志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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柴裕之編著『図説 豊臣秀吉』(戎光祥出版)のススメ

 小学生以来歴史とは長い付き合いになる。私の位置としては一介の歴史ファンの域を出ていない。しかし、それなりに最新研究も能動的に摂取していると、どうしても知識としてはディープなものになる。「初心者」ではないわけである。一方、歴史というジャンルは老若男女に遍くそれなりの人気があり、特段興味がなくても小説やゲーム等によって知識を摂取できる。それらは凡そ「通説」に依っていることが多い。一口に歴史ファンと言ってもその幅は広く、特に現代の匿名を前提とする「場」では、「通説」と最新研究に距離があることによって、認識の齟齬が生じがちである。
 とは言え最新研究が必ずしも正しいわけではない。見直しに次ぐ見直しによって練り上げられた新説がやがて新たな通説として認められて行く流れがある。しかしながら、こうしたことも傍目からは非常に認識しにくく、新説の初動の段階で新聞記事沙汰になってしまうとセンセーショナルな響きが独り歩きしてしまう。このように歴史学の現場と一介のファンの娯楽的な歴史享受の間には小さくない溝が存在してしまう。
 こうした溝を埋めるためのものが戎光祥出版が出されている「実像に迫る」シリーズ「図説」シリーズである(「マンガで読む」シリーズもおススメです)。両者ともにオールカラーで史料の写真や地図を豊富に含んでいる。執筆者も新鋭の研究者が多く、それでいてむしろ本としては薄い。値段もせいぜい2000円くらいで比較的安価である。最新研究がわかりやすくそれでいて高圧的でなく降りてくるものとして価値が高い。
 そして、今回その「図説」シリーズで取り上げるのが『図説 豊臣秀吉である。

図説 豊臣秀吉

図説 豊臣秀吉

  • 発売日: 2020/06/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 豊臣秀吉と言えば、恐らく歴史ファンどころか日本人なら誰でも知っている人物と言って過言ではあるまい人物である。日本一の出世頭という異名の通り、最底辺から最上級に上り詰めた人物として、その出世譚もよく知られていよう。もっとも近年は晩年の朝鮮出兵や秀次事件による粛清など「暗い」面も注目されており、手放しに称揚される人物ではなくなっているが、それでも偉人というイメージは不変であろう。
 そんな秀吉だが、意外なことに歴史学の中での実像は未だはっきりしない。出自や出世譚が信用できないのはもちろん、織田家中での位置や本能寺の変後の動静、天下統一の原理、朝鮮出兵の意図や推移、秀次事件の真相…こういった秀吉を彩る事象は多くが新説や通説の論争の最中にある。一般的「通説」の強さと現在の通説の不在、これが豊臣秀吉の現状なのである。
 こうした状況下で本書はその齟齬を埋めるべく著された「今わかっている豊臣秀吉」を詰め込んだ一冊である。第一章から第四章までで秀吉の一生を追いかけ、第五章で秀吉にまつわる人物の紹介、第六章で後世の秀吉像についてまとめている。第一章は「信長との出会いと長浜城主へ」と題して誕生から長浜城主として大名になるまでをまとめられているが、これが学問としての歴史らしさを強く感じる。出自、仕官、一夜城という一般にもよく知られるトピックが目を引くが、内容としては「わからんけど、そういうのもあったかもね」という距離を取り続けている。材料を示しているが、決して結論を急ぐことはない。これが真に歴史に誠実な態度と言えよう。
 その後は史料に基づいた秀吉叙述が続くが、文章の書き方が巧みと言うか、基本的な事実は「通説」に見えるが、しれっと最新研究の成果が反映されている書き方になっている。例えば、本書では賤ヶ岳の戦いを秀吉の馬廻衆の活躍で勝利したと記す。前田利家の「裏切り」が柴田軍敗退の決定打になったとは書かれていない。これはあくまで忖度であるが、去年に大西泰正『前田利家・利長:創られた「加賀百万石」伝説』(平凡社)において、利家の「通説」が再検討され、賤ヶ岳の戦いにおいて前田軍が離反しなかった可能性を示された。恐らくこれを享け、勝敗への前田利家の関与を叙述するのを避けたのではないだろうか。斜め読みすると普通のことしか書いていないようにも思えるが、読み込めば読み込むほどに新しい秀吉像への「気付き」が隠されている。

 個人的には第六章が設けられているのが注目点である。第五章まではあくまで史実としての秀吉像を追って来たが、第六章では死後の秀吉像の享受を簡潔にまとめようとしている。秀吉の「通説」がいかにして伝承として発生するのか、その一端は私にとって一つの醍醐味である。最終的に現代に至り、「人たらしか、残虐者か」歴史学による実像提示に回帰するのも趣深い。
 一方で不満足と思えた箇所もあった。第五章は秀吉に関連する人物の章であったが、家臣の記述としては竹中重治黒田孝高福島正則加藤清正黒田長政石田三成片桐且元に留まる(コラムとして千利休もいる)。それぞれが重要人物なのは間違いない(黒田孝高の解説は通俗的な「軍師」像からの具体化を図るものでハイレベル)し、紙数の関係もあっただろうし、欲を言えばキリがなくなるのだろうが、それでもやはり秀吉を知るにはやや人材が足りていない感を覚える。蜂須賀正勝の名前が出て来ないのは寂しいし、古参家臣の粛清についてもどこかで触れられるべきだったのではないだろうか。
 以上のように本書が現在の秀吉像を易く紹介するものとして啓蒙的に成り立っているのは間違いない。これからも秀吉については新事実が発見され、また通説が見直されていくに違いない(先日京都新城の遺構が発見されたが、本書にも取り上げられており仕事が速い)。その中の一里塚として本書をお供にしてはいかがであろうかと思う次第である。