志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

三好康長の息子・徳太郎の動向と三好式部少輔との関係小考

 三好徳太郎は三好康長の息子とされる人物である。『細川両家記』の元亀元年野田・福島の戦いの三好勢の記述にも「三好山城入道笑岩斎。同息徳太郎」が見える。『両家記』は元亀4年(1573)に成立したとされるため、この記述の信憑性は高い。また、康長の文書上の初見は永禄2年(1559)で*1この時から阿波三好家の重臣だった*2。よって、元亀元年(1570)に成人している息子がいることに年齢から見ても不自然さはない。元亀に至るまで康長の息子の存在は確認できないため、徳太郎は天文末~永禄初年までに生まれ、永禄末年に元服(成人)したと考えられる。なお、『己行記』にも元亀4年(1573)年初に彼岸談義が行われた際「三好徳太郎聴聞打田内膳受法」と見え、徳太郎とその配下であろう横田(「打田」は誤記か)内膳(後の村詮か)が受法しており、この時期畿内に来ていたことが確かめられる。しかし、その後の動向はよくわからなくなる。

*1:『戦三』五五八「篠原実長等連署書状」

*2:なお、この時は「三好孫七郎康長」を称していた。永正6年(1509)に死亡した三好長秀の子がこの年に至るまで仮名というのは考えにくいため、恐らく康長は通説で言われるような三好元長の弟ではない

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【ネタバレ有】『名探偵ピカチュウ』感想

 ポケモン初の実写映画『名探偵ピカチュウを令和元年(2019)5月3日、公開初日に観て参りました。いい映画だったので、記事にしようと思います。
 まず、前提ですが、私はゲームの名探偵ピカチュウ3DSの体験版しかやってません(ケチ臭…)。だから、物語の核心については知らず、元のゲームと比べてどうかという比較も出来ませんが、それでもすでに名探偵ピカチュウの世界観に馴染んだと言いますか、大川透ピカチュウたまらん、探偵…いいじゃないかとなったわけです。名探偵ピカチュウをベースにしたという点では、元をとりあえず見知っているわけでそこは違和感なく期待大でした。

 一方で今回はポケモンの実写映画でもあります。ポケモンは公式絵やゲームでは表面がツルテカとしている感じで、そのまま出しても現実空間には馴染みません。よって、実写化にあたってはデザインに処理を加えるのが当然でしょう。ただ、今回の処理の仕方は表面の質感をリアルに寄せてみた感じで…正直あまり好きではないですね。リアルさをグロみたいなものと勘違いしてないか?ピカチュウやプリンのぬいぐるみ感は嫌いではないですが、リザードンなどの表皮はディテール過多で逆に不自然ではないかと思います。

 観る前に思っていたこととしてはこのようなことでした。それでは、ストーリーを追いつつ、つらつら感想を述べて行くことにします(ぶっちゃけ記憶が曖昧なところがあるので、ちょくちょく間違ってるかもしれません)。改めて言っておきますが、ネタバレをバンバンかましていくので気を付けてくださいね。
 ダラダラ長いだけの駄文なんて読んでられるか!って人は総括までのショートカットがありますのでどうぞ。

  • 総括

 なんとこの映画は公式から100分流出しているので、どうぞご覧ください。(僕は40分くらいで飽きました)


POKÉMON Detective Pikachu: Full Picture

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三好長慶の動員兵数はどれくらいなのか?

 昨年三好長逸の記事を完成させた後、Twitterで「三好長逸」の話題を探っていたら、偶然あるやり取りに出くわした。どうも最近ある本が出版されたところ、その著書には三好長慶の動員兵数は数千人程度であるという記述があり、読者と筆者がその件について話し合っていたようだ(と言うほど穏やかでもなかったが…)。その頃は正直「三好氏の動員数が数千レベルなわけないだろ」と漠然と思いつつ、たぶんその著書には三好氏が太閤検地的な動員を成し得なかったことが論証されているのではないかなと予測するに留まった。

 その時はそれで終わり、自分の興味は他に移って行ったが、年が明けて偶然その本を読む機会があった。さてどのようなことが書かれているのか…

三好長慶の本拠地は阿波と讃岐です。今の徳島、香川を戦略的な本拠地として、京都まで船でやって来ます。京都へ来て将軍を支援し京都周辺で大きな力をふるった。だから、岐阜を本拠地として将軍を担いだ信長と三好長慶は、外形的には変わらないと言っている。しかしこれは、軍勢の数を見ると明らかに違います。三好長慶が命をかけて戦っているとき、その軍勢は何千単位なんですね、中核となる兵力はせいぜい約三千でしょう。(略)それに対して信長は、あっという間に「何万」という軍勢を持ってきた。(略)このように編制できる軍隊の数字を採り上げるだけでも、信長と長慶はレベルの異なる存在だということは火を見るより明らかです。(158頁)

えっ(絶句)
 三好クラスタのみならず畿内戦国史を少しでも知っているなら、この論旨には「???」となるのではないだろうか。そもそもこれ論拠が何もないような…*1と言うのも釈迦に説法だが(以前どこかで論証されていたのかもしれない)(政治体制の比較から始まったのに軍事動員力を挙げてレベルが違うとする噛み合わなさも気になる)(長慶の本拠地を阿波と讃岐としてるのも微妙に間違ってると言うか、よく知らない感を醸し出してるな)。
 ただ、これが場末の意見なら「HAHAHA!ナイスジョーク!」と済ませることも可能だが、学者の新書だけに一般的影響力は少なくない。そもそも私の思いも絶対的なものではないし、間違ってる可能性も大いにある。これはちょっとちゃんとした史料に基づいて三好氏の動員兵数を計算せねばなるまい…。

  • 論の前提
  • 『言継卿記』天文14年5月24日条に見る細川晴元の動員兵力
  • 『言継卿記』による三好氏および他勢力の動員兵数
  • 『多聞院日記』による三好氏および他勢力の動員兵数
  • 『細川両家記』による三好氏および他勢力の動員兵数
  • 『永禄九年記』による三好氏および他勢力の動員兵数
  • 宣教師による三好氏および他勢力の動員兵数
  • 阿波三好家の動員兵力
  • 当座の結論:三好長慶の動員兵力とは

*1:これはただの難癖だが、織田信長が命をかけて戦った場面と言うと稲生の戦いで率いた数百、本圀寺の変に駆け付けた10騎、天王寺の戦いの3000、本能寺の変の100足らずなどが思い出され、当たり前だが命を賭けるような局面での兵数は少ないものである

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さらば平成

 平成が終わる。平成が終わり、令和が始まる。令和が始まることで何が変わるのか、私にとっては全くの未知の領域である。
 ただ、近代日本の時代は天皇とともにある。今上陛下が退位され、皇太子殿下が即位されることで、時代の空気感は徐々に変わっていくだろう。
 今回の改元は今上陛下の強い示唆によって実現したものである。その時以来、国民には退位を是認するとともに卑近な言葉で言うと「お疲れ様でした」というムードがあった。
 考えてみれば、これは奇妙なことではないか。
 歴史上、退位した天皇は数多いるが、ここまで退位が「引退」と不可分で、しかもそれがポジティブな例はなかったのではないだろうか。初めて退位した天皇大化の改新に伴った皇極天皇だったが、これは政変によるもので、しかも皇極天皇は後に斉明天皇として重祚している。中世において譲位は慣例となったが、これは位を退いた上皇こそが皇室の家長として振舞うため(院政が慣行となったため)でもあった。
 そういう意味では老齢による引退と同義的な退位は画期的だと言えるのかもしれない。

 近代の天皇は(当たり前と言えば当たり前だが)個性で時代を彩った。
 明治天皇は日本が近代化する中、大帝を自ら演じた。
 大正天皇は権威的ではなかったが、それゆえに等身大の君主として日本国民に通じた。
 昭和天皇は日本を導かんとした英邁な君主であった。
 しかるに、平成の天皇は古い言葉で言うと「近来の聖主」であった。
 聖代というのは、必ずしも平和を意味しない。一条天皇の御世は「聖代」とされることがあるが、それは御伽草紙の中では、鬼が出現する→源頼光らが鬼を退治するという話柄の中で語られる。国難が存在し、それへの対処が出来るゆえに「聖代」なのである。
 平成は内に災害多き時代であった。それゆえに天皇陛下の聖徳が発揮されたとも言えようか*1

 それにしても、天皇陛下が退位礼で述べられた言葉には含蓄があった。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

 これほど短い言葉でも国民に真正面から相対する態度が強く看取されるのだから、正しく徳と言うべきであろう。

 1000文字くらい書いてきたが、結局何が言いたいのかさっぱりわからない駄文にしかならなかった。天皇のことを書いているだけに畏れ多いことである。ただ、平成が終わる時に「何ともまとめがたいことを思っていた」証としてとりあえず形にしておくことにする。

*1:政治家が言ったら問題発言になりそうなやつ

4人の足利義氏―貴種足利氏が持つ権威と反権威

 「何と!足利義氏は4人いた!」
 「なななな何だってーーー!!!!」

となる人は多くないと思う。一般人なら「そもそも足利義氏って誰だよ」と一蹴されてしまいそうである。本質的には知識マウント以外の何物でもない記事だが、「4人もいたのか、知らない○人は誰だ?」という人は目を通しても損ではないんじゃないかと思う。
 足利義氏には、足利義氏足利義氏がいることはまだ知られているのではないだろうか。ただ、平成24年(2012)には足利義氏の存在が示唆され、足利義氏は3人になった。これだけだとどうにも足利義氏足利義氏足利義氏に比べて影が薄い感じだし、足利義氏列伝を構想するにはいかにも弱かった。ところが、平成30年(2018)足利義氏の存在が明らかとなった。この頃には「また足利義氏か」という感覚もあり、足利義氏が4人目というのも意識としてあった。よって、4人いるのなら足利義氏足利義氏足利義氏足利義氏に存在感が劣らず、何とか列伝でまとめられるのではないかという思いが初めて生まれた。そういうわけで足利義氏足利義氏足利義氏足利義氏についてまとめてみたのがこの記事である。足利義氏足利義氏足利義氏足利義氏はいかに足利義氏であったのか、存分に読まれたい*1
 …どうせだから、5人目も出て来ないかなあ…

*1:この段落が書きたかっただけでは…

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新元号「令和」に思うこと

 先立つ平成31年(2019)4月1日、来たる皇太子殿下の御即位に向け、新元号「令和」が発表されました。

 いやはや驚きました。
 新元号がおめでたく発表されるのは近頃あまりなく…と言うか、平成4年生まれの私からすると改元を体験するのも初めてなわけで、興味津々でありました。その中で新元号は何になるのか、色々と考えていたのです。なぜだか「安」が入る元号がやたら予測されていましたが、普通に考えて首相の名字と同じ字を使ってしまうと、元号が政治の道具になってしまうことになるので、それはないだろうなと。明治以降の元号イニシャルMTSHも避ける。そうなると、候補の字としては「光」「元」「弘」「永」あたりを使ってくるのではないか…そんな風に予想していました。


 予知夢ならず!

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DARKNESS HEELS WORLD(+ウルトラマンオーブダーク展)の感想

 平成31年(2018)3月30日大阪心斎橋のDARKNESS HEELS WORLDに行ってきました。ついでに同じ階でウルトラマンオーブダーク展も。ぼやっとしか情報を見てなかったし、心斎橋に土地勘もないので、同じ建物、同じ階で開催されているとは思わず、時間の測り方も誤ってしまった…。
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 入場特典はイーヴィルティガでした。
 そういうわけでオーブダーク展から触れたいと思いますが、料金無料だけあって、愛染グッズの売り場がほぼほぼという、あまり書くことがない…。
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 あ、置いてあったメカゴモラは当然ながら接触禁止ですが、柵などの類はないので、ものすごく近くで見られて、それは良かったですね。
 歴戦の傷跡残るメカゴモラ。劇場版R/Bにも出てましたが、いつまで出られるものやら。

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