志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

さらば平成

 平成が終わる。平成が終わり、令和が始まる。令和が始まることで何が変わるのか、私にとっては全くの未知の領域である。
 ただ、近代日本の時代は天皇とともにある。今上陛下が退位され、皇太子殿下が即位されることで、時代の空気感は徐々に変わっていくだろう。
 今回の改元は今上陛下の強い示唆によって実現したものである。その時以来、国民には退位を是認するとともに卑近な言葉で言うと「お疲れ様でした」というムードがあった。
 考えてみれば、これは奇妙なことではないか。
 歴史上、退位した天皇は数多いるが、ここまで退位が「引退」と不可分で、しかもそれがポジティブな例はなかったのではないだろうか。初めて退位した天皇大化の改新に伴った皇極天皇だったが、これは政変によるもので、しかも皇極天皇は後に斉明天皇として重祚している。中世において譲位は慣例となったが、これは位を退いた上皇こそが皇室の家長として振舞うため(院政が慣行となったため)でもあった。
 そういう意味では老齢による引退と同義的な退位は画期的だと言えるのかもしれない。

 近代の天皇は(当たり前と言えば当たり前だが)個性で時代を彩った。
 明治天皇は日本が近代化する中、大帝を自ら演じた。
 大正天皇は権威的ではなかったが、それゆえに等身大の君主として日本国民に通じた。
 昭和天皇は日本を導かんとした英邁な君主であった。
 しかるに、平成の天皇は古い言葉で言うと「近来の聖主」であった。
 聖代というのは、必ずしも平和を意味しない。一条天皇の御世は「聖代」とされることがあるが、それは御伽草紙の中では、鬼が出現する→源頼光らが鬼を退治するという話柄の中で語られる。国難が存在し、それへの対処が出来るゆえに「聖代」なのである。
 平成は内に災害多き時代であった。それゆえに天皇陛下の聖徳が発揮されたとも言えようか*1

 それにしても、天皇陛下が退位礼で述べられた言葉には含蓄があった。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

 これほど短い言葉でも国民に真正面から相対する態度が強く看取されるのだから、正しく徳と言うべきであろう。

 1000文字くらい書いてきたが、結局何が言いたいのかさっぱりわからない駄文にしかならなかった。天皇のことを書いているだけに畏れ多いことである。ただ、平成が終わる時に「何ともまとめがたいことを思っていた」証としてとりあえず形にしておくことにする。

*1:政治家が言ったら問題発言になりそうなやつ