今年は三好長慶生誕500周年!しかしまあ三好氏ってまだまだマイナーな存在だし、生誕500周年だからと言って何かあるものでも…と思っていたら、秋から各所で三好氏にまつわる博物館展示や講演イベントが目白押し!まだまだ世間ではマイナーどころか、こんなにも仕掛けられるなんて三好氏の一大ムーブ来てるじゃないか…と思わされる羽目になりました。いや…本当にすごいな…。
その嚆矢を飾るのが、我らが高槻市しろあと歴史館の特別展「戦国武将 三好長慶―生涯と人々―」!9月23日~11月20日の開催となっております。
www.city.takatsuki.osaka.jp
地元民なので早速初日から行ってまいりました。一般200円で図録も500円なので無茶苦茶お得です。
展示タイトルはものすごくシンプルですが、無味乾燥なものにはならないよう、そして何よりも地域的な広がりを感じさせる内容になっているように見受けられました。三好長慶、そして三好氏という氏族はその勢力にも関わらず、後世にあまり物語化されていないので、どうしても鮮烈なビジュアルイメージに欠け、近年の再評価を反映しようとしても古文書ばかりの展示では味気なくなってしまいます。今回の展示では数少ないとはいえ、図像を駆使してあまり知られていない人物にも具体的なイメージを持たせようとしていますね。
そして地域的な広がり。やっている場所が高槻なので、いつもの感もある水論裁許状や「葉間文書」「安岡寺文書」からの出品も多数あり、過去の展示内容も図録でフォローできていいこと尽くめですが、長慶の故郷の阿波だけではなく播磨からも出品があるのが目を引きます。長慶や冬康の禁制も私としてはたぶん初めて現物が見られて昂りましたが、藤田幸綱や藤田忠正の書状まであるのは「正気か!」レベルでした。一応説明しておきますが、藤田忠正は松山重治の与力のようで、永禄元年の三好対義輝の戦争を松山重治の活躍込みで播磨の清水寺に伝えているんですよね。藤田氏自体はどマイナー国人かと思いますが、三好氏の勢力が兵庫県の方まで広がっていたことをアピールする資料としてはうってつけではあります。以上のように「高槻に関わる三好長慶」だけではなく「近畿・四国を広く支配する三好長慶」が浮かび上がる内容がかなり意識されています。これはもう見た人が長慶を「天下人」だと思ってくれるのではないでしょうか。
ここからは気になる個別の資料をば。
まずは三好之長像。三好之長像といえば見性寺所蔵のものが知られていますが、今回出品されているのは知恩寺養源院原蔵の肖像画の模本となります。見性寺の之長像は顔の部分が若干見にくくなっていますが、どちらかと言えば豊頬の精悍なイメージさえあるのに対して、今回のものは頬がこけ体もやや小柄で年老いた風貌となっています。ただ、風貌としては共通していて、見性寺の画像に20歳加算すればこの顔になるのではないかといった感じです。これの原本は之長処刑直後に製作されたらしいので、60代の敗軍の将というイメージがそのまま出ているのかもしれません。
なお、養源院原蔵の三好氏の肖像画の模本は今は京都大学総合博物館所蔵です。模本しか出て来ないのも変だなと思っていたのですが、養源院の肖像画が江戸時代後期に模写され、現在は模写されたものが京都大学総合博物館に伝来しているようです。他には三好長光像、三好実休像、三好義興像も養源院原蔵の模写が今に伝わっているものです。三好氏にまつわりその保護を受けた寺院といえば、元長が自害した顕本寺が有名ですが、実休や義興の肖像画も収まっていたことからすると、知恩寺も之長・長光最期の地として三好氏と一定の関係があったと思しいですね。
また、養源院の肖像画を模写した時の記録によると、養源院には三好氏の肖像画が5幅に木像もあったようです。5幅…?今ある模本は之長、長光、実休、義興だから1人足りなくないか?残り1人は一体誰なんだ…(候補としては芥川長則、元長、長慶あたりでしょうか)。何体あったのかには触れられていないけれど、木像の所在も気になる…。今はどれも知恩寺に残っていないのかしらん。いずれも三好氏のビジュアルイメージにめっちゃ関わるはずですが…。
三好長慶像といえば聚光院所蔵のものがよく知られていますが、今回は江戸時代に製作されたその模本も原本とともに展示されていました。長慶の肖像画が増えたよ、やったね!というにはほとんど同じなのですが、ちょっとだけ表情が違うのと、衣服のブルーが濃いので印象は若干違うか…。何にせよ、新しい肖像画はどんどん出てきてほしいですね。
文書で言うと、実見して驚いたのは六角承禎書状。
- 六角承禎書状 八尾市立歴史民俗資料館所蔵文書
先度以井内大炊助条々蒙仰候間、存分申入候き、雖然差越春蔵主、以一書此方様体具申事候、猶遊佐新二郎可被申候、恐惶謹言、
五月九日 沙弥承禎(花押)
謹上 尾張守殿
これまであまり触れられたことのない文書で、内容も具体性に乏しいのですが、六角承禎が自身より書札礼上格上の「尾張守」、すなわち畠山高政に対し連携している文書です。5月9日という日付から久米田の戦い~教興寺の戦いにあたる永禄5年に年次が比定されています。そうなると、元服後の遊佐信教の年次が明確な初見文書になったりして興味深いです。それはともかく、文字だけで見ていた頃は気付きようのないこととして、この文書無茶苦茶小さいです。通常の文書はA3くらいのサイズ感なのに、この文書はA4より小さいです。紙が縮むわけはないし、内容も紙も偽作には見えないのにこの小ささは…。解説では密書の可能性も指摘されていて、もしもそうなのなら六角・畠山間の文書が残っていないのは三好方による取り締まりが厳しかったからなのかもしれません。そういった可能性が広がっていくので実際の文書を展示してくれるのは大事ですねえ。
そういったわけで他にも垂涎の内容なのですが、その一方でややマニアックすぎるという点を感じないでもありません。松永久秀は知られている前提でいいとしても、金山信貞や松山重治、鳥養といった人たちはワン・オブ三好家臣以上の情報量もなく、私はなぜか知っていますけれども、ライトな層にはイメージを持たせられないのではないかと。特に金山や松山は複数の典拠が異なる出品で現れているので、工夫すれば最低限の人物イメージに誘導できたのではと思います。
また、長慶の家族として之長、元長、実休、冬康、義興、義継は抑えている一方で十河一存だけ関連資料の出品が皆無です。一存は讃岐国人を継いでいるのですが、発給文書が讃岐には全く残っておらず、残存文書は摂津や山城に多いので、地域的な広がりという側面からフォローしにくかったとは思いますが、ピンポイントで一存だけいないのは何だか寂しいですね(よく考えたら一存って図像の類とかもないのか!?冬康はあるのに…)。
そういった不満もありますが、しろあと歴史館の限られた展示スペースの中でぎっちり詰め込んでくれたのは間違いありません。繰り返しますが、これが200円!図録含めても700円ですよ?無茶苦茶リーズナブルです!三好に興味ある人は絶対見に来いと自信を持って言える内容なので、悪いこと言わないので近畿圏在住の人は11月20日までに見に来ましょう。