志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

天野忠幸編『戦国武将列伝7 畿内編【上】』(戎光祥出版)感想

 戦国史研究。戦国時代は日本の歴史上人気が高い時代の一つだ。摂関藤原氏や執権北条氏を誰一人知らないような者でも、戦国武将を一人も知らないのはまずあり得ないと言っていいほど、現代に生きている者にとって戦国時代のコンテンツは日常にある。中世から近世への移行期という時代は、直近の幕末・維新期ほどの生々しさもなく、変動期に生きた群雄の多様な生き様がどこかしら現代人に訴えかけるからだろう。その一方で、だからこそ戦国武将をめぐる言説にはすでに一定のイメージがある。戦国史研究もまた知らず知らずのうちに通説的観念の呪縛を受けてきた。しかし、近年そうしたイメージはあくまでイメージであり、江戸時代以降あるいは最近になって形成されてきたものであることも解明されてきた。こうした流れはまさしく画期的で、ここ数年関東と畿内戦国史毎年何かしらの新事実が示され更新され続けていると言っても過言ではない。
 こうした史学における更新は単なる解釈や歴史観の問題というわけだけではなく、事件の内容や年次、実名といった基礎的な事実が洗い直されていることも多い。キャラクターコンテンツや歴史ドラマが史学の成果の下に置かれるわけでは決してないけれども、通説をそのまま使用した場合、創作部分とは別に誤りである場面も出てきた。もちろん無自覚なものは致し方ないが、通説を用いる場合それは「あえて」という前置が必要になってきている。こうしたギャップはできるだけ埋められるのが望ましいと思われる。
 しかしながら、史学の場面でも更新された基礎的な事実が共有財産になっているとは言い難い。畿内戦国史はここ20年の成果甚だしいが、特定の研究者が特定の大名権力に注力して研究を進展させているため、相互の研究成果が参照されているとは限らない。地域を広げると状況はまた深刻で、その地域の叙述は最新研究でも、そこから外れると途端に否定されている旧説が顔を出したりする。卑近な話、私はTwitter上で放言を繰り返しているが、東国などの地域について述べようとした時に「ちげーよボケ」をオブラートに包んだリプをもらったことは一度だけではない。他山の石と言うのはたやすいが、実際にはなかなか上手くいかないものである。
 事実を規定し直す研究成果が一般どころか学界でも共有しきれていない。そうした危惧を解消するための試みとして最上級のものがやってきた。それが戎光祥出版『戦国武将列伝』シリーズである。戎光祥出版は過去にも足利将軍や天皇南北朝武将で列伝を出していたが、今度のは破格のスケール。全国計500人超!全13巻!ちょっと本気が過ぎますねこれは…。
 第1弾となるのが12月9日発売の「関東編【上】」「畿内編【上】」。関東と畿内!また熱いところから来ましたな。
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/663/
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/664/

 特に畿内編とあっては引くわけにはいかない。

 早速入手の上勉強してみる次第である。

※私本人にも知識にムラがあるので、的外れや誤読があるかもしれません。

 先陣を切るのは幕府政所執事世襲する伊勢氏から貞宗・貞陸父子。伊勢氏も近年知名度を上げている印象があるが、その知名度とは応仁の乱の原因としての伊勢貞親と三好氏と提携し政所執事職を揺るがせた伊勢貞孝ではなかっただろうか。ここで言わば両者のミッシングリングにあたる貞宗・貞陸父子が立項されたことは趣深い。応仁の乱で諸大名から排除されかけていた伊勢氏が明応の政変や「二つの将軍家」をどのように乗り越えたのかというテーマは意外と見落とされがちなので、貞宗・貞陸に関しては動向を追いかけることに大きな意味があると言えるだろう。興味深かったのは、亡命中は伊勢貞陸に何度も刺客を放っていた足利義稙が帰京後は貞陸を取り込んでいること。政敵であったとしても京都統治には伊勢氏が必要になることが如実に示された経験こそが、背反する伊勢貞孝の前提となったでのではなかろうか。まさしく転換期の鍵は伊勢氏の動向にあると言えよう。

 『戦国武将列伝』の凡例にはわざわざ、武将とは言えないがこの人物を立項するという但し書きがある。「武将」が武将とは限らないわけだが、逆に言えばその枠を超える人物はとても重要ということになるだろう。葉室光忠も公家で、足利義稙ファンなら義稙の側近として権勢を恣にし、明応の政変で殺されたことも知っているかもしれない。光忠はこれまで義稙の側近として見られてきた。そういう人物を主体にするのも列伝形式ならではだ。そして主体になることで光忠の横暴も公家として存在を維持するためという見方が示され人物像が変わる。一方で将軍に近づきすぎて殺された光忠はその後の公家のモデルケースとなることはなく、葉室家も将軍と関係なく存続した。光忠はまさに時代が生んだ一代の寵児…と言えないこともないのかもしれない。

  • 大館尚氏・晴光―将軍の信頼篤い側近父子(山田康弘)

 戦国期幕府について調べていたら、尚氏も晴光もどこかで見ることになる名前なのは間違いない。尚氏は義晴期幕府の一級史料『大館常興日記』の著者で、晴光も諸大名との取次を務めている。よって尚氏も晴光も立項されることは特段珍しいわけではないが、お手軽なまとめというのはなかったので立項は貴重だった。尚氏はおそらく90歳ほどの長寿で晴光もよく活躍したが、永禄の変の直前に亡くなったのは救いだっただろうか。書き手の山田康弘氏は近年は角ばった文章をよく書いていたが、今回は天野氏が編者だから書きぶりはマイルドより。

  • 畠山順光・維広―流浪の将軍に尽くした異色の畠山氏(川口成人)

 書き手の川口成人氏は畠山一門の研究を進展させていることでよく知られるが、まさかの順光・維広父子とは立項も人選も心憎い。畠山順光はこれまた義稙ファンなら義稙の寵童が名門畠山氏に入名字した存在と知っているだろうが、これまた本来の畠山氏との関係性というのは光が当てられていなかった側面でもあるからだ。そうした側面が注目されてこそ、畠山順光の真の姿が明らかになるだろうし、実際畠山一門との連携が明らかにされていて印象がまた変わってくるのではなかろうか。畠山維広(守肱)は足利義栄幕府の重鎮として知られており、今回の立項でも精力的な働きぶりが窺えるが、彼の兄が京都で禅僧であり、義栄登場以前から京都の情報を流していた可能性が指摘されている。阿波に逼塞していた足利義維・義栄の動向を探る上で示唆的なネットワークと言えよう。

  • 斎藤基速―幕府奉行人から三好長慶の参謀へ(佐藤稜介)

 斎藤基速はいわゆる堺幕府の奉行人であったが、堺幕府崩壊後約20年を経て三好長慶の吏僚として再登場を果たす。幕臣の中でも唯一無二の経歴だが、伝記の主人公になるのはもちろん初めてだ。佐藤稜介氏は幕府奉行人への検討によって基速の系統や活動を明らかにしており、そうした成果がふんだんに使用されている。その一方で、堺幕府奉行人と長慶の吏僚部分をうまく埋められていない部分があり、三好時代の足利義維・義栄との関係性はどうなっていたのかは疑問として残る。もっともこうした部分は前項の「畠山順光・維広」とは対照的でもあり、幕臣の多様な生き様を示していると言える。今更ながらここまでの幕臣列伝で立項された人物は皆個性的に過ぎていて、ドラマ等でただのモブくらいになってしまうような人など実はいないと思えてくる。

 幕臣列伝が終わって細川へバトンタッチする前に挟まるのが若狭武田元光。若狭武田氏は室町時代の武田氏の本家にあたる家で、たびたび畿内情勢にも顔を出す存在なのだが、これまたなかなかのマイナーである。もっとも最近ようやく若狭武田氏で一般書が出たので、本書にも立項がない丹後一色氏よりは存在感を浮上させているか。元光も決して無能ではないのだが、「失敗した六角定頼」というか、京都との繋がり方や細川との関係、軍事について、バランスを取ろう、上手に流れに乗ろうとしつつ成果に現れない苦しさを感じる。

  • 六角定頼―義晴期幕府の中枢を担った管領代(松下浩)

 武田元光を「失敗した六角定頼」と書いたが、実際に元光の次に定頼が立項されているので、定頼の「成功」ぶりは印象に残ってしまうな。とは言え、今回の定頼は村井祐樹氏の著書のような「天下人」アピールと言うよりは、近江の戦国大名、六角氏権力の性質といった側面も強く、戦国期六角氏の強さと弱さが掴めるようになっている。定頼は『室町幕府全将軍・管領列伝』にも立項があるので、違った観点からの評伝が揃ってきた形となる。さらに戎光祥出版から『図説 六角氏と観音寺城』も発売予定。三好に六角が続いていく流れが徐々に見えてきており、さらなる充実を望みたい。

  • 朽木稙綱―室町将軍を匿い支えた忠臣(西島太郎)

 並び的には幕臣枠ではなく近江枠での立項。しかし、生涯を追いかけてみても意外と朽木稙綱についてはわからない印象を持った。何かの画期があるというわけではなく、義晴の近臣となって幕府政務に加わり、やがて自然にまた一国人的ポジションに戻っていく。稙綱が幕府と六角定頼を結びつけていたことからすると、稙綱の抜擢や後退にも定頼の影を見るべきなのかもしれない。

  • 細川政元―幕府再構築を目指した政治家の末路(古野貢)

 いよいよ細川編に突入。この『畿内編【上】』に立項されている武将たちはおそらく総じて一般知名度は低く、政元が一番有名なくらいである。そんな政元だが、事績を編年で見ていくタイプの列伝にはなっておらず、政元の政治姿勢や権力構造、そしてそれがなぜ必然的に破綻していくかを語るものとなっている。こうした書き方は古野貢氏の面目躍如ではなかろうか。年表的な叙述も大事だが、人物像が見えてきてこその列伝でもあろうから。

  • 細川澄元―泥沼の京兆家家督争いの果てに(古野貢)

 古野貢氏は馬部隆弘氏の『戦国期細川権力の研究』に懐疑的な書評を書いておられたが、澄元を書くとなると、馬部氏の澄元上洛戦の検討は外せない。どのように取捨選択をするのかしないのか…と危ぶんでいたら、この本の中ではかなりあっさりめの内容。参考文献に『戦国期細川権力の研究』を挙げつつも、上洛戦について詳述しないので、馬部論と喧嘩もしないが、全体的には物足りなさが残るか。

 細川高国は戦下手とかいう根拠のはっきりしないイメージをお持ちの皆さん!…あ、やっぱいいかも…。しかし、今回の列伝は高国の従来イメージとは趣が異なる。内容の8割方は高国が生涯に経験した戦争で構成されているのである。末尾にて高国の文化的事績に触れられなかったことが書かれているが、「武将列伝」なのであるし、高国について軍事に偏重するような記述がこれまでなかったことを踏まえると、この内容は非常に新鮮である。さらに大軍を集めてくる能力という観点から高国の政治能力もアピールされるだろう。細川高国の人物像がまた豊かになるのは間違いないだろう。

 晴国は21歳で亡くなるし、まともに活動したのは5年くらいなのだが、その生涯のジェットコースターのような展開と死は伝記になってもなお同情を呼ぶ。

  • 上原元秀―明応の政変を成功に導いた功労者(浜口誠至)

 上原賢家・元秀の動向が詳述されていて、地位の向上や権勢、明応の政変での役割、その死についてなどがまとめられている。その一方で、政元による元秀抜擢の理由のようなものがいまいち薄く、葉室光忠のような元秀を主人公にすることで新しく見えてきた何かには欠けるか。

  • 赤沢朝経・長経―細川政元に重用された信濃出身の側近(浜口誠至)

 ででで出たー!赤沢朝経だー!人物伝になってみてもこの人は本当によくわかりませんな。軍事的才幹は間違いなくあるのだが、取り立ててくれた政元にも何度も叛き、それでも何度も復帰しているところが。どうでもいいですが、朝経(宗益)の花押は綺麗に左右対称かつ子供でも書けるような簡単な形が可愛いのが、ちゃんと掲載されていておススメです。…それにしても前項の上原元秀から赤沢二代までその横死に同時代人が全く同情してないね…。

  • 香西元長―細川政元暗殺の黒幕と言われた男(小谷利明)

 上原、赤沢、そして香西の次が薬師寺と、政元暴れん坊家臣列伝が続く。しかし元長は軍事力もあるのだが、今回は実務面の記述も多い。元長は主君政元暗殺でも知られるが、政元暗殺時は病床にあったらしいことや『不問物語』では元長は暗殺に関知せず弟たちが首謀したことになっていたり、あまり謀叛人というイメージは残らなかった。畿内外の出自ながら山城守護代となったことや洛中洛外に初めて築城したことなどの画期性も興味深い。

 元一本人というより、京兆家に守護代薬師寺氏や摂津国人の関係性に主眼が置かれていて『戦国摂津の下克上』1章ダイジェストのような趣がある。摂津からはなかなか戦国大名が生まれなかったが、守護家も守護代家も国人も相応に実力があって、一人勝ち状態にならないことを元一周りの情勢は象徴しているように思えた。

  • 池田貞正・信正・長正―戦局を左右した摂津最大の国人中西裕樹)

 摂津池田氏というと有名な気がしてしまうが、『戦国摂津の下克上』でも荒木村重中川清秀の前史のような位置にいたので、歴代が真正面から切り込まれるのは初めてかもしれない。見えてきたのは当主権力の不安定さ。有力な庶流がごろごろ出てきて当主との主従関係が揺るがされる。今回は池田氏系図も作ろうとされているが、庶流家の流れも追えるようになればという感慨を持った。
 ところで今回の感想ではいちいち私の個人的意見と違うなどのツッコミはしないようにしているのだが、明らかな誤りは述べておきたい。永禄5年に箕面寺に禁制を出している「美作守」は花押を見ると安見美作守宗房で、池田一族ではないので注意されたい。

  • 波多野元清・香西元盛・柳本賢治―戦国畿内のキーマンとなった三兄弟(飛鳥井拓)

 波多野氏、香西氏、柳本氏の前史とともに三兄弟の足跡が追いかけられている。三兄弟だが、それぞれが別の家なので同時立項なのに認識されている立場が異なるのが面白い。特に波多野氏と柳本氏について権力化の差異が語られるのは兄弟同時立項ならではの醍醐味ではなかろうか。個人的にはいつの間にか秀忠に代替わりしている印象のある元清の終焉が見えるのが収穫だった。

  • 三好之長・元長―三好氏隆盛の礎を築いた猛将天野忠幸)

 『三好一族』の之長・元長パートのダイジェスト版といった感慨だが、馬部隆弘氏の三好長尚・政長父子高国派説を早くも取り入れていて更新はバッチリだった。之長・元長について没後の肖像画に記された賛文から人物評に繋げるのも雄大さを感じる。

 三好政長といえば三好長慶を主人公とする叙述ではどうしても敵役になってしまう損な役回りなのだが、晴元権力を支え続けた重鎮であることは間違いない。「之長・元長」の後に置かれることで、政長にどのような正統性と意義があったのか浮彫になるだろう。また、政長については本当に今年に馬部隆弘氏によって様々な再考が行われたが、早くもそれらを吸収する叙述になっていて仕事が早い(天文8年の争いに十七ヶ所が関わっていた件については若干混乱があるが)。政長と晴元について互いに必要としあっていたとすることや、茶の湯の先駆者とする記述があったのもうれしいところ。

  • 細川元常―細川澄元・晴元を支えた和泉上守護(岡田謙一)

 細川元常、引いては和泉守護細川家といえば岡田謙一氏が第一人者なのは間違いない。元常の動向をはじめ、和泉上守護家領としての阿波高越寺荘との関わり、後継者晴貞の存在、なぜ和泉上守護家と無関係な熊本藩細川家に上守護家の文書が伝来しているのか等を明らかにしてきたのは岡田氏である。その一方で岡田氏の論文は単著にまとまっていないし、一般書を書いているわけでもないので、貴重な成果がそこまで広がっていないきらいもあった。ようやく満を持してなので感慨が深い。ただし、紙数の関係か、晴元とともに京都に復帰した章段の直後に10年ほど時間が飛んで没落パートに入っていくので、晴元を支える最長老としての活動が書かれていないのは惜しい。

  • 松浦守―守護代から和泉最大の武家権力へ(廣田浩治)

 今回の『畿内編』最大のトピックと言って良いのが松浦守の立項だろう。松浦守・和泉松浦氏は畿内戦国史の重要なキーマン、そこまで行かなくとも和泉の戦国大名的存在であるにも関わらず、これまで不当に無視され続けており、一般知名度と実績の乖離はおそらく戦国武将でもトップクラスに入る。そうした人物がどのような内実を持つのか、ようやくまとめられた文章が一般層に届くのである。これが画期でなくて何であろうか。正直言うと、ここでまとめられているのはこれまでの指摘事項の集大成であって、その意味では個人的に不満の残る解釈がないわけではない。しかしながら、ようやく守という人物を議論するための土台が、この世に現れたのである。「『戦国武将列伝』ではこうなっていたが、実はこうなのではないか」そういう進展が可能になったのだ。御馳走様でした。

 畠山尚順といえば、政長の子だが親に似ず(?)不屈の闘志と敵将を討ち取る軍事力、そして足利義稙への一貫した忠誠という属性を持つ。が、今回の列伝では事績が淡々としていて、キャラ付けという点では弱め。義稙将軍再任後の動向が明らかに巻かれてしまっているので、紙数の関係であまり踏み込めなかったのかもしれない。

  • 畠山稙長―細川氏綱擁立の仕掛け人(小谷利明)

 「畠山稙長についてご存知のない人も多いだろう。稙長は、細川氏綱を擁立して天下を狙った人物であり、この流れが遊佐長教・三好長慶の天下取りへと繋がっていく大変重要な人物である」(297頁)。いきなりこの書き出しなんて無茶苦茶気持ちが上がるじゃないですか。戦国期畠山氏がなぜ大事なのかを端的に説明した名文と言える。実際稙長は精力的な活動を見せているが、それだけに最期が尻切れトンボのような突然の死なのは人生としても叙述としてももったいない。ちなみに稙長は近年2歳で幕府に出仕していたことが明らかになった。そのため生年が新たに確定していたが、今回さらに畠山尚順細川高国姉の婚姻時期も再推定され、稙長は嫡男であるが長男ではない可能性が示されることになった。尚順には確認できる子息がやたら多いが、兄弟順についても再考の余地があるのかもしれない。

  • 畠山義英・義堯―河内を地盤とする義就流畠山氏嫡流(弓倉弘年)

 義就流畠山氏(総州家)も応仁の乱の時の畠山義就知名度を上げているだけで、その子孫については知られていないのではないだろうか。畠山義英・義堯2代は無力というわけでも有力というわけでもないイメージだったが、動向をまとめられてみると細川政元暗殺によって没落ルートに入ってしまった感じだ。最終的に守護代家も守護家も機能不全に陥り、義就流は木沢長政に牛耳られていくことになるが、さもありなんといった感想を持った。

  • 木沢長政―畠山・細川に両属する畿内のジョーカー(山下真理子)

 畠山義堯が横死したところで木沢長政にバトンタッチ。木沢長政も一時期梟雄というイメージが先行していたが、今回の列伝では近年の研究を受けた落ち着いた書き方となっている。長政の活動が具体的に記されるおかげで、悪人というよりも有能だからこそ頼られて権限を増幅、自意識も向上していく様がよく看取できるのではないだろうか。まさに副題の「畿内のジョーカー」はまさに木沢長政にふさわしい言葉なので、今後は梟雄じゃなくジョーカーと呼びましょう。

  • 下間頼秀・頼盛―享禄・天文の錯乱の果てに(岩本潤一)

 享禄・天文の錯乱において本願寺内主戦派として知られる下間兄弟。これまでは漠然と主戦派というイメージしかなかったが、時系列で動向を並べられると頼盛が方々で一向一揆動員の話をつけ、帰って来てみたらなぜか状況が一変して和睦が成立していたという流れが見えてくる。現代のような通信手段があるわけではないので、頼盛としては波乱の畿内情勢そのものに梯子を外された格好である。「主戦派」というか「俺がせっかく軍勢動員の算段つけてきたのに今更戦争するなと言われても困る」のような顔が見えてきてしまう。失脚するどころか家族も次々に排除・殺害され自身らも非業の死を迎える頼秀・頼盛には正直同情したが、彼らにこのような思いを持ったのは初めてだった。そりゃ浅井亮政さんも「頼盛は忠節の者じゃなかったのか」と言いますね…。書き方としては最後の一文も興があり、まるで織田信長は頼盛の無念のとばっちりを受けたかのような…。

  • 筒井順興・順昭―官符衆徒の一員から大和最大の国人へ(金松誠)

 筒井氏も著名な武将だが、その有名要素は筒井順慶が9割で、残り1割はせいぜい応仁の乱での成身院光宣と筒井順永が知っている人は知っているくらいだと思われる。かく言う私自身もそんなもんで、応仁の乱の筒井と織豊政権の筒井がどう繋がっていたのか、全く未知かつ無知であった。しかし、その間を埋める順興・順昭がこんなに面白いとは思わぬ収穫だった。この列伝でも大和の国人の名字が大量に登場し、いちいち覚えてられないが、筒井氏を軸にすると彼らの動向も頭に入ってきやすい。筒井氏は実に人物伝向けなのだろうし、重要人物であることが如実にわかる。椿尾上城も正直知らなかったが、天文年間に新たに政庁として登場した山城ということで、周辺の政庁山城ともっと比較されるべきなのかもしれない。

  • 杉坊明算・照算―軍事を担った根来寺の院家(廣田浩治)

 杉坊明算・聖算の立項も画期的だが、内容としては人物伝よりも根来寺の組織や武家勢力との関わりなどが主となる。それでも廣田氏の根来寺研究成果が一般書に降りてくるのはおそらく初となるので、十分な意義を有するのは間違いない。武将列伝だからということもあるが、彼らは在地経営もするし内紛で殺し合うし、寺社の人要素が覚鑁への大師号追贈に動いていたことくらいしか書かれていない。寺社人も中世人であることを強く意識づけられるだろう。

  • 赤松洞松院―守護家の執政をつとめた後室(前田徹)

 戦国史といえば戦国武将で、武将と言えば普通は男なので、戦国時代は女性の影が薄い時代とも言える。近年はいわゆる女家長や女当主や妻といった面にも光が当てられ、女性の再評価も進んでいる。しかし、近年以前から注目されていた女性もいて、その代表格が赤松洞松院である。洞松院は赤松氏当主も宿老も幼少な中赤松氏の政治を主導していたのである。厳密には彼女も武将ではないが、立項されてしかるべき人物と言えよう。そのような洞松院だが、女性ゆえの政治能力の限界はあり、今回も内政や外交について過大に評価しているわけではない。もっともだからこそ洞松院の存在感が確かなものとして見えてくる。戦国時代に女性が権力を握るというのはどういうことで何が出来るのか、そのモデルケースとしても今回の列伝は有用だろう。

  • 垣屋続成―戦国期の山名惣領家を支えた筆頭被官(伊藤大貴)

 恥ずかしながら、本書に立項されている武将では垣屋続成については全く知らなかった。おそらく名前くらいはどこかで見ていたはずだが、文字をただ眺めていただけで生身の人物としての意識は皆無だったと言っていい。そんな人物だったが…読んでみるとこれがまた面白いこと!一族が大打撃を受けた苦難の幼少期からやがて主君と実力を拮抗させ、一時は争うが妥協点を見つけて権勢を保ったまま世を去っていく。ドラマチックかつ有力者として円満で、存在が社会のお騒がせ者となるわけでもなくバランスの良い綺麗さがある。本書では山名氏当主からは立項されていないが、山名氏当主を立項するよりも続成目線で当主の交代や共存を見た方がわかりやすさはあるのかもしれない。こうした存在に出会えたのはまさに列伝形式ならではだ。一期一会に感謝である。

総感想

 タフな列伝だった。当然といえば当然だが、立項されている人物たちに同じような人物は一人もいなかった。彼らが戦国史の中でもモブ扱いなんてそんなわけないだろとは前から思っていたが、思いを新たにした(これは畿内編以外でも同じことだろうと思う)。正直言うと、「もっとここは書けたのではないか」「もっと人物像をアピールできたのではないか」という不満の残る書き方もある。しかしながら、まずは立項され事績が共通の土台となることに意義があり、それ自体が画期な人物もまた多い。この本を土台に研究のみならず歴史コンテンツ一般に彼らの事績が波及していってほしいものである。
 また、近年畿内戦国史に刺激を与え続けている馬部隆弘氏は『畿内編【上】』では一人も書かれていない。のだが、特に細川関係は馬部氏の研究を避けて記述するのは不可能で、馬部氏が『戦国期細川権力の研究』を人物事典としても使ってほしいと自認することもあって、一部の人物の基礎情報は馬部氏の引き写しのようになってしまっている箇所もあった。私としては著者本人の解釈なども見たいので、馬部氏の引用ばかりになってしまうのはこれはその正否とは全く関係なしにちょっと寂しいかもしれない。
 今回応仁の乱参戦武将は取り上げられず、その子世代から立項される形となっている。そうした構成で気になったのは畠山義就。川口成人氏は義就を「よしなり」、他の方は「よしひろ」とルビを振っていて地味に読みが一致していない。もともと義就は当初「よしなり」と読まれていたのが「よしひろ」に修正された研究史を持つが、川口氏は「よしなり」と判断した論拠も持っているようだ。義就が「よしなり」か「よしひろ」かで就字偏諱を受けた被官の読みも変わってくるので、意外と論点としてはバカにならない。ってそんな話をしたいのではなく、まさに応仁の乱から織田信長の上洛までという期間はよく飛ばされがちなところで、近年は三好長慶がフィーチャーされてやや織田信長以前の知名度を上げているものの、それでも応仁の乱三好長慶の間が埋まっていない印象があった。本書はまさに応仁の乱~三好・織田のミッシングリングとなる人物が多く立項されていて魅力的だ。帯に「有名無名の44人」と書いてあるのに有名枠いる?レベルの人選ではあるのだが、それだけによく知らない人にもそれなりに知っている人にもさらに知ってほしい人物が揃っていると言える。
 このように畿内戦国史でもさらに影が薄めの時代に議論の共通の土台に足る一般書が現れた意義は稀代かつ莫大である。『畿内編』にはまだ【下】があるし、全国の武将列伝が出るので、知らない人物、知っていると思っていた人物について刺激が続いていくことは間違いない。もうこのシリーズだけで戎光祥出版は歴史上の存在になったでしょう。続巻にも期待大!