三好長慶生誕500周年であった令和4年も終わり催し物も一段落、と思ったところで大ネタが飛び込んでまいりました!徳島城博物館の特別展「阿波戦国絵巻―細川・三好・長宗我部・蜂須賀―」でございます。思えば、長慶生誕500周年の去年に色々あったのは全て大阪府下の博物館展示であり、四国サイドの動きは乏しかった。1年遅れではあるが、否、1年遅れだからこそより充実した催しがなされたことはとても喜ばしい。

www.city.tokushima.tokushima.jp

 会期は10月14日~11月26日。入館料は一般500円、学生400円、図録は1020円(郵送あり)なのでなかなかリーズナブルなお値段です。


 徳島というと海を渡る橋を2つ超える必要があるものの大阪からは高速バスを使えば片道2時間半~3時間ほど。日帰りで旅を楽しめる距離だ。というわけで3連休にかこつけてサクッと行って参りました。お墓が香川県の引田にあるので、徳島は馴染み深い土地で、徳島城を散策したことも結構あるものの、徳島城博物館の存在は実はこれまで意識したことがなかった。
 徳島駅から徳島城へ行ったことはなかったが、駅から南方面へ線路沿いに進むと、線路を跨ぐ歩道橋があり、そこを渡るともうそこは徳島城で、立派な御殿のような建物が博物館だった。食堂とお土産屋を兼ねた昔ながらの店が2軒並んでいて博物館まではちょっと広めの公園のような空間だ。気持ちの良い秋晴れであったこともあって、女子学生や家族連れがピクニックのようなことをしていて、まさしく古き良き観光地といった塩梅。

 早速博物館へ入場。今回の特別展は特別展用のスペースが隔離されてあるわけではなく、特別展のスペースと常設展の一部とが交じり合う感じで、順路通りに見て行くと特別展だけ見られるわけではなかったが、常設部分は船や城の再現模型や太鼓など目を引く資料が多く、ビジュアルとして相互補完していた趣があった。

 さて、展示内容としては副題が「細川・三好・長宗我部・蜂須賀」とあるように阿波を中心に据えるからこその権力交代が鮮やかなバラエティ感!それを貴重な史料の多さが彩る構成。いやあ量・質ともに贅沢の一語に尽きる。三好実休肖像画や安宅神太郎の家臣と思しい慶虎・景勝連署状などは純粋に新出史料であるし、先年話題になった「玉林院文書」や「由佐家文書」、「三原城壁文書」などはなかなか博物館展示に出て来なかったものなので実際に見られるのは貴重な機会だ。

 以下、出品資料についての感想。

  • 三好之長木像

 三好氏で木像のような立体物が残されているのは珍しい。この之長はそれほど大きくもなく、肖像画の忠実フィギュア化といった趣でどっちかというと可愛い。

 ポスターに現れた新出の肖像画。三好一族の図像で鎧まで描かれているのは貴重だが、原本はあくまで養源院の既存の肖像画(模本が伝わる)で、それを江戸中期にアレンジしたらしく、鎧部分の同時代的信憑性が薄そうなのは残念。しかし、実休は肖像画の種類本当に多いな。兄弟や息子たちにもビジュアル面を分けてやってくれんか…。
 気付けば、実休はもう完全に実休で、かつては「義賢」とされてきたがのような解説文ももはや目立たず、研究の進歩と周知を感じた。

  • 「玉林院文書」

 細川讃州家の菩提寺・讃州寺に伝わった文書。最近これに含まれる「氏之」判物の花押が、「細川持隆」が発給したとされてきた禁制の花押と一致することから「細川持隆」が実は細川氏之だと明らかになった。その成果がもう開陳されるのだから偉大だ。なお、現物は巻物で氏之判物と実休禁制のちょうど間に遊佐長教禁制が挟まっているため、長教は主従のおこぼれに預かった格好となる。

 安宅神太郎の史料なんて早々は出て来ないだろうと思っていたら、出てきてたまげた。文書中に「安宅神太郎」が出てくるので、発給者2人は安宅家臣と見て間違いなさそう(根拠のない推測になるが、庄慶虎と梶原景勝かなあ)。神太郎さんサイドが義昭に忠節を誓い、毛利と協力して四国に攻めようぜと言っている重要な文書で、これからの活用に期待したい。

  • 「由佐家文書」

 「御屋形様は援軍くれるって言ったじゃん!このままじゃ備中は毛利の手に落ちるぞ!」という悲壮感で知られる三村元親書状を収めるが…書状自体は小さい中にびっしりと書き込まれている。三村元親はよく追い詰められた中で讃岐の由佐氏に音信できたものだなと思っていたが、書状の小ささからは運搬に気を使っていたこと、びっしり長文からは焦りと怒りが同時に感じられる。元親はこの後本当に玉砕してしまうので御愁傷様としか言いようがないが…。

  • 「浜文書」

 日和佐氏に連続で出された香宗我部親泰起請文・長宗我部元親起請文は不審があると聞いたことがあるが、前者は普通の紙に、後者は牛王宝印の料紙の表に認めていて確かに起請文としてはあまり見ない。2年続けて起請文を出していてしかも発給者の格が上がっているのは通常なら丁寧な対応のはずだが、こうなると逆に起請文を出しつつも、「あの起請文は通常の起請文じゃないので約束破ってもセーフ!」みたいな理論を感じないでもなかった。

 本能寺の変に関する内容を含む文書があったことで発見がニュースになった文書。実際の所、石谷家の京都の知行に関する三好方発給文書も大量に収録されていて美味しいのだが、今回の展示は本能寺の変絡みのもの。これまた文書が小さい中に超びっしり!写真では何となくもっと大きい気がしていたので、この小ささは意外だった。特に近衛前久のような偉ーい人はデカい紙を贅沢にデカい文字で使い、花押も大きく据えるイメージだったので、ちっさい紙にびっしりと書いて端の方に小さく花押を据えていたのは衝撃的と言える(尚々書も本文の最後まで書いてるので文字の密度は実に高い)。

  • 某胤長書状

 天正8年に秀吉と連絡している謎の阿波の武将「胤長」。天野忠幸氏は「胤」を実名に含む塩田氏か市原氏かとするが、実際の所何か素性の根拠があるわけではなく、花押から何かわからないかと思ったが…未知の花押なので何もわかりませんね…。それよりこの史料は初見で展示ケースを見ても「えっ?どれ?」という印象でした。典拠である『古判手鑑』は文書から有名人の署名と花押を切り取ってきて貼り付けたものなので、ぱっと見断簡だけがびっしりなのである。某胤長書状はたまたま書状全部貼り付けられたため全部残ったパターンとなる(なお、同じページでは野間長久に知行を宛行う三好長慶書状もまるまる貼り付けてあるので、長慶・野間氏ファンは要注目!)。そういうわけで、三好一族の花押が集まっているのを見るのも楽しいという、単なる某胤長書状だけに留まらない感想がある。もっとも花押とともに切り取られた日付や宛所を見ると、三好義興や三好宗三の花押は未知の文書から切り取られており、何で書状まるまる貼り付けてくれなかったのかと…グズグズ。

 本展示は蜂須賀氏の入国を以て時系列的ゴールになる。よって最後には蜂須賀家政の文書が並ぶ(「丈六寺文書」は展示の都合上、目録にも図録にもない寺沢広政書状がまるまる見られる)わけだが、家政の花押、単純すぎませんか?花押って一応その人しか書けない本人証明のはずなのだが、家政の花押は楕円に上棒とちょんという点を付けて終わりなので、筆文字なんて書いたことない現代人でも簡単に偽造できそうだ。トップの花押がこれでいいものだろうか…。

 「阿波戦国絵巻」と言いながら、文書あり肖像画あり木像あり甲冑あり遺物あり、権力的にも足利や毛利、遊佐・安宅といった各所の勢力や有名人としての千利休も顔を出して、取っ掛かりが多く飽きさせない。前年の3博物館の三好関連の展示の欠を補いつつ集大成感があふれていてすごく…すごいです!なかなか見られない史料が多いので、関西圏・山陽地方の皆さんは是非とも見に来るのが良いかと思います。徳島にはそんな観光地があるわけでもないですが、人は多すぎず少なすぎずたまにはまったりとした雰囲気で旅行を楽しむのも良いのではないでしょうか。