個人的にはガンダムとはそこまで付き合いが深いわけではなく、新しい展開を逐一チェックする間柄ではない。それでもネット上で盛り上がっていると、何となくじゃあ観てみるかと参加する流れがある。今回の『GQuuuuuuX』視聴もそうした経緯で視聴することになったわけだが…それでも『GQuuuuuuX』との距離感はこれまでのいわゆるアナザーガンダムとは変わっていた。
まず、第一に私はファーストガンダムを観たことがない。以前に述べたように私のガンダムへの入り口は『ロストヒーローズ2』だったので、そこから触れあったのは平成ガンダムで完全履修したのは『Gガン』『W』『X』『00』ということになる。宇宙世紀もので観たのは『逆シャア』『F91』『UC』くらいで、とうとうファースト・Z・ZZは観なかった。観ようとは思っていたのだが、当時からチャンスを逃し続けたまま来てしまった。そのせいでアムロとシャアの話は最後にあたる『逆シャア』しか知らず、アムロ・シャアのキャラは何となくわかったものの、どうして『逆シャア』の話になったのかは今もって多少の知識はあっても真に理解はしていない。『逆シャア』にララァは出てこないので、ララァについてはどういうキャラなのか、手持ちの材料がない。
そういった状態だったので今年の初めに『GQuuuuuuX』の総集編映画が先に公開され話題になった時の困惑は大きかった。伝え聞くところによると、『GQuuuuuuX』の世界観はファーストでシャアがガンダムに乗っていたらIFだというのだ。使い古された例えだが、関ヶ原でもし西軍が勝っていたらという内容の歴史ドラマのようなものだ。まずこの時点でファーストを知らない立場は「不利」ではある。見たものを十二分に咀嚼しきれないのかもしれないという危惧があった。
一方で、『GQuuuuuuX』のメインキャラはファーストガンダムに基盤を持っているわけではない。全員間違いなく新キャラで、シャリア・ブルにしたところが、ファーストでは1話退場したキャラなのでほぼ新キャラと言える。「世界」はファーストのIFかもしれないが、キャラや物語はそれに必ずしも縛られるわけではない…。それに内容的にも一見さんお断りな狭量さがあるとは思えなかった。ファーストを知らないなら知らないで良い、下手に歴代要素で騒ぐよりも新鮮に物語を楽しめるかもしれない。
それに加えて、私自身もアラサーを越し、親しんでいるコンテンツにも私の幼少時期の思い出を刺激するような「歴代要素」が出るようになってきた。私にとってはそれらも普通に理解できるし、「歴代要素」があるからと言って、それが全てではないので、初見者にもハードルが高いとはあまり思っていない。とは言え、これもコンテンツにずっぽりハマった「中」の人の感想であることには違いない。であれば、今回は久々に「外」からこの手の作品の要素を見られる貴重な機会なのではないか。そういう思惑もあった。
そういうわけで感想も認めてるわけだが、一言で言うとせわしない作品だった。わからないてことはないし、筋だってちゃんと通っている。観ていて置いてけぼりにはならないのだが、それでも1話ごとに手を引かれている感覚はあった。だからダメと言うよりは、もっとじっくりやっていれば、さらにこの作品の描いたことが染み入った気がするのでもったいない。1クール12話作品の身の丈にあった内容にするか、2クールは欲しかった(もっとも増えた分量だけペースがゆっくりになるとも限らないが)。
そして、奇しくもこの感覚は『シン・ウルトラマン』や『シン・仮面ライダー』と同じだ。『GQuuuuuuX』の製作にはスタジオカラーが加わっており、庵野秀明の参加もある。それは意識しないつもりだったのだが、結局辿り着いてしまったのは恐るべしと言うべきか。映画だから無理があったと『シン・ウルトラマン』や特に『シン・仮面ライダー』では感じていたが、TVシリーズになってもそこまで改善されないのね…。そうして見ると、最後に異邦人シュウジとマチュが愛を交わして結末に持っていくのもモチーフとして似ている…。「歴代要素」に身構えていたら全然別のとこでデジャヴを味わっている…。
その「歴代要素」も知らないなりに楽しめた、といったところか。2話は完全にシャアがガンダムに乗っていたらIF話で、演出もオマージュだらけだったが、ファースト未試聴にも関わらず、それがわかってしまう経験は我ながら面白かった。何だかんだ、未試聴でもオタライフを送っているとファーストガンダムくらいは知らず知らずのうちに教養で識ってしまうらしい(ケロロとか銀魂とかアナザーガンダムでもオマージュ演出自体は観てきてるわけだし)。他の「歴代要素」も知っていれば突っ込めてより楽しめるのだろうが、知らないなら知らないなりに「何かそういう機体」「悪そうなオッサン」「オリジナルの世界線」で処理しても問題なかった。これは展開がハイペースでより深みに入っていく前にどんどん進んでいくことのいい方の副作用なのかもしれない。また、マチュはファースト世界線とは直接関係ないので、主人公としての「マチュの目」を通じて作品世界に入る限り、ストーリーの本筋に「歴代要素」も関わらないのも良かった。ただ、終盤にかけてのシャアとキシリアの関係性は、直接的な説明がなくてややハードルを感じた。「そういう対立関係」だけで処理してしまうには、背景情報が多そうだし、マチュやニャアンも深く関わらないままシャアとキシリア2人だけの世界で展開するのでとっつきにくかった(もっともこれもだからこそマチュ乱入が盛り上がったのもあって善し悪しだが)。最終回のエピローグも急に色んな情景がぶち込まれたが、個人的には思い入れがないので感動ポイントも少なかっただろう自覚はある。
肝腎の本筋はどうか。『鉄血のオルフェンズ』や『水星の魔女』でも注目した部分だが、私ももういい年のオッサンなので「子供がどうやって子供らしく世界を変えられるのか」という視点で観てしまう。そういう意味ではマチュもニャアンもシュウジもティーンエイジャーだけあって、無鉄砲・未熟な部分がふんだんにありつつも、若さゆえの信念を持って物語に関わり、自分を貫こうとし、そのおかげでドラマが生まれたのは掛け値なしに良かった。彼女らに関わる大人たちの姿も実に多様で、憎まれキャラやぶっ飛び展開こそあれ、フラストレーションが溜まることは全くなかった。一貫性がないとか周りに迷惑をかけてるとかそんなことはどうでも良い。それでもやるのが「若さ」であって、それに振り回されたり、利用するのが「大人」のポジションなのだ。一方で、1クールという分量もあってか、マチュは最後までゴーイング・マイ・ウェイで通しただけで、世界を救うとか変革するとか、いやちゃんと相応に関わってはいるのだが、意識することはなく、大仰に認知されることもなかった。マチュ的にはこれでいいと思われるものの、どうしてもファーストのIF世界を3ヶ月間通り過ぎただけのようなある種の空虚さは拭えない。
バトル要素は良く言えばそこそこ。作画崩壊的なものはなく、演出も描写も上のレベルで安定していた。ただ、あまり外連味は感じなかったというか、わかりやすくここを見ろ!というキラーカットはあまり思い出せない。しかも1クールという短さの辛さで、毎回出てくる機体は変わるし、これがあのキャラの機体と覚える前に機体がころころ変わったり、放送が終わったりなので、正直何が何だか全く覚えていない。観ている時は、これにあいつが乗ってて…はわかるのだが、次の話を観た後になってしまうともう思い出せない。単純に記憶力が減退している可能性も高いが、そもそも「歴代要素」がなければMSに熱意を持てない作品になっているのではないか、というのが感想になる。
まとめ
- 基本的な本筋は令和の現代的作品として満足
- ただ「歴代要素」がわかってればもっとのめり込めたんだろうなという感慨はある
- それとは関係なく1クール12話にまとめたのはハイテンポすぎて弊害もあった
「歴代要素」のある作品を「外」から観た感想としては極めてありきたりかもしれない。おれが知っている作品も初見者からはこう見えていたのかもしれない。そういったところで改めて思うのは「歴代要素」のある作品における解説パートのありがたさだ。それは作品内のオタクキャラであったり、次回予告前のミニ紹介コーナーであったり、その回に合わせて関係ある過去シリーズの話を配信したりであったり、そういう丁寧さをこれまでは見過ごしがちだったと思う。しかしそれがあることで「(本当は知らないけど)何となく知っている自分」になれるのだ。意外とこの試みはバカにならないのだ…と再認識が出来たのが今回の「学び」と言える。