志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

『ウルトラマンオメガ』総評

 近年のウルトラマンシリーズは脱ニュージェネ的な『ウルトラマンブレーザー』が一つの転機を形成したと言える。ニュージェネレーションシリーズでは不可能では?と思われていた、歴代ヒーロー不在の単独世界観、新規怪獣メイン、玩具販促と結びついていたインナースペースシーンの可能な限りの削除などを『ブレーザー』は実現した。その是非についてここでは触れないが、次作の『ウルトラマンアーク』も概ねそれらの要素を継承しており、『ブレーザー』を異色作から一つのフォーマットに押し上げようという流れとは言えるだろう。そしてそれに続くウルトラマンオメガ』
 個人的に『ブレーザー』にいまいちハマりきらなかった一方で『アーク』は観ていて心地良い作品だった。ただし以前の記事でも述べたが、『アーク』はinterestingではあったがexcitingではなかった。また、『ブレーザー』の新怪獣路線を継承したものの、やはりそれを続けるには無理もあることが明らかになった(どうしても歴代怪獣を使い回す期間を設けなければならないとか既存怪獣の改造多めになるとか)。予算的環境が改善されたわけでもないので、防衛チームを出していくのも厳しく、どうしても発足仕立てで間に合ってないとか下部組織とかになりがちだ。シリーズという意味では『アーク』は『ブレーザー』ほど鮮烈でもなく縮小再生産的な箇所があったのは否めない。つまるところ、『ブレーザー』はフォーマットになり得ないのではないかと、同様の作品が2作続くことでわかってきた。
 そうしたところで『オメガ』には期待を持てるような要素が散見された。ある種のニュージェネ返りとも言うべきか、味方怪獣枠のメテオカイジュウは召喚アイテムとフィギュアと武器を兼ねており、画面的な派手さが見込めると思った。防衛チームはなくレギュラーは記憶喪失のウルトラマンと民間人、科学者の3人とコンパクトにまとめられたことで、話作りにも自由度は増したし、記憶喪失のウルトラマンを通じてなぜウルトラマンは地球を守るのかに迫るというのも興味をそそった。いい感じに正統派なウルトラマンとは違う舞台設定・キャラ設定を持ってきていて「新しいウルトラマン」が見られるという熱は個人的に近年の中では最も高かった。ウルトラマン60周年を前にして、『ブレーザー』・『アーク』も昇華した上でいよいよexcitingな作品が見られるかもしれない。そうした期待感があった『ウルトラマンオメガ』とはどうなっていったのか。

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スーパー戦隊シリーズが終わった

 スーパー戦隊シリーズが終わった。いや、厳密に言うと完全な終止符が打たれたわけではない。かつてのファン向けの10YAのような作品は今後も作られるだろうし、戦隊ヒーローが新しいPROJECT R.E.D.や仮面ライダーなどの他の特撮ヒーローシリーズに客演することもあるだろう。戦隊シリーズを上書きして始まるPROJECT R.E.D.で新しい戦隊が登場することもあるかもしれない。そういう意味では戦隊は生き続けるとも言える。とは言え、それを加味しても『バトルフィーバーJ』以来45年以上ほぼ毎週欠かさず新作をTV放映してきたシリーズが来週には放送していないという「断絶の重み」を軽く受け止めることはない。何せ、私にとっては生まれた時にはすでにスーパー戦隊シリーズが放送されており、人生の中でスーパー戦隊が放送されていない期間というものは存在しないからだ。もちろん、10歳前後の一時期に「卒業」していたこともあったが、それでも「今年の戦隊」があることは前提で「今年は〇〇らしいぜ」みたいな会話が発生する可能性は担保されていた。来週からはそれがない人生が始まる。

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「ガメラEXPO in なんば」感想

 ガメラには馴染みがあるかと言うとよくわからない距離感である。私が子供の頃は夏休みなどの大型連休期間の平日昼は多くのテレビ局で昔の子供向け映画や番組の再放送を流していた。そこで昭和ガメラの再放送を見たのがガメラとのファーストコンタクトだった。そしてその時は結構面白く観ていたことを思い出しつつ、実はそれがどの作品であったかさえ今や全く覚えていない。また、平成ガメラを観るには当時の私は幼すぎ、リアルタイムでやっていたということすら認識していなかった。のだが、その後特撮オタクという身分になった後に3作とも観てドハマりしてしまったということもある。その一方で『小さき勇者たち』も『Rebirth』も未見のままである。あえて言えば、シリーズとしての付き合いがないままこちらのタイミングだけで付き合いがあり、その限りではかなり好きという、ファンというには違和感がある、でも無関心なわけはないという変な関係だ。
 そういうわけでガメラEXPOという場に行けるほどのディープさがあるのかと言われると微妙ながら抵抗感も全くないという感じで来てしまった。

昭和ガメラ。「古き良き」という形容詞が似合う。シンプルながら力強いフォルム
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「仮面ライダークウガ25周年記念 超クウガ展」感想

 仮面ライダークウガは私にとって特別な作品だ。『カブタック』から視聴が始まった日曜日朝8時の放送時間―『ロボタック』『ロボコン』を経て初めてリアルタイムで見る仮面ライダー…。そう、平成4年生まれの私にとって仮面ライダーを見るのは初めてだった。もちろんRXやZO、Jなども存在は知っていたが、ヒーロー図鑑の中だけの存在で、距離感としてはエクシードラフトやジャンパーソン、ダイレンジャーあたりと変わることのない、ちょっと前のヒーローの一人にすぎない。そうした「昔のヒーロー」が現在のものとして体感できる高揚感。そして実際に『クウガ』を見て度肝を抜かれた。子供番組らしからぬリアリティにあふれた設定!ドラマ!仮面ライダーとはかくも高尚で重厚なものか!クウガ』を見るのはすぐにも人生の至上命題となり、寝坊して見過ごした時は憚らず泣き喚いた。とにもかくにも「おれはすごい物を見ているのだ」という感覚を持ったのは『クウガ』がたぶん初めてだと思う。
 そういうわけで『クウガ』は私の人生に深い爪痕を遺していった。その一方で『クウガ』終了後の『クウガ』熱というものは行き先を失っていた。『アギト』は『クウガ』の続編として視聴していたが、それは初期世界観・設定レベルに過ぎなかったため『クウガ』要素が積極的に拾われることはなかった。『クウガ』は映画企画もあったようだが実現しなかった。『ディケイド』を機に歴代ライダーが現行作品に登場することになったが『クウガ』は特殊な扱いで、『ディケイド』ではサブレギュラーながらユウスケはあくまでリイマジの別人であるし、『ジオウ』では『クウガ』からはオリキャスが1人も出ないままだった。配慮と言えば配慮だし不遇と言えば不遇とも言える微妙な扱いだ。漫画版クウガも始まったが、中身は別物なので食指は動かなかった。
 ならばイベントなどのファンサービスはどうかと言うと『クウガ』はこれも渋い。立役者の高寺Pは東映から去ってしまったし、主演のオダギリジョーは活躍を続け『クウガ』に触れる機会はなくなっていった*1。スタッフやキャストで盛り上がりを作るということもなかったのだ。しかし、皮肉と言うか、『クウガ』はこのようなある種の腫物に触れるような扱いが続けられることで神格化されていった面もある。クウガ』を扱うのであれば、そんな軽く扱ってはならない、と。
 そしてとうとう『クウガ』は25周年を迎え「超クウガ展」という、大規模展覧会が開かれることになった。正しく満を持して、と言うべきだろう。図録の高寺Pとオダジョーの対談でも、オダジョーが「また〇周年?」「1ファンとしてはうれしいかもしれないけど、年々記憶もなくなっていって最後は単なる客寄せパンダとして祭り上げられるようになるのは複雑じゃないか」というのもまさに正論で、だからこそ「コンセプトが大切」「クリエイティブな話をしたい」と語っていて…もう「超クウガ展」の意義はこれに尽きるんじゃないか。『クウガ』を扱うからにはファンイベントではなく、新しいことを伝える場である―その境目にあるからこそ「超クウガ展」はぎりぎり成り立つ。主演からこれを聞けただけでも「理解ってんじゃねえか…」ってなるから強い。

*1:結果的にオダジョーが『クウガ』を特別扱いしなかったことはいい距離感の保ち方になったと思っている

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三好長治と大河原氏―「大河原家文書」を手掛かりに

 最近「大河原家文書」という文書群があることを知った。正式には「寒川郡鴨部中筋村大河原家文書」と命名されており、その名の通り現香川県さぬき市の旧家に伝来した文書だ。それだけならふーんだが、何とこの「大河原家文書」、複数の中世文書を伝来している。しかもそれが讃岐の戦国史とは関係のない義就流畠山家の文書なのである。なっ…なななな何でだよ!どうやら義就流畠山家被官が戦国時代に四国に渡り、そのまま現地に留まって続いてきたということらしい。それにしても画期的すぎる…義就流畠山家被官の子孫が四国で続いていたとは…。
 文書自体は香川県立文書館のデータベースで公開されているので中世文書をリンクとともに挙げていく。

  • 永正17年5月30日付大河原助四郎宛遊佐(ヵ)道盛・木沢英治・平英正連署奉書

www.archives.pref.kagawa.lg.jp

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出自不明の亜種ウルトラ怪獣

 ウルトラ怪獣という存在は実に多様だ。超巨大な野生生物、人間の行き過ぎた文明・科学が生み出した怪物、妖怪変幻の類、宇宙人が使役する生物兵器・ロボット…。その生態も火を吐くもの、冷凍光線を吐くもの、金や真珠を食べるもの、地底・海底から出てきたもの、宇宙から襲来するもの、果ては人造物と生物が合体すたもの…様々なものがありあらゆるパターンが初期シリーズに登場して礎を作った。こうした多様さは映画スターとしての東宝怪獣や統一敵組織の部下であることが多い等身大ヒーローの敵対怪人とは一線を画す、間違いなくウルトラマンシリーズならではの財産だ。
 そしてこの多様さはウルトラマンシリーズが一話完結スタイルであることにも支えられてきた。その1話の中でどのような怪獣が現れ、どんな事態を巻き起こし、それがどのように解決されるのかがウルトラマンのフォーマットだ。もちろん人間ドラマがメインで怪獣が添え物なことも珍しくはないが、それでも怪獣を倒すことがストーリーの解決に繋がるという大筋を多くの話が持っており、それは現在に至るまで変わることがない。
 その一方で、時代性というものも存在する。大怪獣バトルシリーズ以降、ウルトラマンシリーズでは怪獣の着ぐるみをそのまま使い回すようになった。ストーリーよりも既存の怪獣をどのように登場させるかが先立つようになったのだ。大怪獣バトルでは基本的にウルトラ怪獣はレイオニクスと呼ばれる怪獣使いの使役対象で、ストーリーを背負う存在というよりはバトル展開を担当する存在へと転化していった。
 その後この方式はニュージェネレーションシリーズ第1作『ウルトラマンギンガ』をきっかけに洗練されていくことになる。『ギンガ』ではスパークドールズと呼ばれる、歴代ウルトラマン・怪獣がソフビ人形の姿に封印されたアイテムが登場する。作中人物はスパークドールズを使ってその怪獣・ウルトラマンへと変身して戦うのだ。その後もフュージョンカードやウルトラカプセルなど、歴代ウルトラマン・怪獣の力を秘めたキーアイテムがあり、それを用いることでその力を引き出し、あるいは変身し、あるいは召喚するスタイルが定着する。こうして歴代怪獣の着ぐるみ使い回しを作中事情に整合的に昇華させていったのである。

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文明監視員ウルトラマンマックスはなぜ地球のために戦ってくれたのか?

 現行TVシリーズの『ウルトラマンオメガ』が佳境を迎えている。記憶を失っていたソラト=ウルトラマンオメガは宇宙観測隊員としての自我を取り戻し、そもそも自分の本来の任務が地球人を守って怪獣を倒すことではないと悟ってしまったのだ。ソラトはソラトとしての自我と宇宙観測隊員としての任務の板挟みになって苦しむが、1月初頭の現段階では後者が上回り、仲間たちの前から去ってしまったのである。
 というのが今の『オメガ』の状況だが、過去のシリーズでは恒点観測員や文明監視員がほいほい地球のために戦ってくれたこともあって、ソラトの悩みがそこまで深刻なものなのか、演出としてはかなり頑張ってはいたが、そこまでピンとくる話でもなかったりする。そもそも恒点観測員や文明監視員はなぜ本来の任務ではない地球防衛・怪獣退治に従事してくれていたのか?恒点観測員=ウルトラセブンについては過去にも研究(?)の蓄積もあるし、平成セブンで公式のアンサーが示されたこともあるので、ここでは文明監視員=ウルトラマンマックスについてサクッと語りたい。ちょうどブルーレイボックスも出てるし。

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