昨年三好長逸の記事を完成させた後、Twitterで「三好長逸」の話題を探っていたら、偶然あるやり取りに出くわした。どうも最近ある本が出版されたところ、その著書には三好長慶の動員兵数は数千人程度であるという記述があり、読者と筆者がその件について話し合っていたようだ(と言うほど穏やかでもなかったが…)。その頃は正直「三好氏の動員数が数千レベルなわけないだろ」と漠然と思いつつ、たぶんその著書には三好氏が太閤検地的な動員を成し得なかったことが論証されているのではないかなと予測するに留まった。
その時はそれで終わり、自分の興味は他に移って行ったが、年が明けて偶然その本を読む機会があった。さてどのようなことが書かれているのか…
三好長慶の本拠地は阿波と讃岐です。今の徳島、香川を戦略的な本拠地として、京都まで船でやって来ます。京都へ来て将軍を支援し京都周辺で大きな力をふるった。だから、岐阜を本拠地として将軍を担いだ信長と三好長慶は、外形的には変わらないと言っている。しかしこれは、軍勢の数を見ると明らかに違います。三好長慶が命をかけて戦っているとき、その軍勢は何千単位なんですね、中核となる兵力はせいぜい約三千でしょう。(略)それに対して信長は、あっという間に「何万」という軍勢を持ってきた。(略)このように編制できる軍隊の数字を採り上げるだけでも、信長と長慶はレベルの異なる存在だということは火を見るより明らかです。(158頁)
えっ(絶句)
三好クラスタのみならず畿内戦国史を少しでも知っているなら、この論旨には「???」となるのではないだろうか。そもそもこれ論拠が何もないような…*1と言うのも釈迦に説法だが(以前どこかで論証されていたのかもしれない)(政治体制の比較から始まったのに軍事動員力を挙げてレベルが違うとする噛み合わなさも気になる)(長慶の本拠地を阿波と讃岐としてるのも微妙に間違ってると言うか、よく知らない感を醸し出してるな)。
ただ、これが場末の意見なら「HAHAHA!ナイスジョーク!」と済ませることも可能だが、学者の新書だけに一般的影響力は少なくない。そもそも私の思いも絶対的なものではないし、間違ってる可能性も大いにある。これはちょっとちゃんとした史料に基づいて三好氏の動員兵数を計算せねばなるまい…。
- 論の前提
- 『言継卿記』天文14年5月24日条に見る細川晴元の動員兵力
- 『言継卿記』による三好氏および他勢力の動員兵数
- 『多聞院日記』による三好氏および他勢力の動員兵数
- 『細川両家記』による三好氏および他勢力の動員兵数
- 『永禄九年記』による三好氏および他勢力の動員兵数
- 宣教師による三好氏および他勢力の動員兵数
- 阿波三好家の動員兵力
- 当座の結論:三好長慶の動員兵力とは
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