志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

『ウルトラマントリガー』放送直前に寄せて

 全然気にしてなかったが、今回でこのブログの記事数も100らしい。だからと言うわけでは全然ないが、たまには本腰入れて昨今のウルトラマンシリーズについて語ってみたい。これまでもちょいちょい語ってはきたが、時々の作品評だったり、ゼロ関連のものの感想だったりでシリーズどうこうの話はそこまでしてこなかったし。もっとも本腰入れてとは言っても大した話は出来もしないはずだが…。
m-78.jp

 いよいよ放送が始まるウルトラマントリガー』は放送前から賛否両論と言うか、色々な意見がネットの海では見える。これは仕方のないことで、『トリガー』はこれまでのウルトラマンの新作とは根本的に違う特徴があるのも一因だろう。副題に「NEW GENERATION TIGAが躍るように、『トリガー』はあの『ティガ』の現代版を謳っている(最近の言葉で言うとリブート)のだ。であるからにはある種の『ティガ』らしさの実装は当然求められてしかるべきであり、そうではなさげなものが見えると不安感に結びついていくのは自然な感情の動きと言える。

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三好氏居所集成・十河存保(三好義堅)編

 『織豊期主要人物居所集成』の三好氏版。Twitterで毎日連載していたが、実休に続きこれまた記事として典拠付でまとめておく。
monsterspace.hateblo.jp

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パワプロクンポケットの思い出と『パワポケR』への期待

 6月16日の朝起きてみたら眠気を覚ます上喜撰…じゃなかったニュースが飛び込んできた。何とパワプロクンポケットR』の今冬発売が決まったというのだ。
 パワポケ復活!
 ぶっちゃけると、パワポケが今後復活することはないと思っていた。パワポケが輝けたのはパワプロが携帯機に進出しつつも、パワプロそのものではないことが許されたゆえであり、「野球バラエティ」路線となったのも、ハードの都合上単に野球をするゲームというだけでは持たないという事情も大きかったはずだ。パワポケパワプロを携帯機でプレイしたいが、パワプロそのものを持ってくることは難しいことから生み出されたゲームだったと言える。携帯機の性能が進歩し、携帯機と据置機の垣根さえ曖昧になった昨今においてパワポケは歴史的使命を終えた(それを示すようにパワポケ終了後、携帯機でもパワプロが出るようになった)。最近はパワプロアプリでパワポケ要素を拾ったりもしていたが、そこそこ人気と話題性のある外伝を本家が少し拾っているにすぎない。今後パワポケが生きていくとしたら、本家に間借りする庶子くらいのポジションが関の山…それくらいの感覚であった。
 かつてパワポケに親しんだ人間とすれば、仮に動きがあったとしてもパワプロアプリあるいは本家パワプロにちょっと拾ってもらうとか、それが昂じて何らかのグッズが出たり、あるいはネット上のインタビュー記事で非公開裏設定を語ってもらうとかそれくらいが期待の上限だろうと考えていた。実際、去年くらいからこうした動きは実際にあり、それなりに旧ファンが盛り上がっているのも観測できて満足していた。

 Amazonのギフト券も当たったしね(自慢)
 しかし、今から思えばこれらの動きも全部復活への布石だったのか…。それくらい復活は予期していなかった。おれ、KONAMIにメールを送らなかったけど、恩恵だけ享受して大丈夫っすか?
 まあそういうわけで個人的なパワポケ観(?)と『R』への期待を記事にしてみることにした。
www.konami.com

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亀田俊和・杉山一弥編『南北朝武将列伝 北朝編』(戎光祥出版)の感想

 戎光祥出版では『室町幕府将軍列伝』、『室町・戦国天皇列伝』と過去に列伝本が2冊上梓されていた(他にもマンガで読むシリーズで信長家臣列伝、徳川家臣列伝もある)。もっとも将軍や天皇であれば、過去にも似たような本はあった(近年では『室町幕府全将軍・管領列伝』なる一見すると上位互換本みたいなものもある)。将軍や天皇は日本史上メジャーな存在で、そもそもネームバリューがあり、これらを一定の基準で集成した本というのは発想としては特段珍しくはない。

 これに比べると、戎光祥出版からの列伝シリーズ第3弾が南北朝武将列伝なことは非凡な試みと言える。南北朝時代は近年人気や露出が上がっているものの日本史の中で大人気な時代ではない。一般知名度で言えば、後醍醐天皇足利尊氏楠木正成は一線級だろうが、天皇と将軍、一部の執事・管領クラス以外はほぼ絶望的ではなかろうか。しかし、こうした点に「列伝」であることのミソがあるとも言える。食玩のブラインド商法やガチャではないが、特定個人だけにフィーチャーしてしまうと人気差が現れてしまうが、ランダムあるいはいっしょくたにしてしまえば、とてもピンでは売り物にならないものを上手に混ぜることが出来る。南北朝時代は人気があるわけではないと書いたが、近年の動向としてこの時代を扱った書籍は少なくなく、「室町ブーム」の一端を支える需要は存在する。南北朝の武将を列伝形式で出すことには、この本が初心者向けにも中級者向けにも上級者向けにもなれるという強い意義付けがある。
 それを裏付けるように取り上げられる武将は50人以上に及ぶ。これまでの本でも名前はチラッと見たが、どのような人物なのかよく知らないという人物や、知っていたと思っていたが研究の成果により人物像が変わっていた人物などが目白押しであり、どのように読んでも新鮮な筆致が揃っている。感想ついでに紐解いていくことにしたい。

  • 第一部 東国武将編
    • 足利基氏―東国の安定に尽くした初代鎌倉公方(杉山一弥)
    • 高師冬―常陸攻略で活躍した関東執事(杉山一弥)
    • 畠山国清―伊豆に散った薩埵山体制の功労者(杉山一弥)
    • 上杉憲顕―上杉一族繁栄の礎を築いた重鎮(駒見敬祐)
    • 岩松直国―尊氏と直義の間で揺れ動く新田一族(駒見敬祐)
    • 河越直重―平一揆を束ねる武蔵武士の名門(駒見敬祐)
    • 足利氏満―鎌倉府の勢力拡大に成功した二代公方(石橋一展)
    • 宇都宮氏綱―初期の鎌倉府を支えた「薩埵山体制」の柱石(石橋一展)
    • 小山義政―鎌倉府と対峙し続けた不屈の闘将(石橋一展)
    • 吉良貞義・満義・貞家―尊氏に蹶起を促した一門の長老(谷口雄太)
    • 小笠原貞宗・政長・長基―内乱に翻弄された信濃守護家(花岡康隆)
    • 桃井直常―一貫して忠誠を尽くした熱烈な直義党(亀田俊和
    • 土岐頼遠―猛将のたった一度の過ち(木下聡)
    • 土岐頼康―美濃・尾張・伊勢を押さえる東海の雄(木下聡)
  • 第二部 西国武将編
  • 今後の「列伝」への期待
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4月30日付新治伊予守(稲葉一鉄)宛三好長逸書状の年次比定について

 『戦国遺文 三好氏編』一四〇〇号「三好長逸書状」の年次比定について、近年ちょっとした論の食い違いが見られたので少し考えてみる(というほどのものでもないが)。まずは問題となる文書を以下に引用し、私訳を示しておく。

  • 三好長逸書状(切紙) 保阪潤治氏所蔵文書

御状令拝見候、仍就斎蔵上洛御音信殊十文字鎌送賜候、毎度御懇志喜悦存候、別而秘蔵可申候、雖為遠路相当之儀承不可有疎意候、将又斎蔵具示給候、就其存分■■(大方)申入候、定而可有演説候、被得其意尾州江可然候様、御取成肝要候、尚期後音候、恐々謹言、
   四月晦日     長逸(花押)
   新治伊予守殿
        御返報


(私訳)お手紙を拝見しました。「斎蔵」(=斎藤内蔵助利三)が上洛し音信として十文字の鎌を贈っていただいた件、いつものことながら親しくさせていただいているお気持ちをとてもうれしく思います。贈っていただいた鎌は秘蔵として大事に扱わせていただきます。遠路はるばる贈っていただいたお気持ちはよくよくわかっており、粗略に思う気持ちなどこちらにはございません。また、「斎蔵」が詳しく示しなさったことですが、それについてこちらの考えを申しましたので、「斎蔵」の説明がありましょう。よくよくご理解になり「尾州」(=織田尾張守信長?)へ上手く取り成してくださることが大事です。後の手紙で詳しく述べることになるでしょう。恐々謹言。

 ちなみに宛所となっている「新治伊予守」が稲葉一鉄のこと。「新治伊予守」のどこが稲葉一鉄やねん!と思われそうだが、織田信長が侵略する前に美濃を支配していた後斎藤氏は永禄2年(1559)以来一色氏に名字を改めており、それだけに留まらず家臣団にも一色家臣名字を付与し、一色氏なりきり大作戦を敢行していた。新治も一色家臣に見える名字であり、稲葉一鉄は一色氏なりきりの一環として新治に名字を改めていたのである。

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三好氏居所集成・三好実休編

 『織豊期主要人物居所集成』の三好氏版。Twitterで毎日連載していたが、一応記事として典拠付でまとめておく。

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摂津峡公園に三好長慶像が現れた!

 三好長慶は近年その権力について再評価が進みそれが定着しつつある戦国武将である。特に長慶は阿波出身ながら五畿内を抑えたこともあって、一般的な戦国武将よりもゆかりの地が多い。すると当然のように三好長慶を地域振興と言うか、自治体行政の中で称揚していこうという動きも生まれる。その最たるものの1つとして長慶にまつわる「地元」に像を作ろうという動きがある。平成26年(2014)には堺の南宗寺に、平成29年(2017)には大東市の市役所前に長慶の銅像が造られた。私としてはこれらの動きを「へえー」と眺めていただけだったが、気付けば高槻市にも長慶の像が造られていた。そういえばそんな動きも聞いたような…だったが結構寝耳に水で驚いた。まあ大東市が造ったんだから高槻市も負けてられないよな。
 そういうわけで5月15日に見に行ってみたら(山水館さんのツイートによると設置は5月10日だったので)、布を被っていて正式公開されていなかった。

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 正式公開は27日だったようで、6月5日頃からは各種メディアでも記事にもなり、またもやいつの間にか公開されているということになった。なかなか上手く情報収集できんな…。
 しかしそういうわけでやって見聞してきたという次第である。
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 まずは全景。説明の看板とセットになっている。

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