知ってると思ってるけどよく考えたら意外と知らない、そんな人物や出来事を研究者が斬る!ことでお馴染みの戎光祥出版さんの中世武士選書シリーズ。最新刊は何と中西裕樹先生が描く、摂津の戦国時代。これは高槻市民としては読まざるを得まい…といった趣きがあります。
副題は「高山右近と中川清秀」とのことで、やっぱ織豊期のこの2人がメインなのかと思えば何の何の。彼らが本格登場するのは何と後半3分の1といったところです。これだけ聞くと「おいおい詐欺か?」と思われるかもしれませんが、右近と清秀が登場するためにはこれくらいの前史が必要、と言うか本人が出ない3分の2こそが右近と清秀の摂津国人としての血肉を形成するわけです。これまで高山右近の本というのはたくさん出ていますが、本当にベースの部分を掘ってから語るこの本のようなタイプは初めてではないでしょうか。この時点で全く新しい本で、出た価値がありますね。
- 作者: 中西裕樹
- 出版社/メーカー: 戎光祥出版
- 発売日: 2019/08/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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さて、この本を一読して何より使えるなと思ったのは、摂津国人事典として有用性です。摂津の国人氏族はこれまたとても多いわけですが、通字や惣領家の官途などの基本的な情報を適宜紹介してくれるのはわかりやすいですね。氏族の情報を全網羅できているかと言えば史料的制約もあって至らない箇所ももちろんありますが、この本一冊でどこの誰でどういう性格の氏族かは抑えられるはずです。下手な事典だとやはり高額になるので、もうこの一点だけでお買い得なのは間違いないです。
また、地図や史料の写真の使い方が上手い!これは戎光祥出版さんの図説シリーズや実像に迫るシリーズを出してきた賜物ではないですかね。この地図や系図どっかで見たなってのもありますが、ここでこれが出て来るとわかりやすい!というポイントが抑えられています。まあここまで来ると今更誉めることでもない気もしますが…。
これまた基本的なことですが、中西先生の筆致も魅力的です。最新研究に目を配り、その評価や発見を取り入れつつも、冒険的な論及はせず穏やかな語り口で考えを述べておられます。これがなかなか簡単ではなくて、中西先生自身にもしっかりした目線があるから出来ることでしょうね。基本的に政治史の記述が多めですが、城郭の話が折に触れて出るのも城郭に造詣が深い中西先生らしい清涼感があります。中西先生は高槻市立しろあと歴史館の発行する「しろあとだより」でも高槻に根差した論考を発表されてますけれども(和田惟政や郡兵大夫の論考など)、発行紙の都合上内容はあまり周知されていないのではと思うこともありました。今回の本ではそうした論考も反映されており、やっと多くの人の目に俗することになるなと感慨深くもあります。
っていうか、「しろあとだより」はPDF公開してるんですよ!皆、読んでくれ…
www.city.takatsuki.osaka.jp
筆致と言えば、摂津の上位支配者は戦国時代を通じて、細川京兆家→三好氏→織田信長→豊臣秀吉と移り変わって行くわけですが、本書では誰が画期か?といった議論には深入りせず、摂津の情勢を国人目線でありのままに描いているのが特徴的かつ新鮮でした。もちろん摂津情勢は上位権力者と無縁ではなく、この氏族・人物が君臨する時代には特定の国人がなぜか出て来ないといった現象は非常に興味深いです(例えば塩川氏は三好氏段階ではほとんど出て来ないのが織田氏段階で有力者として処遇され、豊臣氏段階で再び消滅するなど)。それでもバラバラだった摂津国人に統合的中核が生まれ、摂津国外に力を伸ばすまでに至り、そうした勢力が統一権力に編成されていく…といった基本的な流れをじんわりと匂わせるものがあります。
そういうわけで各氏族の通史が追えるのかと言うと微妙なところもあったりするのですが、その中で一際輝くのが池田氏です。池田氏は本書の裏主人公と言っていいほど出て来ます。戦国直前の当主池田充正からして富裕かつ強烈なキャラクターでガツンと来ますね。池田氏と伊丹氏が犬猿の仲なのは畿内戦国史では常識の域ですが、なぜほぼ隣接する勢力なのに仲が悪いままなのか、疑問もありましたが、何となくわかりました。お隣さんゆえに近所の小勢力が池田と伊丹の片方から支配を強められると、もう片方に泣き付くからですね。ある意味両者の仲が悪いことが地域のバランスを維持していると。
やがて摂津にも両細川の乱の波が押し寄せ、国人たちも高国流と澄元流に分かれて争うことになり、両陣営に連動して栄枯盛衰を繰り広げます。国人たちも様々な権益や打算によって細川両家を支持していたのが面白かったです。そして、三好長慶が細川晴元に反旗を翻した際、長慶が国人らの利益を代表したという理解が『細川両家記』による長慶支持勢力リストから知られますが、中西先生はそのメンツが必ずしも「オール摂津国人」ではないことに注目し、長慶を支持したかそうではないかを両細川の乱の延長上に捉えようとしています。なかなか新鮮で、これまた江口の戦い像が変わる一石となる指摘かもしれません。
こうして三好長慶による摂津支配がいよいよ始まり、高山飛騨守(ダリヨ)が登場します。三好家臣としての飛騨守の活動に1章が割かれ、プチ主人公といった感があります。キリスト教の上陸や和田惟政がちらっと映り始めるのも右近の前史として直接的なものが来たなと期待が高まります。
キリシタンと言うと、本書で取り上げる高山右近も最たるものですが、個人的な信仰の問題に筆致が帰してしまうところもあります。ただし、本書でのキリスト教の取り上げ方はちょっと違います。なぜ、彼らはキリシタンになったのか?支配者にとってキリスト教とは何だったのか?そうした点からキリスト教を取り上げています。キリスト教に好意的と言われる三好氏、篠原長房、和田惟政、織田氏は皆キリシタンにはなっていないというのが大きな鍵なのが面白いですね。
元亀の争乱の中、和田惟政や池田勝正は没落し、荒木村重を挟んで高山右近と中川清秀が摂津の領主に躍り出ることになります。本書のタイトルでもそうなっていますが、とにかくこの2人は並列して捉えられがちです。しかし、本書ではこの2人の織田政権における扱いには大きな差があったことを示しています。また、2人の関係は基本的に悪いもので、上位権力者も2人の関係に配慮しつつ2人を起用していたというのも驚きです。こうしたところが見えるのが、2人を主人公にした恩恵でしょうね。2人の位置付けについての見方がだいぶ変わった気がします。
その他、三宅氏と畠山義就の繋がりや、摂津三守護の是非、足利義昭の畿内支配構想、和田氏と伊丹氏の連携、高山右近が高槻の寺社を焼き討ちしたという伝承の妥当性、池田恒興による摂津池田氏の継承、本能寺の変後の河内における光秀と織田信孝の睨みあい、秀吉による摂津在地勢力の移封など、「やはりそうだったのか」と思える刺激的な論説も多かったです。
感想としてはだいぶ端折ってますが、まあ全部書いてしまったら面白くはないので…。何より摂津の戦国通史最新版といった本が令和の最初から出たことはうれしいと言いますか、今後に期待が持てる始まりと言えるのではないでしょうか。