志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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新谷和之著『図説 六角氏と観音寺城 〝巨大山城〟が語る激動の中世史』のススメ

 近年織田信長の先駆者として三好長慶の再評価が進むどころか、かなり一般に定着している趣さえある。実に喜ばしいことだが、畿内戦国史は京都の西だけで成り立っていたわけではない。三好政権の評価が進むほど、三好サイドではない側面もまた重要なものとして浮き上がってくる。その一方の主役が六角氏である。以前よりも六角氏の重要性は指摘されていたが、ここ10年で村井祐樹氏や新谷和之氏が研究書を上梓されたことで、ようやくその像が形作られていった。
 少し話が変わるが、六角氏研究の強みは複数の研究者がほぼ同時に研究を進めていったことにある。両者がそれぞれ基礎的な研究を固めていったのも大事だが、研究者一人一人で何をどう見るかというのは重ならない。六角氏権力をどう評価するかもその評価の側面も違うので、同じことをやっているようでも、共通点と相違点が対照できる。そしてそのことが六角氏像にも深みを与えている。これは例えば三好氏研究だと未だ天野一強状態で、これを批判するのも幕府研究や細川研究といった別の畑になりがちである。六角氏研究は同時期に並行的に進んだことで、アピール分野が偏っていない。そのことで得られるものもまた大きいはずである。
 村井祐樹氏は自身の六角氏天下人論を『六角定頼』によって具現化した。これによって六角氏の畿内戦国史における影響力の大きさはより周知のものとなった。一方で新谷氏の地域権力としての六角氏論は…というところで登場したのが『図説 六角氏と観音寺城』である。

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 それではとりあえず目次をば。

第一章 近江守護六角氏の歩み
 01 近江に勢力を振るった佐々木氏の惣領
 02 延暦寺領だった名字の地・佐々木荘
 03 守護所、小脇館の景観と開発
 04 西国三十三所霊場として栄えた観音正寺
 05 南北朝期の観音寺城と軍勢駐留
 06 近江国支配の〝クサビ〟となった京極氏
 07 将軍の逆鱗に触れ近江守護職を解任
 08 観音寺山の用益をめぐり大騒動

第二章 相継ぐ戦乱と居城の整備
 01 文安の内紛、伊庭氏の台頭
 02 応仁・文明の乱で分裂する佐々木一門
 03 戦乱でたびたび落城した観音寺城
 04 足利義尚による第一次六角征伐
 05 足利義稙による第二次六角征伐
 06 行政拠点だった「守護所」金剛寺
 07 足利義澄を支持し義稙方と戦う
 08 たび重なる重臣伊庭氏の反乱
 09 山麓の石寺を城下町として整備

第三章 領国支配体制の確立
 01 六角氏の支配領域と分立する地域権力
 02 家臣団統制と築城の規制
 03 京極氏を擁する浅井亮政と激突
 04 軍事的に重要だった境目の城
 05 発給文書の変化にみる六角氏権力
 06 観音寺城内に屋敷があった家臣は誰か
 07 裁許を求めて登城する領民たち
 08 六角氏は日本初の楽市令制定者?

第四章 畿内の政局を左右する六角氏
 01 将軍義晴政権の重鎮となった定頼
 02 天文法華の乱の和睦を取りなす
 03 足利義輝元服で加冠役をつとめる
 04 諸大名との婚姻による連携強化
 05 反三好包囲網の主力になる
 06 外交を担う家臣たちの人脈
 07 観音寺城を訪れる公家・寺僧たち
 08 観音寺城で盛んに開かれた連歌

第五章 名城・観音寺城の構造
 01 交通を掌握できる近江の中心地
 02 無数の削平地はどこまで城跡か
 03 複数の登城道と見付が意味するもの
 04 山上に築かれた二階建ての御殿
 05 威光を示す高度な石垣技術
 06 城域に「聖地」を取り込む
 07 山麓に多数配置された屋敷地と城下町
 08 周辺城郭にみる観音寺城の規範性
 09 観音寺城の防御を担った周辺城砦群

第六章 滅亡、観音寺城のゆくえ
 01 勢力減退の契機となった観音寺騒動
 02 分国法・六角氏式目の制定
 03 織田信長襲来、観音寺城から没落
 04 浅井・朝倉と結んだ反信長軍事行動
 05 近江退去後の苦難、子孫は加賀藩士に
 06 信長の安土城と六角氏・観音寺城
 07 山上に戻った近世の観音正寺と石寺
 08 観音寺城跡の保存整備と史跡指定

コラム 京都六角の地に置かれた守護屋敷/生前移譲が珍しかった家督継承/中世の惣村文書にみる領民との向き合い方/琵琶湖の湖上交通を盛んに用いた六角氏/一乗谷城等が観音寺城に「似ている」わけ/滋賀県安土城考古博物館

 もう目次だけでお腹いっぱいなんじゃないでしょうか。戦国時代以前の六角氏前史や権力としてのあり方やその中での観音寺城の登場とその位置や特徴、六角氏の退場や観音寺城のその後まで余すことなくトピックが綴られている。著名な初の楽市令の評価や浅井氏や畿内政局との関係、織田信長への視座など近年スポットが当たる部分も十分に抑えられていて、六角氏権力や観音寺城のあらゆる側面を網羅している。新谷氏の研究と『図説』シリーズも相性が良く、縄張図や遺構写真、文書写真、地図などがふんだんに使われる。『六角定頼』でも史料の書き下しや現代語訳を掲載していてやさしかったが、『六角氏と観音寺城』はよりビジュアルで攻めてくる一冊として差別化されているし、新しい趣があると言えるだろう。
 その一方で、大きく引っかかるのは往時の観音寺城のイメージがどこにも掲載されていないこと。遺構の写真や縄張図、位置の地図などには事欠かないのは先述した通りだが、六角氏の観音寺城の全体の姿をより直接に示すイラストなり復元図なりがない。一般人に縄張図から「そうか!この構造だとここにはこういう建物が…」とイメージさせるのは難しいと思うので、ここは復元イラストなりがどこかで欲しかったところだし、それがあれば文章で説明される観音寺城の特徴などがより伝わったことだろう。小谷城は復元模型の写真が掲載されてる(58頁)のにね…。
 そういった点もあるが、戦国期六角氏について『六角定頼』に加え今回の『図説 六角氏と観音寺城』で初心者スターターセットが揃ったと言える。本書では六角氏ファンについて(どれくらいいるのかわからないが)(146頁)とするが、まさに本書によってファンも増えていくのではなかろうか。こうした土壌が整うことで六角氏、引いては畿内戦国史での「気付き」も増えていくに違いない。