志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

細川氏綱の実名についてPart2

 昔々、細川氏綱の「氏綱」という実名が何を意味しているのかという記事を書いた。
monsterspace.hateblo.jp

 結局結論らしい結論はなく、「氏綱という実名の由来はわからないが、この名から改名しなかったことは足利将軍からの距離を意味しているのではないか」というものを提示している。
 そこから5年以上経ち、今こそこの謎への回答が…示されるわけもないが、ひょっとしたらという思いつきはあるのでPart2と題して披露してみることにした。

 5年前から細川氏綱の見方として新たに加わったのは、氏綱がどうやら堺公方足利義維の残党の一部を編成していたことである。ただし、現状確定的なのは氏綱奉行人である松田守興が堺公方奉行人の松田光致とどうやら同一人物であるらしいことと、江口合戦以降の氏綱権力内で堺公方の人脈が氏綱方と三好方を結ぶべく活動していることくらいで、実際どの規模でどの程度活用されていたのかは今後の課題となっている。とは言え、堺公方人脈が氏綱方に流れていたことは決して過小に見ていいものではない。足利義晴細川晴元の体制が確固たるものである限り、反義晴としての堺公方残党が反晴元たる氏綱へ合流するのは自然であるし、そうであればこそ氏綱が義晴―義輝とは積極的に連携しなかったことも合点がいく。
 というところで話が飛ぶが、1560年前後の関東で気になっていたことがあった。関東管領上杉憲政を追う後北条氏では北条氏政が当主となり、反北条氏の古河公方には足利藤氏の死後、足利藤政が現れる。彼らは敵対陣営に属するにも関わらず、実名の下に「政」を使う点で奇妙な共通点を見せるのである。Twitter(現X)でこれに疑問を呈していたら、FFの高村不期(https://x.com/buqimingri)さんからリプライをいただいた。


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 北条氏康・氏政と上杉謙信の対決を振り返ってもわかるが、北関東・東関東の武士たちの去就は微妙であった。本来は反北条で謙信を恃みたいが、その謙信がいまいち頼りにならないので後北条氏と妥協したり、しかし反北条が盛り返せば後北条氏から離反したりした。高村不期さんの御意見からするとこうした中、実名に含まれる偏諱の読み替えが行われたのではないか、ということになるだろう。「政〇」という実名の関東武士は上杉氏配下の時は憲政から、北条氏配下の時は氏政から偏諱を受けたかのように振舞い、支配者もその読み替えを狙った実名を名乗ったとするのである。
 実際にこのようなことが起きたのか、意図があったのかは定かではない。類例としては奥平信昌であろうか。奥平信昌は長篠合戦に際して活躍し、その際に織田信長から「信」字偏諱を受けたと後世の史料ではされてきた。ところが、近年の研究では信昌の「信」は武田氏の通字を与えられた可能性が指摘されている。これは厳密には武田氏の「信」を織田氏の「信」と後世に誤解した例となるが、あるいは当時からそうした「読み替え」が行われていた可能性もあるだろう(織田家臣の佐久間信盛天正6年頃から「定盛」に改名しており、織田権力内では「信」の使用に規制がかかったらしい。そうすると、奥平信昌の「信」も信長からの偏諱でなくとも「追認」された可能性はある)。
 仮定に仮定を重ねていくが、上記のような偏諱の読み替えを意図した名乗り」が成り立つのであれば、細川氏綱もそうではあるまいか。当然ながら、堺公方の残党には足利義維から偏諱を受けた「維〇」という実名が多かったと思しい(実際に確認できるのは畠山維広・荒川維国くらいだが)。であるならば、本来堺公方とは接点がない細川氏綱にとって「維」と同じく「つな」と読む「綱」を含む実名を名乗ることは、「維〇」という実名を偏諱の読み替えと見なす狙いがあった、とは言えないだろうか。なお、「維」をそのまま使わなかったのは、流石に将軍格の人物の偏諱を実名の下に置くことが憚られたからで、上に「氏」を置いたのも、疑似的な将軍偏諱の上に置けるのは「義」を除けば足利将軍家のかつての通字である「氏」しかなかったから、として説明してみたい。このように考えれば、氏綱が足利義輝から偏諱を受けたのに、偏諱を含めた改名を行わなかったことも、配下の堺公方残党に配慮したからと言える。「藤国」「藤元」と名乗ってしまえば、堺公方残党との紐帯が失われる。三好長慶はまだ話がわかりそうだが、その弟たちは細川氏之をも結果的に殺害しており、何かのきっかけで自分も排除されかねない。そうした点で氏綱にとって「氏綱」は意味のある名前であったのではなかろうか。

氏綱誕生の妄想

清「配下に堺公方残党が流入したけど、奴らと俺とは反義晴―晴元ってこと以外共通点がない…」

清「「維」を下字にした実名にすれば、「維〇」を俺の偏諱みたいに出来て良くないか?」

維?「ただ「維」を下字にすると、上字にできるのは「義」か「氏」くらい…俺は足利将軍から「義」の偏諱を受ける機会もないから「氏維」か…」

氏維?「仮にも将軍格の偏諱を下字にするのも不遜か…じゃあ同訓の「綱」で」

氏綱「完成!細川氏綱!」

義輝「「藤」の字をあげよう」氏綱「え?」

氏綱「このタイミングで「藤〇」を名乗ると、堺公方残党との絆が消えてあんまいいことないな…改名はしません!」

追伸 細川氏綱から偏諱を受けたっぽいのは多羅尾綱知だけだが、これも氏綱の「綱」が「維」なので配られることが憚られたであろうことと、綱知のみは足利尊氏の饗庭尊宣のようにそのタブーを犯してもいいくらいの寵臣だったということかもしれない