志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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木下昌規『足利義晴と畿内動乱―分裂した将軍家』(中世武士選書・戎光祥出版)の感想

 近年の畿内戦国史研究は目覚ましい成果が上げられているが、当然ながら室町幕府研究もその一角を形成している。ではその実像はどうであったのか、という点は最近『戦国期足利将軍研究の最前線』が出たので、これまでの通説を見ながら最新像を手堅く、それでいて易く提示するにはこれが一番わかりやすい。

戦国期足利将軍研究の最前線

戦国期足利将軍研究の最前線

  • 発売日: 2020/06/01
  • メディア: 単行本

 ただし、『戦国期足利将軍研究の最前線』は基本事項に重きを置いている。と言うのは、何だかんだ戦国時代は100年あるのであり、その中で幕府機構も少なからず変質しているのだが、どちらかと言うと普遍性・一般性のある事柄を解説するようになっている。戦国期幕府を語る際の前提の再提示・共有という点では優れているのは間違いないが、移り変わる状況の中で幕府や将軍はどのようにそれらに対処し生き残ったか(または対処できず生き残れなかったか)という点に強く迫るものではなかった。特に幕府の首長である将軍の個性についてはそこまでページが割かれてはいない。
 もっとも足利将軍の個性についても近年は様々な著作が上梓された。代表的なものを挙げると、『室町幕府将軍列伝』、『室町幕府全将軍・管領列伝』、『足利義稙』、『足利義輝・義昭』などである。

室町幕府将軍列伝

室町幕府将軍列伝

  • 作者:清水克行
  • 発売日: 2017/10/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
室町幕府全将軍・管領列伝 (星海社新書)

室町幕府全将軍・管領列伝 (星海社新書)

  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 新書
足利義稙-戦国に生きた不屈の大将軍- (中世武士選書33)

足利義稙-戦国に生きた不屈の大将軍- (中世武士選書33)

  • 作者:山田康弘
  • 発売日: 2016/05/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 いずれも好著であり、戦国期足利将軍について重要な視点と提示を孕んでいる。特に『足利義稙』、『足利義輝・義昭』は戦国期室町幕府研究の大家・山田康弘氏が筆を執られていることもあって、足利義稙、義輝、義昭の再評価に熱が入っていて、大いに読み応えがある。
 こうした風潮の中で個人的に存在感を浮上させてきたのが足利義晴である。義晴の存在感浮上は単に義稙と義輝の評伝が出る中、2人のミッシング・リングに位置することも大きいが、それだけではない。村井祐樹氏が昨年『六角定頼』を上梓されたが、定頼にとって義晴は「天下人」であるための信任の源泉であり、義晴が「定頼に任せよ」と言わねば定頼の地位も成り立たない。また、馬部隆弘氏は波多野秀忠や木沢長政といった畿内下剋上の雄が「守護」として認められる過程で義晴との直接的な繋がりを指摘された。思えば、古くから義晴は「堺幕府」によって地位を追われたとされたり、政権機構の整備に内談衆を置いたり、研究成果自体は少なくなかった。このように足利義晴はいくつものトピックに包まれながらも、常に客体である将軍でもあった。
 しかし、戦国期幕府・足利将軍とその周辺の研究が進む現今、足利義晴が「主役」となる条件は揃った。そう感じていたところに、戎光祥出版さんの中世武士選書から足利義晴が出るというではないか!何という機を見るに敏な出版であろうか。

www.ebisukosyo.co.jp

足利義晴と畿内動乱―分裂した将軍家 (中世武士選書44巻)

足利義晴と畿内動乱―分裂した将軍家 (中世武士選書44巻)

  • 作者:木下昌規
  • 発売日: 2020/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 著者は木下昌規氏。木下昌規氏にとっては初の単著の出版となる。木下昌規氏と言えば、いっつも木下聡氏と混同してしまってごめんなさい…ではなくて*1戦国期幕府研究のスペシャリストの一人であり、過去の室町幕府の研究シリーズでは足利義晴足利義輝の編著と総論を担当されている。その総論の印象が強いからか、他の研究者の説を取り込みながらも、それを咀嚼することに長けている印象がある。また、自分の意見を押し出さずも平明に主張されており、著者が脇役になるタイプの筆致と見受けられる。一言で言えば、何が問題であるのかわかりやすく読みやすい。研究史上の足利義晴は義晴本人よりも周辺がピックアップされやすい旨を述べたが、多様な研究史をまとめ上げる能力という意味ではまさに木下氏はうってつけの人選と言えよう。

足利義輝 (シリーズ・室町幕府の研究4)

足利義輝 (シリーズ・室町幕府の研究4)

足利義晴 (シリーズ・室町幕府の研究3)

足利義晴 (シリーズ・室町幕府の研究3)

  • 作者:木下昌規
  • 発売日: 2017/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 本書は大きく分けて二部構成となる。第1部は「足利義晴細川高国の時代」、第2部は「帰洛語の政権運営と幕府政治」。第1部は動乱吹き荒れる中の若き将軍の成長物語、第2部は動乱に揉まれた将軍の実力発揮…といった趣きでなかなか滾りますね。
 ここからは気になったトピックをつまみ食いしていこうと思います。

 足利義晴の最初にして最大のライバルと言えば足利義維で間違いないでしょう。義維も何だかよくわからない人物なんですよね。『足利義輝・義昭』では足利義澄が阿波細川氏に義維を、赤松氏に義晴を託し、阿波細川氏の方が有力であることから、義維が正嫡であることを示唆されておりました。それに対して、本書では逆に義晴は義澄近臣を引き継いでいること、義維への認知が薄く「本当は誰の息子なのか」と訝しがられていたことなどを挙げて、義晴の方が「本命」であることを示唆されています。やっぱりこの問題はどちらが兄なのかも含めて難しいですね。足利義維という人物はやっぱりミステリアスなのでした。
 そして「堺幕府」論。私自身は「堺幕府」で良いのではないか?と述べたこともありますが、本書でのなぜ「堺幕府」は「幕府」ではないのか?という説明もかなり理に叶ったものでした。具体的には、

  • 侍所や政所といった幕府組織を備えていない
  • 諸大名への栄典付与、軍勢催促があまり見えない
  • 武家執奏を行わない、従う公家の不在

などが「幕府」と呼ぶ際の瑕疵として挙げられています(関係ないですが、こうした「堺幕府」の不備を見ると、後の足利義栄の政権は一応「幕府」とは呼べそうですね)。なるほどと得心もするんですけれど、じゃあ「公方府」や「政権」と呼んだ場合、それは何を以てそう言っているのか、逆に「公方」や機能する奉行人組織など「幕府」組織として「ある」ものはどう評価されるのか…等やはりまだまだ説明が必要なところは残る気もします(仮に「堺幕府」の首魁となるのが足利義稙だったら展開や評価は変わっていただろうか)。
 こう見ていくと足利義維も「堺幕府」も畿内戦国史に投げられた爆弾と言いますか、結局何なんだお前ら!?

  • 六角定頼との関係

 村井氏の『六角定頼』ではまるで幕政の重要事項が定頼に一任されているかのような印象でしたが、本書ではあまりにも定頼の判断を義晴が受容することから、逆に定頼の方が義晴の意向を忖度して意見を加えているのではという野心的な解釈がなされていました。本当にそうなのか?という点は、後に定頼が軍事的威圧をかけて晴元支持の方針に転換させたことや、「管領代」就任を渋りつつもいざ義輝元服を担当する段取りになると主体性を発揮し始めるなどの例もあり、確言するには難しいところだと思います。しかし、義晴がある意味定頼に言わせている、大名の意見を取り入れることを演出するというのは面白いですよね。思えば、『足利義輝・義昭』でも京都を占領・支配していた細川国慶が一転して将軍の「御敵」とされたのも、義晴と氏綱方とで新将軍義輝の武威を演出したのではないかという解釈が提示されていました。義晴が義輝に託した「まじない」もある種演出と言えるかもしれませんし、そう考えていくと、足利義晴という人物は権威性の演出家として優秀だった…という人物造型も可能でしょうね。
 それはともかく、『六角定頼』では定頼→義晴を見ていましたが、本書は義晴→定頼であるわけで、それで齟齬が出るかと言うとそうではなく、定頼にとっても義晴は大事だし、義晴にとっても定頼は大事なんですよね。それぞれの評伝の内容が共鳴しあっていて美しい…。なぜ三好長慶織田信長はこうならんかったんや。

 細川元常結構この人に文章が割かれています。これまで義晴幕府では在京大名制が崩壊し、在京するのは細川晴元、六角定頼は在京せず、完!みたいな記述だったんですよ。しかし!細川元常よく考えたらこの人も在京してるじゃん。そう思いかけてたところだったので、元常も義晴幕府を支える在京大名としての働きを無視してはならないだろうという筆致は、運命的な「我が意を得たり」でした。元常の地位は在京大名でありつつ、晴元を首魁とする細川氏の長老であり、子の晴貞や守護代松浦守に和泉在国支配を任せつつその最終責任者でもあるという独特の立ち位置です。岡田謙一氏が一応論考を著してはいますが、まだまだ掘る余地を残した当該期の重要人物です!
 その一方、元常関連で引っかかったのは家族関係についてです。本書ではもちろん留保付きではありますが、三淵晴員が元常の弟とする説を引っ張っています。どうだろうなこれは…。もちろん明確な否定材料こそないですけど、元常と晴員を兄弟とするのは熊本藩細川家の系図だったと思います(それ以前にあったらごめんなさいね)。熊本藩細川家は勘違いから、細川藤孝の養父を元常としていましたので、藤孝の実父晴員を元常の弟とするのは、血縁としても和泉上守護家を継いでいるという作為ではないですかね。晴員の生年は明応9年(1500)で元常の父・元有は同年に戦死するため、親子関係の設定もギリギリです。
 何より不審なのは、晴員とその姉妹の佐子局は義晴幕府の要人でしたが、元常と近親であることが同時代史料からは全く読み取れないことではないでしょうか。家族関係がもしかしたらあるかもしれないような書き方は変に誤解を招いてしまうのではないか。
 ちなみに89頁には大永8年7月13日に細川元常の代官が上洛したとしますが、典拠である『二水記』を見たところ「右馬助代次郎・中坊等」となっているので、この「右馬助」は元常ではなく細川晴賢ではないかと思われます(今元常について調べているので、「元常の代官!?誰や?」と思って確認してみたら、「これ元常じゃなくない?」となって残念でした)。

  • 人名表記

 細川高国と一括して書かれがちな高国ですが、本書では道永→常桓という出家名の改名まで追っています。おかげで「道永方」と書かれても、一瞬の間があってから「ああ、高国か」となる現象が発生しますが、確かに「高国」オンリーだと彼が法体であることは意識されにくいので、今回の書き方の方がいいかもしれません。余談ですが、ちょっと前に細川高国法名「常桓」は常植とも書かれるが、どちらが正しいのか、道永との違いは何かについて考えていたので、本書が「常桓」表記統一、道永からの改名まで追ってくれて考える必要がなくなり、かなり助かっています。
 一方で、実名がわかっているなら実名で書いたら?というのもあります。例えば、三好元長の部将の一人・三好遠江守は家長という実名であることがわかっているのに、本書では「三好遠江守」表記です。まあこれはこれで誤りではないでしょうが、122頁では「三好一秀」と書きつつ、127頁で同一人物を「同名山城守」と書いているのは整然とはしていないですね。127頁の一節は加地丹後守為利を「加地丹波守」とする『細川両家記』の誤記がそのままであるため、たぶん『両家記』からのコピペと思われます(ちなみに後の江口の戦いの戦死者に田井源助を加えているのも『両家記』コピペだからではないかと思われます。この点は『両家記』の誤りで田井源介長次は江口の戦い後も生存しています)。
 斎藤基速を「もとすみ」、畠山義堯を「よしあき」と読むのも初めて見ましたが、根拠があるのかどうか興味を引きます。
 ちなみに本書は誤植はあまり目立ちませんが、例外的に60頁の「香川元盛」は小見出しにあるのもあってかなり見えます。小見出しで「誰?それ」と思って読み進めたら香西元盛のことでした。

 とりあえず個々に触れておきたいのは以上でしょうか(思いだしたら追記するかもしれません)。

 本書を評価すれば、足利義晴という人物を主体に見た畿内戦国史、幕府のあり方・意義の解説としては、人物主体だと実例が提示できることもあってよくまとまっていた。この一冊で畿内戦国史、戦国期幕府の入門としても成り立っている。特に両者ともによく知らないとただのカオスのように思ってしまうが、義晴を軸にすることである程度秩序だっていたことが理解できる。
 それだけに一つ惜しいと思ったのが、義晴の死から直にあとがきに入ってしまう構成。もちろん紙数の限界もあるが、やはり最後に足利義晴をまとめる一節は欲しかった。最初から最後まで読んだのだから、すでに足利義晴は君の中にある…そういうのもロマンですけれど、ここは「そう!それで合ってるよ!」とダメ押しにかかるところではないか。木下氏との美学の違いかもしれない。
 それにしても足利義晴でここまで充実の一冊が出るとは…。感無量の一言である。こうなってくると!あとがきで木下氏は細川高国、晴元、木沢長政らについては別に評伝を期待したいと述べておられる。これってそういうことですよね?期待していいんですよね?もちろん木下氏の足利義輝の仕事にも大いに期待しています!ありがとうございました。

PS 又聞きなんですけど、木下氏は「足利義輝は剣豪将軍ではない!剣を集めるのは将軍として普通で、義輝が入れ込んだのは馬!」というのを広めてほしいそうなので、ここでも一応書いておきます。

*1:だって両先生、名字どころか幕府っていう研究分野まで被ってるんだもん…