志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

「ウルティメイトフォースゼロ~Side Story~」感想(1)+心構えについて

 ウルトラマンゼロ10周年記念生配信トーク番組「ウルトラマンゼロ TALKish」にて、目玉の一つとして発表されたのがTSUBURAYA GALAXY内連載小説「ウルティメイトフォースゼロ~Side Story~」でした。TSUBURAYA GALAXYは円谷作品をより楽しむための有料サイトで、限定コンテンツも多くあります。そうしたものの一つとしてウルティメイトフォースゼロが抜擢されるのは、「金になる」と見なされているということで、若干の安堵がありますね(私もまんまと釣られているので大成功ですね!?)。
 さて、内容としては『ウルトラゼロファイト』と『ウルトラマンジード』の間を埋めるオリジナルストーリーと宣伝されています。全6話でウルティメイトフォースゼロの各員が主役のストーリーが1話ずつ紡がれる模様です。書き手は池田遼氏。正直この手のものは足木淳一郎氏がよく書かれている印象があったので、池田氏というチョイスは少し意外でした。とは言え、池田遼氏も『ウルトラマン列伝』以来総集編構成などを歴任しておられますし、特にハズレというわけでもないですね。
 そういうわけでウルティメイトフォースゼロの新たな物語が始まることになり、基本的にとても喜ばしいということになったわけです。ただし、「基本的に」は含みがありまして、読み込むにあたって不安と言いますか、心構えが必要なこともあります。まずはそういったことから語っていこうと思います。
 周知の通りウルティメイトフォースゼロは『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』で初登場しました。この映画は製作期間が短く、そのため監督を任されたアベユーイチ氏が脚本も手掛けています。つまり、『ゼロTHE MOVIE』のストーリーライン、キャラクターに占めるアベ監督の比重というのはものすごく高いわけです。しかも、アベ監督は大変魅力的なアイデアマンで、『ゼロTHE MOVIE』についても世界観やキャラ設定に深く関与する裏設定を豊富に持っています。公認トークイベントなどでその一端をお聞きしたこともあるのですが、アナザースペースにおける世界観の成り立ち、「あれはそういうことだったのか」というものがわんさかでした(ちなみに当たり前ですが、内容は口外できません)。


 そして、アベ監督は『ゼロTHE MOVIE』後も『ウルトラマンゼロ外伝 キラーザビートスター』や『ウルトラゼロファイト』第2部「輝きのゼロ」など、ウルティメイトフォースゼロをメインのキャラクターに据える作品でメガホンを取り続けました。もちろん、アナザースペースやウルティメイトフォースゼロの登場というのはアベ監督作品以外にもありますし、アベ監督が創造した事物に後に非アベ作品で新しい性格が加わることも珍しくはありません。ただし、そういった作品は現在でもあまり多くはなく、ウルティメイトフォースゼロに関しては非アベ監督作品で新しい色が加わったとは言えません。
 さらに、ウルティメイトフォースゼロの場合、各メンバーのキャラクター理解という問題があります。ウルティメイトフォースゼロで、そのキャラクターらしからぬ言動があった場合、スタッフの勉強不足なのか、キャラクターの予期せぬ新たな一面なのか、そうだとしてそれは本質なのか、変化なのか…ゼロシリーズでの登場ではそういった「了解」を形成するところまでは行き着きませんでした。ウルトラマンゼロはこの点がかなり上手く行き、個性的な監督陣に揉まれながら、声優の宮野真守がゼロというキャラクターに入れ込んでキャラクター性を担保することで、カミソリのような不良キャラからギャグもこなせるナイスガイとして「定着」していったんですけどね。ゼロには豊富な蓄積があるので、新しいスタッフがゼロにキャラクター上おかしなことをさせようとしても、「ゼロはこんなことはしないのではないか?」というストップが入りやすい環境にあります。これに対して、ミラーナイトが急に「です・ます」調ではない喋り方をしたり、ジャンボットが「~さ」とか言いだすと、「本当にそのキャラで合ってる?」と思ってしまいます(以下参照)。
monsterspace.hateblo.jp

 そこにアナザースペースやウルティメイトフォースゼロにはアベ監督が裏設定を持っているという問題も加わります。キャラクター設定が共有されているとは言えないウルティメイトフォースゼロは一方でキャラクター設定に深く関わる裏設定がある。これは書き手による独自解釈が、残念にも解釈違いを惹起する場合、「これまでの映像作品的に違う」と同時に「アベ監督の裏設定ではそうじゃないんだけどな…」があり得るということです。
 もちろんアベ監督が持っている設定は所詮は、と言ってしまうと、公式設定でも何でもないものですし、知っている人間もイベントに参加した人数、多く見積もっても100人超えるかでしょう。UFZファンでも知らない人は知らないですし、無視してしまっても構わないものです。これから新しいスタッフがウルティメイトフォースゼロを用いる場合、アベ設定を熟知していろ!と言うのも健全ではありませんしね。ただ、上述のようにウルティメイトフォースゼロの創造者としてアベ監督の占める割合は大きく、私も裏設定を知っているわけで、あくまでも個人的な問題でありますが、アベ設定との距離感はどうなのかという思いは拭いきれないところでもあります。…結局のところゼロシリーズが「現役」の時期にウルティメイトフォースゼロがアベ監督から巣立てなかったのが、アベ監督以外でもアベ監督設定を知っておいてほしいという感情に帰着してしまうんでしょうね(今回はやりようによっては巣立つチャンスとも言い換えられると思います)。
 そういうわけで「基本的に」の含みは要するに盛大に込み入った解釈違いをされるかもしれないという点にあります。解釈違いがあった場合飲み込めるのか…これが「楽しむ」上で最大の問題でした。

第1話 ウルトラマンゼロ編「時の滝壺」 vol.18掲載

ウルトラヒーローシリーズ 31 シャイニングウルトラマンゼロ

ウルトラヒーローシリーズ 31 シャイニングウルトラマンゼロ

  • 発売日: 2015/02/21
  • メディア: おもちゃ&ホビー

 『ウルトラゼロファイト』第2部「輝きのゼロ」でウルトラマンゼロはシャイニングウルトラマンゼロの力を手に入れました。もっとも、「輝きのゼロ」ラストではゼロはシャイニングの記憶を失っており、変身能力を定着させてはいません。時間を巻き戻してしまうなどという力はアベ監督が言われるように「禁じ手」であり、そうほいほい使ってはならないと考えるのも当然ですね。
 しかしながら、バンダイとしてはシャイニングウルトラマンゼロのソフビを発売する以上、新しい出番が欲しいという話にもなってきます。また、坂本浩一監督には自分の手でゼロのタイプチェンジを活躍させたいという野望があります(笑)。この両者の思惑が合体することでシャイニングゼロは「禁じ手」ではなくなります。『劇場版ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!』におけるベリアル(エタルダミー)との戦いでゼロはシャイニングに変身し、ベリアルを倒すことになります。当然の如く「いつ変身できるようになったのか?」「シャイニングに自由になれるなら強すぎじゃないか」といった感想が多く見られました。
 公式から明確な回答がないまま、ゼロがシャイニングに変身できる流れが続き、『ウルトラファイトオーブ』や『劇場版ウルトラマンジード つなぐぜ!願い!!』を経て、シャイニングには「自由に変身できるがその分身体に大きなダメージがある」というデメリット設定が付与されていきます。現行の『ウルトラマンZ』でもこの設定を上手に生かしており、「シャイニングに自由になれるなら強すぎる」といった点は「禁じ手」から「奥の手」に転換することで軟着陸した感じでしょうか。
 一方で「どうやってシャイニングに自由に変身できるようになったのか?」は浮いたまま来ていました。実はこの問題もアナウンスが全くなかったわけではなく、『ウルトラマン列伝』104話(最終話)「ウルトラマンゼロ!新たな戦いへの決意!!」にて『ゼロファイト』2部の総集編を交えつつ、自身を失ったウルトラマンゼロと発破をかけるグレンファイヤーのドラマが展開され、ゼロが「俺は…俺達はもっと強くならきゃいけないんだ!」として〆ていました。この話を知っていれば、何となくゼロはさらに強くなって色々と克服したんだろう…くらいには思えるようになっていたわけですね。もっとも放送当時はシャイニングを使いこなすための布石になるとは思っていなかったのですが。
 ただし、『ウルトラマン列伝』は現在では再視聴の手段がありません。総集編ではゼロやベリアルに関する興味深い描写もあったのですが、そういったところも『ウルトラマンジード』で上書きされてしまったためか、近年ではムックでも内容について触れられなくなりました。現行ウルトラはニュージェネレーションシリーズで新規ファンも獲得していますが、新規ファンにとってはボイスドラマのゼットくんのように「100回記念の陛下の番組ジャックって何なんすか~?」状態ですよね。現在では事実上列伝総集編は「なかった」状態でして、これがシャイニングを習得した根拠だ!とは強く主張できません。
 そういうわけで、どうやってウルトラマンゼロはシャイニングへの変身能力を会得できたのか?は重要な案件にも関わらず、残された謎でもありました。この一端が明かされるのが今回の「時の滝壺」となります。ウルトラマンゼロに関しては、ニュージェネレーション以降のシリーズでも出番が多く、ウルティメイトフォースゼロ小説という体裁の中で何を描けるのか?というところで、シャイニングの話なのはまさに望むところですね。
 まず驚いたのは、上記の『列伝』最終回の内容が前史として組み込まれていることです。『列伝』の独自パートの内容が現在の「正史」としては微妙になっているのも書きましたが、今回で「正史」には近付いたと思います。ゼロの再出発にグレンファイヤーがちゃんと関与しているという『列伝』最終回の内容は否定されるものではないのでうれしいですね。
 「時の滝壺」とは何なのか、ゼロの決意とは何か、何が起きてシャイニングに再変身できたのか…こういったところまで語ってしまうと有料の意味がなくなってしまうので書きませんが、『ゼロファイト』までの出来事を享けたゼロの台詞と決意は読み応え抜群です。今回はウルティメイトフォースゼロの他のメンバーは出てきませんが、ゼロが仲間をどう捉えているかも言語化されるので、間違いなく「ウルティメイトフォースゼロ~Side Story~」です。記憶の濁流の中でゼロが見たものが何だったかは、ゼロのキャラ設定的に唸るものが持って来られています(まだちゃんとした設定出ないんですかね?とも思いますけど…)。
 シャイニングウルトラマンゼロに再変身するゼロですが、今回でも使いこなすところには至りません。ただ、再変身にあたる決意と追憶ははっきりしたため、どのような思いがシャイニングへの再変身を促すのかがしっかりと理解されました。私は昔『ゼロファイト』を評して、第1部が力の意味を探す旅、第2部が新たな力に目覚めるのなら、順序が逆なのではないかとも言いましたが、同じ力の意味に悩み使いこなそうとするというアプローチでも『ゼロファイト』第1部とは趣も処方箋も違う…こういったことが今示されたことでそれこそ時を超えた納得感があります。…まあ今やゼロは「え~い!」感覚でシャイニングになってますけど…そこは別腹で。

第2話 ミラーナイト編「合わせ鏡の秘宝」 vol.19掲載

ウルトラヒーローシリーズ 38 ミラーナイト

ウルトラヒーローシリーズ 38 ミラーナイト

  • 発売日: 2017/04/08
  • メディア: おもちゃ&ホビー

 第2話はミラーナイト!ミラーナイトもまたある種捉えどころが難しいキャラクターです。表層としては気品を重んじる騎士キャラなんですが、体育座りで引き籠ってしまったり、鏡の技が使えない時に豪快な肉弾戦を披露するなど、単にスマートな騎士として切られる造形ではないんですよね。これは私の解釈なんですけど、ミラーナイトの本質は「かっこつけ」なところにあると思っています。騎士というのは習得した人格であり、非常時になると騎士らしからぬ面を覗かせる、でも表層の騎士成分も嘘というわけではなくミラーナイトの人格の大部分になっている…このバランスの機微が映像作品の中では上手いと思っています(ショーはショーですけれども、ネタ的に体育座りを披露したりするのはそこまで好きではないですね。もちろん内容によりけり(笑いを取るのが大事なシークエンスであるなど)でもありますが)。そして、これらが重なった先には「余裕」があるんですよね。ちょっと相手を挑発しすぎるような台詞がまさにミラーナイトの騎士らしさと騎士らしくなさが止揚される真骨頂でしょう。またこれが緑川光氏のスマートイケメンながらも奥底に太さもある声質にすごく合致するんですよ!こういう多面的なミラーナイト(個人の解釈です)を氏の声が担保していると言っても過言ではない!…失礼、とにかくミラーナイトも一筋縄ではいかないキャラクターなので、どのようなミラーナイトが見られるのかは最大限注目するところでした。
 で、今回のミラーナイトと言うと…ベリアルウィルスに乗っ取られたことや、ゼロダークネスに倒されたことはミラーナイトにとって深いトラウマになっており、心の中で枷になっています。考えてみれば当然なんですよね。グレンファイヤーこそ『列伝』最終回で「仲間であるゼロに殺されること」を何とも思っていないことを語り、他のメンバーもそうであると解させる構成になっていましたが、グレンがそうであっても、あるいは他のメンバーも表面的にそう見えても、ゼロダークネスの一件を受けて何もないなんてことはないはずです。そういった意味では1話に続いて目の付け所が良いですね。『ゼロファイト』と『ジード』の間のミッシングリングとしてはうってつけです。
 もっともミラーナイトもただトラウマに塗れるだけでなく、ゼロが前に進む意志を見せたことで、ミラーナイトもトラウマを気に掛けないようにしています。それでもなお…だからこそトラウマでありお話になるわけですが、ちょっと無理をしてるのが私のキャラ解釈にも合いますね。そして、ゼロの「すすむ」意志がミラーナイトの支えにもなっているのが、「「「「すすめ!ウルトラマンゼロ」」」」が一周してきてて良いですね。
 そしてミラーナイトがそのトラウマを認め、本音を語った時、ミラーナイトは真の力を発揮できる…大きな傷を時間とともに癒すことができる…。お話としては1話の流れにも似ていますが、時の流れを操るのではなく悠久の時の流れをある種信じるのが違いでしょうか。ミラーナイトは自身が引き籠りながらも王宮を守護し続けたやべーやつなので、規格外の実力を発揮するパートがあるのもうれしいですね(どうしてもウルティメイトフォースゼロはゼロの突出がフィーチャーされがちですけど、他のメンバーもポテンシャルはすごいんだぞと言いたいので)。
 ところでサブタイトルの「合わせ鏡の秘宝」について語っていませんが、これも面白い伝説であり、これまでミラーナイトがあまり絡んだことのないキャラクターでもあるので、お楽しみ要素ですね。「いや先ほど無理かもって…」と振り回されるミラーナイトは「新しい側面」として見られます。ミラーナイトの「新作」として的を射ていて滋味のある物語でした。

第3話 グレンファイヤー編「炎の戦士と氷の少年」 vol.20掲載

ウルトラヒーローシリーズ 37 グレンファイヤー

ウルトラヒーローシリーズ 37 グレンファイヤー

  • 発売日: 2017/04/08
  • メディア: おもちゃ&ホビー

 第3話はグレンファイヤー。個人的には『ゼロTHE MOVIE』追体験的に進み、3話はジャンボットかなとも思ってたのでややアテは外れました。グレンファイヤーも一癖も二癖もあるキャラクターなんですが、とにかく特撮に関しては驚異的に軽いフットワークを見せる関智一が声優を務めているということで、出番も多くその中でもアドリブも多く、関智一という演者にキャラクターが乗っ取られているのが現状です。実際コメディリリーフとしてのグレンファイヤーは私が知る限り結構受けは良いので、これも一つの道だったのでしょう。一方で関智一氏が演じていれば、それがグレンファイヤーという担保としても機能していたわけです。
 今回は小説ということで、ライブやイベントを別にすれば結構久しぶりにグレンファイヤーから関智一というファクターが外れたことになります。「久しぶり」どころかもしかしたら初めてかもしれませんね。関智一抜きのグレンファイヤーが今お出しされるとどうなるのか、新鮮でもあり不安でもありました。
 実際どうだったのかと言うと、文字だけの台詞だとやはり物足りなさはありました。ただ、書かれた台詞の間で無駄口を叩いてるような気もするのは、関智一氏が作り上げてきたキャラクター力ですね。
 お話としてはある少年との交流の話です。グレンは炎の海賊の中では秘蔵っ子ですし、ウルティメイトフォースゼロの中ではコメディリリーフ、ボケ役で、振り返ると正統な兄貴分成分が少ないんですよね。そういうわけで、王道なハートフル物語に仕上がっていてグレンの本質的かつ新しい側面を見られた気がします。グレンが伝えたゼロの言葉が勝利の鍵になるのも、ウルトラマンゼロのスピンオフとして、またグレンファイヤーがウルティメイトフォースゼロに参加した意義やアナザースペースにとってのウルティメイトフォースゼロの意義に想いを馳せられて趣深さを覚えます。
 ところで今回個人的に注目なのは、レギオノイドに隊長機がいるという新設定です(今回登場したのはネグロと呼ばれる真っ黒な機体です)。まさかの登場10年目にして設定追加!隊長機は通常のレギオノイドより強く、五本指の腕と武器を持っているのが特徴のようで…要するにレギオノイド ダダカスタマイズの色違いをイメージすればいいのでしょう。ということは、『ジード』での初登場時ゼロビヨンドを退けたことで話題になったダダカスタマイズもダダが鹵獲したのは隊長機であった、ということでしょう。こんなところでダダカスタマイズの強さの由来が補完されるとは驚きというか、芸が細かいですね。
 そしてさらに妄想を膨らませると、ダダカスタマイズの腕はビートスターの腕で、ビートスターの手はジャン兄弟の手なので(造形データを使いまわしている)、レギオノイド隊長機とジャン兄弟は手が全く同じということになります。ここに積極的に意味を持たせていくのなら、レギオノイド隊長機とジャンボットは同根の存在と言えるのではないでしょうか(レギオノイド隊長機の弱体化版としてαβが存在)。ビートスターもレギオノイド隊長機をベースに自分のボディを創造したんかもしれません。ロボットを操る能力も隊長機の司令塔機能が基になっているとか…。こんな風にアナザースペースの世界観にリンクしてどんどん妄想が膨らんで参ります。
 まあこれは「妄想」にすぎないものですが、レギオノイドに隊長機があるという新設定は面白い!ちょっと色を変えるだけで映像作品やゲームにも出せそうですし、例えばギャラクシーファイトシリーズの敵として出してもいいかもしれません。小さな工夫ですけれど、大きい可能性を秘めた新設定でしょう。

小結

 どれもそんな長くはなくさっくりと読めます。未就学児にはややハードルが高そうですけど、小学生相手なら読み聞かせても飽きずに意味が理解できるくらいの文章にもなっているのではないかな。端的に言って興味深い話ばかりであるだけにこの物語が「正史」として今後残っていくのかかどうかは確信しかねていますが、是非とも残してほしい物語です。危惧していたアベ設定との関わりについても、上手に接触を回避していると言いますか、キャラクターを理解して深めつつ、根幹の設定には触れないので、大きな齟齬は生まれていません。それでいて、アナザースペースの世界観はちゃんと広がっています。こういった場所があるのか、こういう人がいるのかという新鮮さはきちんと『ゼロTHE MOVIE』の延長上にあるので、「新作」として申し分ないでしょう。まだジャン兄弟の話が残っていますが、この調子なら結構いい線行きそうです。
 ただちょっと気になるのは台詞のノリが足りないことですね。口調が間違ってるとかこんなこと言わないだろとかそういう台詞はないんですが、一言で言うと硬い。ミラーナイトはそれで丁度いい感じですが、ゼロとグレンは声優さんの声が加わって、その中でアドリブもあって、それがゼロやグレンの生きている言葉になる、だから宮野声成分、関声成分が引き算された台詞になっている印象です。これはちょっとした発見かな。
 とりあえずは変なものが出なくてほっとしています。年末にはこの小説の前日潭となるショーもあるようなので、まだまだ楽しんでいけそうです(月980円分の価値は余裕であります)。小説やショーばかりと言わず希望は大きく持ちたいところでもあります。