志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

「1565年6月19日付フロイス書簡」に見る永禄の変

 さて、先ごろ『フロイス日本史』に見る永禄の変への道 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』という記事を製作し、永禄の変への経過について何があったのか、考察を加えた(この記事の前提ともなるので、是非ともお読みいただきたい)。その時は『フロイス日本史』を用いたが、『フロイス日本史』は編纂史料であり、フロイスが後付けで編集した側面もある(だからこそ、変後の情報操作が含まれているのではないかという推測も行った)。ところが、その後になって『十六・七世紀イエズス会日本報告集〈第3期‐第2巻〉』に「1565年6月19日付フロイス書簡」という文献があるのに気付いた。明治6年以前の和暦と西暦では日付がずれるのでわかりにくいが、永禄の変が発生した永禄8年5月19日は西暦では1565年6月17日にあたる。つまり、この書簡は変の2日後に書かれたもので(実際には3日後以降の動静も記されている)、その情報の一次性は極めて高い。固より、だから変についての省察が正しいかと言えば、そうでもあるまいが、「起きたこと」に対する真実性は高いと考えられよう(この書簡が変の2日後に書かれたという事実からは、将軍横死という非常事態を至急かつ正確に報じなければならない事情が看取される)。
 それではこの「フロイス書簡」は永禄の変をどのように報じており、『フロイス日本史』とどのように筆致が異なっているのか、これを確認していこう。

続きを読む

なぜ織田信長は三好康長(康慶)を重用し続けたのか?

 三好康長どちらかと言えばマイナーな三好一族の中ではそこそこ名前が知られている武将ではないかと思われる。なぜなら、康長は織田信長重臣となっており、近年は本能寺の変の原因として四国説がクローズアップされる中、四国説のキーマンとなる人物だからである。来年放映予定の大河ドラマ麒麟がくるでも、主人公が明智光秀であるからには、康長も登場することは間違いなく、ドラマの中での役割やキャストには今から期待している。…ってそういうことを言いたいのではないのだが。
 しかし、三好康長は織田信長の家臣としては新参であり、それまでの長きに渡って明確に信長の敵であった。康長を一転して重用するに至った信長の判断は興味深く思われるが、あまり説得力のある説明は聞いたことがない。しかも織田家臣としての康長は目立った戦功を挙げていないようにも見えるが、信長からの重用は信長が死ぬまでいささかも揺るぐことはなかった。これこそ四国説の鍵を握る事象であるが、これまたなぜそうしたのかという説明は聞かれない。
 ここでいう説明はされているのではないか?という方もいるだろう。例えば、長宗我部氏との取次である明智光秀と康長と結んだ羽柴秀吉重臣同士の対立であるとか、信長は長宗我部氏の勢力伸長を喜ばず、対抗馬の三好氏に肩入れするようになったとか。
 しかし、こう言ったところで説明になっているだろうか?例えば、長宗我部氏は織田政権の四国攻めが迫る5月下旬段階でも、基本的には信長の意志に従う姿勢を見せている。明智光秀こと惟任光秀が信長の無二の重臣であり、政権の中で重職を担ってきたのは今更言うまでもない。対して阿波三好氏は、天正以降畿内でも四国でも滅亡しかかっており、わざわざ肩入れする勢力としては心もとない限りである。信長の「上意」に基本的に忠実で、後継者信親に偏諱を与えている長宗我部氏を穏当に政権内に取り組む手段などいくらでもあるのであり、四国政策から光秀を排除してまで三好氏と結ぶ理由は実は乏しいのではあるまいか。秀吉と康長の関係を設定し、秀吉・光秀間の対立を見るにせよ、織田政権下での秀吉は四国政策に積極的関与はしておらず、そもそも秀吉と康長に関係があったとしてそのコネクションは何が狙いなのかなど*1、種々の新たな疑問が浮かぶ。しかして、それは三好康長がどのような役割を担っていたのかで説明可能なのではあるまいか。
 ちなみに三好康長は出家名の三好咲岩(笑岩)でも知られ、信長の家臣に転じた後は還俗して三好康慶を名乗るようになるが、この記事中では三好康長で呼称を統一する。

  • 1 三好康長が織田信長に従うまで
  • 2 三好康長の織田家家臣としての活動
  • 3 甲州征伐に見る織田信長の軍事観
  • 4 四国への直接介入の方法とは?
  • 5 三好康長の役割

*1:論者によっては秀吉と康長の関係を織田政権時代からとする人もいるが、私は秀吉と康長が関係を構築していくのは信長死去後であると考えている

続きを読む

足利義輝側近・一色藤長と三好氏

 去年『戦国遺文 三好氏編』の補遺ページをざっと見ていたら、ある書状が目に入ってきた。固より古文書など読めるわけがないが、「石力」「入魂」「(一色藤長)」などの文字が見え、どうやら石成友通と一色藤長が親しい関係にあるらしいことは何とか読み取れた。石成友通は(三好三人衆の一人として)まあ知っているとして、一色藤長も一応聞いたことがある名前ではあった。ただ、その時は友通と幕臣の繋がりを意識の片隅に置きつつもそれだけで終わった。
 そして、今年図書館に相互貸借で貸してもらった資料を返しがてら、歴史コーナーですっと『戦国期政治史論集 西国編』を採ると、目次に木下昌規先生の論文で足利義輝・義昭期における将軍御供衆一色藤長」があるではないか!これはもしや運命か?石成友通との「入魂」の記述から三好政権における友通の役割がわかるかもしれん…と食い入るように読んでみたものの…

高梨氏は、藤長は天文二十年の一件から三好氏との協調派であったとする。当時十代と思しき藤長と三好氏の関係については、ほかに関連史料がないため具体的には判然としないが、親密であったことを示す史料は管見上、見当たらない(224頁)

 結局、藤長と三好氏の関係性についての記述はほとんどなく(義輝期の動向はほぼ全て義輝や幕府との関係のもの)、若干肩すかしを食らうことになった。木下先生は戦国期室町幕府研究の大家でいらっしゃるが、どうやら友通との「入魂」を示す文書の存在を見落としておられるようである。
 まあそれはそれとして、当該時期、具体的には天文末年から永禄にかけての室町幕府と三好氏(三好政権)の関係性は近年議論が尽きないところである。戦国時代の室町幕府は俗に言われるような傀儡政権では決してなく、中央政権としての機能を曲りなりにも果たしていた。一方の三好氏は主家である細川京兆家相手に「下剋上」を成し遂げる中、畿内を支配して行くが、その支配秩序は室町幕府と一体化するものではなく、足利将軍(に相当する人物)を必ずしも擁立しない態度を持っていた。このあたりが三好長慶をして「戦国最初の天下人」と呼ばしめ、「三好政権」という呼称の由縁でもあるわけだが…実際室町幕府三好政権なるものがどのように併存し、宥和あるいは対立していたのかという点は現在でも明らかになっているとは言えない。今後の研究に期待したいところである。
 ただ、その中で一色藤長と三好氏の関係性はやはり一つの鍵となり得るものなのではないだろうか、というのがこの記事である。

  • 1 一色藤長の登場~三好氏に知行回復を頼む藤長
  • 2 義輝側近・一色藤長~石成友通との「入魂」関係
  • 3 その後の一色藤長~三好氏との決別
続きを読む

ウルトラマンフェスティバルinひらかたパーク2018-2019withダークヒーロースペシャルナイトの感想

 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と言った傍から去年の話ですが…まあ400年くらい前の話もしてるし、1年前くらいはどうってことはない、たぶん。

 平成30年(2018)12月25日にウルトラマンフェスティバルinひらかたパーク2018-2019(長いな…)並びにダークヒーロースペシャルナイトに行ってきたので感想を書いて行きます。前回はひらパーのチケットを買った上でウルフェスのチケットで展示パビリオンに入場する仕組みでしたが、今回はウルフェスのみの入場が可能になっていて、遊園地に興味がない場合はお気軽でいいですね(園内の飲食施設に出入りできないデメリットはありますが)。

続きを読む

三好政長(三好宗三)―細川晴元権力の体現者

 戦国時代、三好長慶細川晴元や将軍足利義輝と戦い三好政を樹立した。長慶は三好之長以来、受領名「筑前守」を名乗る三好氏の嫡流であった。一方で三好氏には多数の支流があり、長慶という「主流」にある時には従い、ある時には対立して生き残りを図った者たちもいた。三好政長(三好宗三)もその一人である。三好政長の歩んだ道は決して「主流」となることはなかった。しかし、彼が権力を得た階梯や趣味嗜好は畿内戦国史の中に確かな足跡を残している。政長は三好氏の中では傍流のさらに傍流という立場であり、決してなるべくしてのし上がれたわけではない。しかし、政長は細川晴元権力の要となって立身し権力を掌中に収めることになった。このような政長の立場を考えていくことは三好氏とは何かを探るためにも欠かせない。
 ところで個人的な話だが、なぜ三好政長なのか?と言えば、私は三好三人衆について、長逸は書いてみたので次は宗渭と思い、宗渭について書き始めたら前史としての政長が予想以上に膨らんでしまい分離したという経緯がある。しかし、三好政長について書くのは予想以上に難しかった。近年三好氏研究や戦国細川氏研究が隆盛しているのは実に有難いことであるが、両者の中でも政長はクローズアップされていないからである。三好氏研究は之長→元長→長慶の「嫡流」を軸としていて、政長は「もう一つの三好氏興隆の道であった」とされつつもその政治権力や立ち位置についてそれ以上突っ込むことはない。戦国細川氏研究は馬部隆弘先生が近年成果を上げており、三好政権に至るまでの細川権力の中の階梯について有意義な示唆を与えてくれる。しかし、その階梯は柳本賢治と木沢長政を語った後、その縁者であり晴元権力のキーマンであろう三好政長に焦点を当てず、高国残党の細川国慶細川氏綱へと視点がシフトしていく。そのため三好政長の畿内戦国史における役割というのは三好氏研究でも戦国細川氏研究でも非常にぼやけてしまっている。本記事はそのような三好政長を語ろうとするものだが、如何せん筆者による「脳内補完」や「妄想」の類がとても多いことをおことわりいただく。
(令和4年6月5日追記)
 と書いていたら、今年に入って馬部隆弘氏が三好政長についての論文を次々と発表され、政長についての情報はかなり深まった。その事実を早速反映し、色々と書き直しを試みる次第である。

※本記事は三好政長(宗三)に関する情報を募集しています。また事実の誤謬などありましたら遠慮なくご指摘くださいますようお願いします。

続きを読む

『フロイス日本史』に見る永禄の変への道

 永禄の変とは永禄8年(1565)5月19日、室町幕府将軍足利義輝が三好義継、松永久通、三好長逸らの襲撃を受け殺害された事件である。戦国時代の足利将軍は影が薄い存在のようにも捉えられがちだが、この事件は織田信長上洛のきっかけとなっただけに知名度も高く、足利義輝が抵抗の際奮戦したことから、義輝は「剣豪将軍」とキャラ付けされることも多い。その一方で事件そのものの畿内政治史における意義や、なぜ義輝が殺されたのかなどは一般的にはあまり意識されていないのではないだろうか。戦国時代の足利将軍は「傀儡」であり、実権を握る三好・松永氏に反抗したため、殺された、そのような「下剋上」の典型としての理解が今でも多いような気がする。
 しかし、戦国時代の室町幕府は傀儡として操られる権威だったわけではなく、統治機関としての実体性を備え、有力大名と連立して畿内の支配を実現していたことがわかりつつある。そのような中で永禄の変も実証的な研究が進み、現在でも定説があるわけではないが、通説に留まらない理解が示されて来ている(足利義昭と織田信長 (中世武士選書40)に永禄の変に関する諸説が端的にまとめられているのでおススメである)。その中で有力となっているのが、三好氏が行ったのは「御所巻」であり、最初から義輝を殺そうとしていたわけではないというものである。三好氏による御所包囲は公認された請願運動であったというこの説は、永禄の変が「下剋上」であるという理解からすると新鮮なものに見える。
 永禄の変御所巻説の大きな根拠となっているものの一つがフロイス日本史』である。『フロイス日本史』には確かに「三好殿」(三好義継)が義輝に訴訟ありとして「イワナリ」(石成友通)が訴状を提出する様が描かれており、義継が将軍義輝に政治要求を行ったことを記している。しかし、フロイス日本史』のこの場面は引用されることが多いが、『フロイス日本史』が記す永禄の変への経過はそこまで意識されていないのではないだろうか(なお、上記中世武士選書シリーズでは簡潔ながら触れている)。というわけで、何が書いてあるのか、読み直してみようというのが本記事である。

※その後、フロイスの書簡を見つけたので、色々と書きなおしました→「1565年6月19日付フロイス書簡」に見る永禄の変 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

続きを読む

『ウルトラマンジード』最終回で起こったことについて

 『ウルトラマンジード』という作品は私にとってとても啓発的な作品でした。ウルトラマンゼロウルトラマンベリアル、この2人のキャラクターについては、有難いことに彼らが生まれた時からずっと付き合いがあるわけです*1。『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』における衝撃な登場から始まり、色々なことがありました。『ウルトラマンジード』は彼ら2人のこれまでの流れのある種の結実という側面があり、様々な知見を得ることが出来たシリーズでもありました。もちろん『ウルトラマンジード』はニュージェネレーションシリーズの一作でもあり、ゼロシリーズからの要素を過剰に取り込んでしまっては、ウルトラマンジード・朝倉リクを主人公とする作品としての意義が薄くなってしまいます。ただ、私としてはゼロシリーズの延長に『ウルトラマンジード』が位置する意味は最低限必要だという認識を持っていました。具体的に言いますと「なぜベリアルの息子が必要なのか?」、これがなければ『ウルトラマンジード』のシリーズとしての存在意義は全くないと感じていました。

*1:5900年前や16万年前から付き合いがあるという意味ではない

続きを読む