先日、大河ドラマ『麒麟がくる』を見ていたら気になるシーンがあった。そもそも、タイトルの「麒麟」とは、作中においては京の娘・駒が幼少時ある侍に助けられた折、戦乱の世が終わる時に現れる動物として教示したものである。この駒の恩人である侍については、現状素性が明らかにされておらず、誰か実在の人物をモデルにしているのか、あるいは他の登場人物の親族(例えば、光秀の亡き父とか)、まさかまさかとしてタイムスリップしてきた光秀本人というような珍説すらあるが、興味を掻き立てられる存在であることは間違いない。作中では4話現在天文16年(1547)なので、駒の年齢等を考えれば、駒が戦災に遭ったのは天文法華の乱によるものではないかとも思える。だとすれば、細川氏の内訌が一段落し、宗教勢力との和睦にこぎつけ、当該期の京都にもおり、希望を口に出来、しかも「麒麟」を他者に投影できるような人物と言えば、かなり限られる。駒の恩人木沢長政説が説得力を持つ由縁である。
といきなり与太話から始まってしまったが、問題はそこではない。3話において、光秀(と師である東庵)に連れだって美濃の明智を訪れた駒は光秀の母と帰蝶の会話から、恩人の手掛かりの一端を掴むことになる。光秀の母がした昔話を駒も恩人から聞かせてもらったというのだ。ところで、その昔話とは簡単に言うと狐の嫁入りの話で、「旅人が妻を得る→子供も設けるが家の犬が妻に吠え掛かる→妻は狐の正体を明かしもう家にはいられないと去ってしまう→男は歌を詠む」という筋を持つ。ドラマでは美濃国に古くから伝わる話としており、これで駒の恩人は美濃出身という可能性がグッと高まるわけだ。
ところで、この話には典拠がある。『日本国現報善悪霊異記』という長ったらしいタイトルで通常『日本霊異記』と略される説話集に同じ筋を共有する説話がある(ドラマでは歌が微妙に違った)。以下に書き下し文として引用してみよう(一応言っておくが、原文は漢文である。難読漢字には()内にひらがなを振ってある)。
- 上巻第二縁「狐を妻として子を生ましめし縁」
続きを読む昔、欽明天皇(是は磯城嶋の金刺の宮に国食しし天国押開広庭命ぞ)の御世、三乃国大乃郡の人、妻とすべき好き嬢を覓(もと)めて路を乗りて行きき。時に曠野(ひろの)の中にして殊(うるわ)しき女遇へり。其の女、壮(おとこ)に媚び馴(なつ)き、壮睇(めかりう)つ(※要するに一目惚れしたということ)。言はく、「何に行く稚嬢ぞ」といふ。嬢答へらく、「能き縁を覓めむとして行く女なり」といふ。壮も亦語りていはく、「我が妻と成らむや」といふ。女、「聴かむ」と答へ言ひて、即ち家に将(ゐ)て交通(とつ)ぎて相住みき。
比頃(このころ)、懐任(はらみ)て一の男子を生みき。時に其の家の犬、十二月の十五日に子を生みき。彼の犬の子、家室に向ふ毎に、期剋(いのご)ひ睚(にら)み眥(はにか)み吠ゆ。家室脅え惶(おそ)りて、家長に「此の犬を打ち殺せ」と告ぐ。然れども、患(うれ)へ告げて猶殺さず。
二月、三月の頃に、設けし年米を舂(つ)きし時に、其の家室、稲舂女(いなつきめ)等に間食を充てむとして碓屋に入りき。即ち彼の犬、家室を咋(く)はむとして追ひて吠ゆ。即ち驚き澡(お)ぢ恐り、野干(きつね)と成りて籠の上に登りて居り。家長見て言はく、「汝と我との中に子を相生めるが故に、吾は忘れじ。毎に来りて相寝よ」といふ。故、夫の語を誦(おぼ)えて来り寝き。故、名は支都禰(きつね)と為す。
時に、彼の妻、紅の襽染(すそぞめ)の裳(今の桃花の裳を云ふ)を著て窃窕(さ)びて裳襽を引きつつ逝く。夫、去にし容(かほ)を視て、恋ひて歌ひて曰はく、
恋は皆 我が上に落ちぬ たまかぎる はろかに見えて 去にし子ゆゑに(この世の恋の全てが私の上にのしかかってしまったようだ。ほんの少しだけ現れて去ってしまったあの娘のせいで)
といふ。故、其の相生ましめし子の名を岐都禰(きつね)と号く。亦、其の子の姓を狐の直と負す。是の人強くして力多有りき。走ることの疾きこと鳥の飛ぶが如し。三乃国の狐の直等が根本是れなり。