志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』感想

 『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』は間違いなくウルトラマンという作品が展開していく一つのエポックメイキングになったと思います。YouTubeで無料配信の上、100万以上の再生回数を叩きだしており、「配信形式のウルトラマンシリーズ」が成り立つことを知らしめたと言えるでしょう。当初よりスタッフが「この形式で続けて行きたい」と言っていたこともあり、傍目には「成功」と見えることから、当然の如くファンの間でも次回作への期待は高く、私も色々妄想していた一人でもあります。そしてその時がやってくるのは意外と早く、また想像以上でした。時間が90分以上に拡大したこともそうですが、3部構成に近年は相対的に出番に乏しかったウルトラマンがピックアップされまさに「望むところ」でした。スタッフも『ニュージェネレーションヒーローズ』から続投で実力や特色は織り込み済み…あとはどう可能性を広げていくるのかが焦点でした。そうして誕生した『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』実際どうだったのか、存分に語っていきたいと思います。

※前作『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』の感想
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【デジモンリアライズ】ラジエルモン雑論③~CGポリゴン編

 ラジエルモンのポリゴンを作ってくれてありがとう企画もいよいよ第3弾!にして最終回である。完結するのに1年以上かかったな…*1
 まずはこれまでの記事をおさらいがてら。
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 ここまでは実装ストーリーについてあれこれ言っていたが、いよいよ真打。「で、実際このポリゴンってどうよ?」である。

*1:関係者に熱狂を伝えたいという主旨はもはや欠片もない

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「ウルティメイトフォースゼロ~Side Story~」感想(2)

 TSUBURAYA GALAXY内連載小説「ウルティメイトフォースゼロ~Side Story~」の感想を(1)に続いて語ります(前回の内容と心構えについては以下リンクから)。

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  • スペシャルステージ ウルトラマンゼロ10周年 ANNIVERSARY THE LIVE
  • 第4話 ジャンボット編「エスメラルダ王家の秘密」 vol.21掲載
  • 第5話 ジャンナイン編「電脳の夢」 vol.22掲載
  • 第6話 「時との邂逅」 vol.23掲載
  • まとめ

スペシャルステージ ウルトラマンゼロ10周年 ANNIVERSARY THE LIVE

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 ウルトラマンゼロ10周年ANNIVERSARY THE LIVE」にて行われたスペシャルステージ。「ウルティメイトフォースゼロ~Side Story~」の前日潭でもあるということで、ここでついでに感想を開陳します。
 全体的にまさにショー向きといった趣きで、内面描写に迫るというより、ワイワイやる感じです。イベントでの関智一氏曰く、彼らは「本物」*1、ゼロ、グレン、ミラーの声も本人なので、現地にいたら限りなく本物な波動が感じられたことだと思います。そのくせ結構勝手に動いてるところもあるので、上演が1回だけ、ライブ配信も全体を見通せるわけではないというのはやや殺生なところもあります。見られないところで絶対何かやってるよね奴ら…なポイントがありそうなんですよね。
 粗筋を一通り喋ると、グレンファイヤーが落ち込むゼロを元気づけようと、ウルティメイトフォースゼロの合体技を提案するもので、その中でバタバタやってる中、ビートスターの残党(!)が現れて戦いになり、何だかんだで合体技が完成する展開になります。最初にプロローグ的に『ゼロファイト』2部再現が展開されるんですが、ゼロダークネスがウルティメイトフォースゼロを全滅させるところからやるからえぐいですね(笑)。いや(笑)じゃないが。
 基本的には口数の多いグレンファイヤーが引っ張ってお話が展開します。やっぱ関智の声がつくとイキイキしだしますね、奴は。主役のはずのゼロより喋ってたんじゃないか?ミラーナイトやジャンボットもゼロ・グレンには劣りますが、自然に会話しており、キャラクターを上手く出していたと思います。これに対してジャンナインはほぼほぼ喋りませんでした。ライブラリ音声は使っているので、本物指向ということであまり喋られなかったのだと思われますが、わざわざジャンボットがナインの言葉を代弁したりもするのは違和感が大きく、何とか出来なかったかなあといったところです。ちなみにジャンボットもたぶん神谷浩史氏ではなく、ウルフェス等でジャンボットの声を演じている方の代役っぽい感じでしたが、神谷声と聞き紛うくらい声を再現できていたのは、うれしい驚きでした。
 完成した合体技は「ファイナルウルティメイトフォースゼロ」!ファイナルウルティメイトゼロをウルティメイトフォースゼロの5人で放つ技です(小説の第6話によると、クリスタルがそれぞれのパーソナルカラーに輝くのが見てくれの違いらしいですが、ショーではたぶんそこまで再現はされてなかった…と思います(記憶が曖昧))。個人的にはウルティメイトフォースゼロに合体技を作るとしても、こういう形は避けて欲しかったと思ってたんですよね。ファイナルウルティメイトゼロにはダイナやコスモスもエネルギーチャージに加わることで放つファイナルウルティメイトゼロ・トリニティというバージョンもあり、これがあることで差別化が可能になった側面があると思っていたので。ファイナルウルティメイトゼロはチャージに時間がかかるのが一応のデメリットなんですけど、非ウルトラマンのウルティメイトフォースの面々だからこそ能力を生かした時間稼ぎが出来る一方、ウルトラマンだとパワーソースが同じなのでエネルギーチャージに加わることでチャージ時間が短縮できる、みたいな…。5人で撃つ、だとトリニティの二番煎じ的になっちゃわないか、ファイナルウルティメイトゼロを5人で撃つ、は誰しも思いつくけど、合体技ならもうちょい一捻りできないか…。直接関係ないですけど、『ウルトラゼロファイト』前に『テレビマガジン』でウルティメイトフォースゼロとボガールが戦う雑誌内展開の中でミラーナイトが最後ボガールの爆発を鏡で防ぐというのがあり、いつかこれ映像でもやってほしいくらい、いいアイデアだったな…。
 閑話休題。そういうわけでファイナルウルティメイトゼロを5人で撃つのが合体技になるのでは的危惧があったんですが…だからこそイージスでゼロが他のメンバーを庇う→「「「「俺・私たちもゼロを支える!!!」」」」→「「「「「ファイナルウルティメイトフォースゼロ!!!!!」」」」」の流れは…痺れましたね。『ゼロファイト』2部ラストのゼロの力でウルティメイトフォースゼロが復活→ゼロは力尽きて倒れ掛かる→他の4人が総出で身体を支えるの延長ですし、『ウルトラマン列伝』最終回のグレンファイヤーの「わかってんだろゼロ、俺達皆お前を信じてるてことを!俺達もわかってんだ、お前も俺達を信じてるってな!」が台詞だけだったのをもっとダイレクトにやったという形ですよね(後者はちょっとその後の立ち直りがあっさりだったので、小説第1話も含めて今回がすごくいいフォローになってると思います)。ウルティメイトフォースゼロこそがゼロに寄り添い支えることが出来る、その結実に5人撃ちを持って来られたらもう何も言えないですな。よくぞやってくれた!
 文庫本では第0話「合体技を作ろう!」として収録(まんまなタイトルだ)。池田氏のプロット→実際のショー→池田氏のノベライズという経緯だそうで、ショーに醍醐味を文章でもきっちり抑えています。ジャンナインの台詞もジャンボットの台詞を置き換える形で自然なものになっており、真っ当な5人感を出すことに成功しています。ノベライズならではですね。

*1:要するに中の人が…ってことでしょうね

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池田教正―受け継がれる河内キリシタンの記憶

 戦国時代は世界的には大航海時代と重なっている。ヨーロッパ世界の航海技術が著しく進歩して、ヨーロッパ世界から直接的に人物や文化が流入することが可能となった。そのヨーロッパ世界から最も遠かった国の1つが日本であった。しかし、その日本へも1540年代にはヨーロッパ世界から人物が到来するようになる。当初は九州を中心にして日本列島の人々は大なり小なりヨーロッパ人と交渉を持ち、興味を示すことになる。その結果としてヨーロッパ人が持ち込み布教を行おうとしたカトリックに入信する者たちも出てくる。彼らが真に教義を理解していたかどうかは一概には言えないが、それは間違いなく戦国時代から江戸時代初期を彩った一つの時代の形であった。
 キリシタンは地域などで一つの人脈を作っていく。1560年代からは畿内におけるカトリックの布教が活発化し、多くの貴顕にキリシタンが生まれた。彼らは相互に関係しあっており、特に河内国を中心にした人的結合は「河内キリシタンとも呼ばれている。その動向は三好、織田、豊臣といった中央政権の主宰者たちにとっては無視できないものであり、歴代の政権は彼らを有効活用もしていた。その「河内キリシタン」の代表者とも言えるのが池田教正である。教正は何を行い、何を遺したのか?これを探ることが「河内キリシタン」の時代が確かに存在したことを明らかにする大きな鍵になるだろう。

  • 摂津池田氏と池田教正
  • 「河内キリシタン」の誕生と池田教正
  • 三好家の争乱と池田教正
  • 元亀の争乱と池田教正
  • 若江三人衆としての池田教正
  • 豊臣政権と池田教正
  • 池田教正の「後裔」
  • 参考文献
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中脇聖編著『家司と呼ばれた人々』感想

 近年歴史関係の本は充実していっている。背景として研究の深化があることは間違いないが、一昔前だとなかなか出ないようなテーマでの一般書が出版されている。出版不況が叫ばれて久しい中、マイナー気味なテーマでの出版が可能であることは、それだけでありがたいが、同時に需要自体が広がっているからこそでもあるのだろう。こうしたWIN-WIN関係が拡大しつつ継続していってほしいものである。
 というところで近日発売されたのが『家司と呼ばれた人々』である。『伝奏と呼ばれた人々』の続編(?)的著作である。いやあスゴイ。一般人対象にアンケートとっても「伝奏」も「家司」も何なのかわからない人が多いのではなかろうか。それでも伝奏は「武家伝奏」という単語が朝幕関係では出来するのでまだ知っている人もいるかもしれない。これが家司となると完全に公家社会の中で完結してしまう存在(に見える)なので、公家社会にわざわざ突っ込んでいかないとわからない。そもそも鎌倉時代以降の公家社会というのは教科書でも触れられないし、それもあって一般的に影が薄い。私自身、家司って何?と問われても「公家に仕える公家」程度の合ってるかどうかの確信がない答えしか示せない。ましてや、具体的に活躍した家司など1人も名前を挙げて説明できない。私の不勉強さゆえだが、歴史ファンでもこういう人は多いのではなかろうか。
 そんな中彗星の如く、家司とは何ぞや?を提示する一般書が出るのだから、偉大と言うほかない。需要は完全に未知数だったはずである。知らないことを知る機会を与えてくれたことに感謝である。
 編著者の中脇聖氏は土佐一条氏の研究を本分としていらっしゃる研究者で、土佐一条氏から派生して行く形で長宗我部氏や明智光秀についても書かれている。編著を引き受けているのは、序章によると氏が今回の企画の仕掛け人だからということらしい。ところで、氏は年来土佐一条氏を「公家大名」や戦国大名の一種とする見方を否定し、あくまでその存在は在国の公家であったと位置付けている。すなわち、何が公家であり、何が大名なのか?ということに常人より敏感であり、特に公家の組織について碩学であるということになるだろう。家司とは何か?という命題を切り拓いていくことに適任者と言えるのではなかろうか。

家司と呼ばれた人々:公家の「イエ」を支えた実力者たち

家司と呼ばれた人々:公家の「イエ」を支えた実力者たち

  • 発売日: 2021/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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三好家から見た「麒麟がくる」

 麒麟がくるはかなり久々にちゃんと視聴している大河ドラマになっている。こんなにちゃんと観てるのはたぶん「真田丸」以来か…ってめっちゃ最近(4年前)じゃねーか。でもまあそれ以前となるとたぶん「風林火山」あたりまで遡ってしまうのでかなり久しぶりな心持ちもそこまで誤った感覚ではあるまい(一応間のものも断片的に視聴するなどはあった)。
 久しぶりに大河ドラマに興味を持ったのはある程度畿内戦国史がやれる久々の土壌だったことが大きい。戦国時代ものはここ10年でいくつもあるが、地方が舞台であったり、織田信長豊臣秀吉中心のストーリー作りだと畿内の武将らは敗者と言うか退場すべき存在以上に造形されない問題がある。そういうわけで畿内戦国史にある程度フォーカスできるストーリーと大河ドラマはあまりめぐりあってこなかったのである。特に「麒麟がくる」は放送前から室町幕府の終焉を描く」「最新研究を取り込む」「織田信長を単なる革新として描かない」旨を明言していた。畿内戦国史研究はここ20年で飛躍的に進歩した分野であるのでそれらを取り込んだ「新しい」ドラマになることが期待されたのである。
 と、ここで一つ。大河ドラマは史実再現VTRでもなければ、最新研究開陳場所でもない。45分×40回以上の時間で紡がれるドラマを楽しむものである。だから、松永久秀が主家三好氏に下剋上をするような悪人で最期が爆死であっても、そのドラマの中でのキャラクターが一貫し、視聴者に面白さを提供できれば良いのであって、史実と違うと口を挟むのは本来当たらない行為である。
 ただし、だからと言って、史実を完全に無視してしまって良いわけでもない。特に大河ドラマは、これまで基本的に史実に則ってきたことが、そのブランドでもあった。過去の大河ドラマもこの点はやや危ういところもあった(主人公が不自然に歴史の重大な舞台に参画してキーキャラを演じるなど)が、概ね大きな史実を曲げていない、と思われる。だからこそ、近年の歴史研究を反映した歴史像、人物像の変化には無縁ではいられず、それを取り込むことも求められる。
 製作者は、第一にドラマとしての面白さを追求しつつ、歴史再現としておかしくないものを目指すのが、「大河ドラマ」と言えよう。ただ、これがよく出来すぎると、ドラマの人物造型や展開が「史実」と見なされる向きもあるし、実際この記事での評価も双方の視点が混在してしまっているが…ご海容願いたい。

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明智光秀と松永久秀の関係

 大河ドラマ麒麟がくる明智光秀が主人公のドラマだが、松永久秀の存在もそのドラマを彩っていた。何せ、久秀は第1話から登場し、最終回の5話前である第40話まで出演し続けた。もちろん間に出ていない回も多いが、間違いなく松永久秀は主要登場人物であった。人物紹介における「したたかな生き方で、若い光秀に大きな影響を与える」の通り、久秀は光秀の戦国人としての先輩であり、教師でもある存在と言って過言ではない。
 ドラマの中では、久秀は斎藤道三の家臣であった光秀を初見で気に入って鉄砲を融通したり、光秀が三好長慶重臣である久秀に働きかけて織田信長暗殺を阻止するなど、明智光秀が大きな存在となる以前から久秀との交流が描かれていた。当然のことながら、これらのドラマは史実ではない…と言うか、明智光秀が史実に姿を現すのは、足利義昭織田信長が上洛を目指す頃からなので、それ以前にどこで何をしていたのかはわからず、何とも言えないのであるが。
 それでは、史実における光秀と久秀はどのような関係だったのだろうか。永禄11年(1568)に成立した足利義昭室町幕府幕臣として、明智光秀の名前が現れはじめる。松永久秀も幕府を支える大名であったので、光秀と久秀には面識があったと見なすべきだろう。元亀2年(1571)に松永久秀高槻城を包囲した時には、光秀が調停役として赴いてもいるので、顔見知り以上の関係もあった。そういう意味では、(あくまでドラマで、ということではあるが)光秀と久秀が知人であり、それは古くからのものと描くのも、脚色としては十分アリな部類となる。

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