志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

平成31年・令和元年度(2019)日本プロ野球総括記事

 スポーツ観戦というのは娯楽である。娯楽のはずなのだが、その実結構イライラすることも多いし、それでなくても感情は振り回されがちである。もっともそれこそがまた醍醐味という意見もあるだろうし、否定するつもりはない。ただ、私は精神的に強いタイプではないし、感情に流されるのもどうかなという冷ややかな野球ファンなので自我は保ちたいつもりでいる。
 そこでスポーツごとについては個人的に2つのルールを課すことにした。一つは「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」の精神である。どこかで聞いた言葉だが、意味としてはそのまんま。「うちは強いはずなのになぜ負けるんだ!」や「向こうは弱いのになぜ負けてしまったんだ」と考えるのはやめようということである。勝負は時の運という言葉もあるように、勝負事に絶対はないのが鉄則だ。必ず勝つということはない。それを謙虚に認めて楽しもうというものである。
 もう一つは「ルールの範囲内で行われたことは認めなくてはならない」である。スポーツの歴史はルールへの挑戦である。盗塁とかバントとか最初にやった人物は「はあ?」と思われたことは間違いない。が、それらは「そんなのアリか?」と思われつつ、「ルール上アリ」に落ち着いたからこそ定着したのである。まあ確かに「空白の一日」なんて褒められないものもあるが…。ここで言うルールは単なる規則ではなく、野球で言う審判のストライク・ボール判断にも適用される。卑近にすれば「今の誤審じゃないか?」という感情を引っ張るのはやめようということだ。
 ただし、ルールを甘んじて受け入れるべきと言っているわけではない。ルールは絶対ではないのであって、より良い形に変えて行かなくてはならない。審判も同様だ。誤審は許されるべきではない過ちであり、糺す手段があるのならそれが拡充されるに越したことはない。ルールは不断に改良されるべきなのである。こうした姿勢とルールの範囲内でゲームが行われているのを容認する姿勢は両立すると考えている。
 ということを前提に置いて、今年のプロ野球について総括してみたい。厳密に言うとFA戦線など今年の野球動向が全て終わったわけではないが、まあレギュラーシーズンは終わったので。

 私は特に楽天ファンと言うわけではないので部外者の戯言です。
 楽天近鉄の残党要素を含むとは言え、近年0から出発したチームと言えます。球団としての歴史がない、ということは球団カラーというのもなかったということになります。楽天はそうした点を強力かつ個性的な指導者を外部から招聘することで補ってきたと私は考えています(もちろん東北地方に誕生したプロ野球チームという点も見逃せません)。しかし、誕生して10年以上経ったからには球団カラーなるものが徐々に見えて来てもいい頃合いというのもあります。だから、球団OBである平石氏が監督となることは、「外部からの強権者」に依るものではなく、ようやく芽生えた「生え抜きの歴史」として結構感慨深かったんですよね。
 一応述べておきますが「外部からの強権者」の存在が悪いなんてことはないです。ただそれは「生え抜きの歴史」と両立可能であることが望ましいのではないでしょうか。別に共存不可能ってこともないでしょう。超絶お節介発言で恐縮ですが、チームとして良い未来を歩めることを願っています。

 気付けば普通に最下位だった。正直言うと福良監督を変えたところで劇的に何が変わるでもなかろうし、福良監督が「繋ぎ」であるのなら、それはそれで育成に振るというのもアリかとも思っていた。だから、西村監督になった時はチームとして何を目指しているのか中途半端に感じた。基本的にこういう勝負事は可能かどうかは別として常勝を目指すものだと思っているのだが…。まあ福良時代がチーム再建ルートに乗っていたのかというとそうでもないのだが、それにしても目指すべきチーム像の提示とそれに向けたチーム作りというのがわからない。それらが示せないほど役者がいないというわけではない…と信じているのだが。もちろん適当に勝っていく中で形が勝手に出来るというのでも良いのだが、そこまでの実力があるのなら苦労はしないのであって、とにかく夢を見せてほしい。

 原監督復帰はないわーといった感じで元からアンチ巨人なのと併せて好感度という点ではお世辞にも高いとは言えない。しかし、それはそれとして、去年段階の巨人は強力な勝ちパターンも頼りになる代打もプレッシャーがかかる代走もいなかった。原巨人と言えばそれらを駆使して勝つイメージだったので、再登板した原監督がどのようにそれらを整備していくのかある意味では着目していた。…で、結果としてどれも特に整備されないまま優勝してしまった。うーむ、あえて言えばそれでもやはり監督の人選が良かった、ということになるだろう。弱点を打力でごり押しした印象もあるが、ごり押しできるだけそれは戦力だったと言うべきなんだろう。阿部選手はお疲れ様でした。第3次原政権はこれで阿部監督への繋ぎルートだとはっきりしたと思うし、今オフの戦力減もあるので来年はまあ優勝が至上命題ってわけでもなくなるんじゃないですかね。

 うちは父親が極度のネガ虎なので、こっちとしてはこれの対応上かなりポジ虎を演じることになる。例えば「最下位なるんちゃうか」→「首位とのゲーム差の方が近いぞ」とか。そんな私でも阪神が3位に滑り込んだのは驚きしかありませんでした。ただまあ後付けで言うと、最後の追い上げにチームの形が合致した感じですか。もともと阪神は投手はリーグ屈指にいいわけなので、シーズン終盤日程がスカスカだったのに合わせて投手力に全振りする勝ち方が出来た。こうなると数ゲーム差なら追い上げ可能というわけか(もちろん中日の勝敗に依存した部分もありますけど)。ただ来年以降この戦法が使えるわけもないし、強力な野手育成という目標は忘れないでほしい。

 今年は異様にゴタゴタが続き、緒方監督も退任することになった。正直緒方采配に不満らしい不満もなかったので惜しい気持ちが強い。が、本人の判断なら止めることもないし、お疲れ様でした。今季は4連覇どころかBクラスでシーズンを終えたが、却って良かったんじゃないでしょうか。今年に関しては丸の穴ももちろん大きかったが、田中の不振によって打線が中盤まで思うように機能せず、3連覇を支えたリリーフ陣も中﨑を筆頭に頼りにならなかったという側面が大きい。明らかに連覇で疲弊していた。菊池も大リーグに行く可能性があるし(ポスティング次第)、常勝チームの維持と言うよりも再建が今後のテーマになるだろう。そうした中で新監督、Aクラスへも「挑戦者」となれるのは一概に悪いことでもない。カープは何やかんや若手にいい素材は取ってあるので、これからも応援したい。
 ところで、やはり今年のカープを語る上で避けて通れないのはある選手にドーピングが発覚したことだろう。はっきり言っておくがドーピングはプロ野球の核心である勝負性への最大の挑戦であり決して許されることではないし、球団の不手際というわけでもなく黒とはっきりした以上擁護されるべきことでもない。正直その選手は結構いい選手だと思っていたので心底ガッカリしている。しかも問題をさらにややこしくしているのはペナルティがペナルティとして機能していないことだ。かつて「たった一度の過ち」と口にした選手もいたが、問題を起こしたら即追放というのはやや乱暴だと思っている。今季序盤のカープは不振であったし、魔が刺してしまったというのもあり得る。であれば相応の罰を受ければプレーは妨げられるものではないだろう(もちろん野球ファンからはかなり厳しい声に晒されるだろうが)。と考えているのだが、ペナルティが思いのほか軽い。試合出場停止が6ヶ月、しかも罰が下されてからの換算って何じゃそりゃ…。オフシーズンも含んでいるのもあって実質的に1ヶ月の出場停止であり、本人は他国の試合なら普通に参加している。ルールがルールである以上これに従うべきで、その範疇での行動は咎めるべきではないとは思っているが、これは流石にルールがおかしい。せめて出場試合数だろ…。カープは11月下旬現在この選手と再契約していないが、もし再契約して来年のシーズン序盤から試合に出るようなことがあれば応援する気は起きないだろう。
 ところで、このドーピングについては野球ファンが以上のような問題に対していきり立つ一方で、スポーツ紙を始めとして野球に携わる人間からはあまり非難の声が聞こえず、その選手の不在も何なら怪我でもしていなくなったみたいな言及に終始した印象がある。それこそ阪神の居酒屋解説者などが「あの選手がクスリやってなかったら阪神はもっと上位云々」みたいにぼやいてもいいはずなのだが、幸か不幸かそのような発言を聞くことはなかった。ドーピングについては正直恥ずかしいし、再発防止もしてほしいのでどのようなルールが至当かも含めて識者でも議論が起きるべきだとも思うのだがそういう話も聞かない。いや、もちろん単に聞き流しているだけかもしれないのだが…。

 日本シリーズ敗退後原監督が言い出したのは露骨だったが、意外と揺れていて驚いている。ぶっちゃけて言うと、セ・リーグにDH制はいらないと思っている。もちろん、DH制が導入されたら導入されたで楽しめる野球がそこにあるとは思う。ただ、それが戦力の底上げになるのか、交流戦日本シリーズで勝てるようになるか…と言うかこれらが目的でしかないのなら導入するべきではないだろう。確かに21世紀に入ってから、特に日本シリーズに関して2010年代セ・リーグパ・リーグにあまり勝てていない。しかしそれはそれだけの話ではないだろうか。長い目で見ればそりゃそんな時期があるだろうし、今後永遠にセ・リーグパ・リーグに勝てないというわけでもあるまい。日本シリーズに関して言えば、今年でようやくセとパの日本一数が並んだわけで、それまではセの方が日本一は多かった(半分以上巨人だけど)。パ・リーグセ・リーグに勝てていない時代は話題になっていなかったものが、セ・リーグパ・リーグに勝てなくなった途端に問題にしだすのはあまりにもセ・リーグ中心主義というものではないだろうか。まあこれはこれでいささか敗北主義じみているが、交流戦日本シリーズを除いたメインのシーズン試合やCSはセパ格差は関係ないので、そもそも格差が絶対的に意識されるもの、という点にも疑問がある。以上のように私はDH制を「必要性」のあるものと確信するには至っていない。
 いずれにせよ早急に決着が付く問題でもなかろうし、ルールのことだから煮詰まった議論を望みたい。