豊臣秀長は豊臣秀吉の弟である。何でもないような事実であるが、秀長の存在はあまり意識されることがない。兄である秀吉が最下層から天下人に立身出世した話は江戸時代初期から創作の題材としてメジャーであるのに対して弟の秀長の影は頗る薄く、兄の物語の中でも滅多に出て来ないからである。例えば、秀吉物語の中で最初期かつメジャーで後のベースになったものに小瀬甫庵の『太閤記』がある。秀長は名前が出て来ないわけではないが、名簿の中に名前が現れるだけであり、人物造型は全くない。それどころか「秀長秀次秀俊*1などをば、甚しく取立給ひしが、何れか独御用に立給ひつる」(巻六)として、秀吉の「無能な親族」の筆頭に挙げられてしまっている。
- 作者: 桧谷昭彦,江本裕
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明治に入ると評論家山路愛山が積極的に歴史上の人物に対する評論を行っており、大著として『豊太閤』がある(この本は当時のベストセラーにもなっており人口に膾炙した)。この中では秀長はどのように描かれているのだろうか。ずらっと読んでみたが秀長本人は所々に頻出するものの、なかなか秀長評には辿りつかなかった。ようやく「豊臣秀次の位置の事」に秀吉の親族についてのまとまった記述があり、これによると秀長の評価は次のようである。
そも秀長は小一郎と称せし昔より秀吉に従ってほとんど同功一体の形あり。中国、四国、九州の合戦、いずれも兄と共に功を分たざることなかりき。されどその人と為りは兄に似たる所少かりしものの如し。(略)されど子というものなかりし秀吉にとりてはこの頼母しからざる弟もまた、まさかの時は家の柱の一本に数うべきものなりとせしならん。
流石に十把一絡げに秀長を無能とは断じていないが、つまるところ「能力が劣るが重用せざるを得ない親族」という評価になる。秀吉と「功を分たざること」がないなら、秀吉の功績に秀長を含めてもいいのではないかとか、そもそも秀吉と比べて同等かそれ以上の同時代人なんてどれだけいるのかとか突っ込みたくもなるが揚げ足取りに過ぎよう。
- 作者: 山路愛山
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