志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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南丹市立文化博物館・秋季特別展示「八木城と内藤氏~戦国争乱の丹波~」

 南丹市立文化博物館にて秋季特別展示「八木城と内藤氏~戦国争乱の丹波~」を観に行って参りました。
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http://www.be.city.nantan.kyoto.jp/hakubutukan/tenji_kikaku/2020/yagi.pdf

 丹波内藤氏をテーマにした展示という時点で興味を惹かれるものでしたが、展示目録を見るとこれがまたすごい。内藤宗勝の文書が目立つ印象はありますが、元貞、貞正、国貞、永貞、貞弘と歴代内藤氏当主の文書がズラリ!ここまで歴代当主の重要文書が揃う機会は今後もなかなかあるまい…ということで意欲としては万端ですね。特に大きいのは内藤永貞を歴代当主に数えていることです。永貞は国貞の嫡男と思されている近年発掘された人物で、この人物をきちんと認識しているということは最新研究を取り込んでいるわけで、その時点で目配りが行き届いた内容になるだろうと認識できます。

内藤永貞については以下の論考を参照のこと。

osaka-ohtani.repo.nii.ac.jp

PDF公開されているので読みやすいです。

  • 飛鳥井拓「内藤永貞の基礎的考察:「龍潭寺文書」所収内藤永貞寺領安堵状の紹介」『丹波』21号

ci.nii.ac.jp

地域雑誌なので入手にハードルはありますが、永貞文書を網羅しています。

 ちなみに南丹市立文化博物館は駅からはやや離れているので行くまでのレポートを付けたいと思います。そんなんいらんわって人は「スキップ」で飛んでね。

 南丹市立文化博物館があるのは京都府南丹市なので、公共交通機関を使うのであればJR嵯峨野線を利用することになります。快速でも普通でも時間はあまり変わらず、京都~園部で40分くらいです。丹波方面に向かうのは天橋立に行った時以来ですが、京都からトンネルで山を一つ超えたらもうそこはのどかな盆地で、その後もトンネルで山を一つ隔てるたびに盆地が続いていくというのがいかにもな丹波の趣があります(たぶん)。
 園部駅に降り立つと周囲には高層建築物らしきものはあまり見えず、空が広く見えます。飲食店も駅の下にインドカレー屋と焼肉屋、定食屋があるくらいで、そこで済ませないなら後はコンビニ飯ですね。西出口から出ると、眼前にタクシー乗り場と正面に春日神社が見えます。春日神社を左に見つつ一本道があるので、その道をまっすぐ進んでいきます(登り道です)。京都医療科学大学を右手に見つつ平坦となった道を進むと、左右に分かれ道があります。左の道は京都伝統工芸大学校に通じていますが、そっちはスルーして右の道に進んでいきます。ただの住宅街といった感じで本当にこっちに建物があるのか?と不安にもなりますが、大丈夫です。最後に道を下って行くと、やや広めの道に出ます。この時点で南丹市立国際交流会館である天守閣を模した建物が遠目に見えます。そこがゴールです。
 広めの道に出たら右折してそのまま進みます。右手に修道会系の高校(京都聖カタリナ高校と言うらしいです)、さらに進むと神社(生身天満宮)が見えます。現在道幅を広くする工事をやっているようです。神社をやや後ろにしたところで川を超えて左折できる道が見えるので、そこを左折してまたまっすぐ進みます(登り道です)。ここもまた住宅街なのでやや不安になりますが、そこを抜けるとまたもやや広めの道に出て正面が園部公園になっています。ここで言っておきますが、そのまま園部公園に入ってから天守閣を目指した方が文化博物館に行くにはわかりやすいです。
 と言うのは私はそのまま大手の道を進んでいったものの、文化博物館であろう場所にあったのは中央図書館で、さらに進むと市役所、いや博物館は?と若干迷いました。その後中央図書館入口の近くに文化博物館への誘導案内を発見したのですが、導線が示していたのは狭くて急な階段で、本当にこっちで合ってるのか?と感じること請け合いです。しかし、その階段を上がって行ったらちゃんと博物館正面のソデに出ます。図示すると下のようになってた(下手糞…)わけですね。
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 ここまでで駅から徒歩15~20分くらいです。長距離ではないが短距離でもない微妙なところですね。

スキップ

 館内は1階が常設展示、2階が特別展示となっています。ルート的には最初は1階の通常展示をぐるっと回って見てから階段を上がって特別展示ということになります。通常展示は園部の歴史を見ていくものですが、古墳時代と近世の園部藩が中心にあります。展示としては出土資料や文献史料よりも模型押しな印象ですが、実際の形状がイメージできて良いですよね。特に園部城の模型は今しがた来た道と基本的な地形が同じなので、市役所や図書館、博物館などが集まるこの区域が行政の中心地であることが園部城から連続していることがわかって面白いですね。また、迂闊にも忘れていたことでしたが、園部藩って小出氏が藩主だったんですね。小出氏と言えば豊臣秀吉の一門なので、小藩で残っていたとは聞いていたがここだったのかと今更感慨を新たにしました。
 そしていよいよお目当ての特別展示。予想通り充実な内容です。常設展示では八木城と両細川の乱についてさらっと触れる程度しかなかったのですが、それを補ってドバドバ溢れるものがそこにはあります。入口に花押集を末尾に据えた史料翻刻と展示資料一覧が置いてあります(翻刻はやや誤植含みですが追々修正されていくでしょう)。
 今回の展示は文書が9割方な硬派の展示です(内藤氏って肖像画とかないんだなあ…)が、内藤氏の系図守護代のシステムを図示していたりして、親しんでもらう工夫は凝らされていた印象です。上述しましたが、永貞が国貞の子として記されているのには感動しますね。内藤貞勝を千勝と同一人物として宗勝の子としているのもあって、最新研究による正確を期していますね(Wikipediaを中心に未だに貞勝は国貞の遺児という理解を見るので)。こうしたところで新しいスタンダードを作っていくのは歓迎すべきことです。
 生で見て面白かったのは、「15 内藤国貞制札」で享禄4年(1531)3月に国貞が発給した木札の禁制です。何が面白いかと言うと、この制札は3種類あり、綺麗に残っている一つ以外は文字がほとんど読み取れないほど状態が悪いのですが、残りが悪い方には木札の後ろに掲示のために打ち付けた後があり、正文のものは大事に保管しつつ、コピーを実際の禁制として用いたのではないかと考察がされていたことでした。木札の時点で掲示用だろと思ってしまうんですけど、そうではなくその複製品を掲示するんですね。文書を活字や写真で見るだけだと、その資料が実用的に用いられたことを忘れがちなんですけど、実際に展示されることで生の匂いを感じ取れるのは博物館の醍醐味と言えます。
 ところで今回内藤貞弘(ジョアン)について、丹波守護代格時代から鞆幕府に出仕したことに触れつつも、展示材料としてはそのまま小西行長重臣に流れていく感じでした。これについて最近鞆幕府時代の内藤貞弘が登場する文書を見つけたので、備忘がてら示しておきます。

  • 真木島昭光書状写 萩藩閥閲録

今度於其表被及一戦、敵則時被切崩、首三百余被討捕由、誠以云去年云当年無比類働御大忠候、御感之余被差越内藤備前守、猶得其意可申旨被仰出候、恐々謹言、
   閏七月廿四日     昭光在判
    児玉内蔵大夫殿

clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp

 閏7月とありますし、天正5年(1577)同月に毛利氏と讃岐国人らが戦った(元吉城の戦い)際の文書です。この戦い自体前年12月に三好長治が殺害され、阿波三好家の支配が崩壊する中起こったものです。そうした中で三好本宗家の重臣であった松永久秀の甥が派遣されているというのも面白いところです。
 その後のジョアンの動静を語る展示資料である「69 両朝平攘録」は展示部分は日明交渉の場面で日本語訳付きです。「秀吉が国王って言うけど、日本には天皇がいると聞いたが?」という鋭い明側の質問に対し、天皇は信長が殺しました」などという出任せを答えたのが我らが内藤ジョアンですが、その場面です。「和平を成立させるため必死に質問に答える」的な解説文が付いていましたが、とにかく答えるために無茶苦茶言うのはなかなか受けますね。
 最後に八木城の江戸時代以降の伝承について、どれほど考証されているのかはわかりませんが、八木城の絵図や「76 内藤記」、「77 丹波国船井郡八木古城主内藤備前守臣下姓名控」には「内藤土佐」や「内藤和泉」、「内藤法雲老」といった名前が見え、どのような伝承があったのか気にかかります。内藤土佐守貞信は貞弘の腹心として、内藤和泉守貞祐は内藤貞勝の代理として出てくる人物なので、有力一門として存在したのは確実なんですよね。伝承であってもそうした名前が実際に見えるのは気になるところです。
 なお、今回「30 内藤宗勝書状」のみ国宝です。流石宗勝さん!国宝となったからには何か御利益があることが書かれている!?と思いきや、内容としては「宮野浄忠が不正を働いて追放されたらしいけど、丹波にある俺が管理してる浄忠の権益は細川高国以来の正統なものなのでセーフ!」というスーパー俗&押領マンである長頼らしい回答。何の事はなくこの書状は「東寺百合文書」に属しているため、一括して国宝なんですね。さらに「東寺百合文書」は世界記憶遺産(「世界の記憶」)に登録されているので、宗勝のこの書状は世界遺産でもあります。素晴らしいですね…。
 他にも川勝氏や小畠氏といった丹波国人についても軽く触れられています。今を時めく明智光秀の文書も客引きっぽく置いていますが、全て小畠氏宛です。光秀と丹波と言うとどうしても侵略と抵抗で語られがちなんですけれども、実際には織田方に与した生き延びた国人も多く、特に小畠氏は明智名字を与えられるなど厚遇されています。こういった生き方があったことも広まって行けばいいですね。
 あと、展示について一つケチを付けるとしたら導線がわかりにくかったことですかね。時代順、番号順なのかなと思えてそうでもなく、展示を見る順序が図りにくかった印象です。
 ちなみに図録については職員の方にお尋ねしたところ、11月中旬に発売を予定しているそうです。図録も購入したいのであればそれまで待った方がいいかもしれませんね。ただし、展示期間が11月15日までのものもあるのでご注意を!
 そんなこんなので「よくぞやってくれた!」と思える内容がそこにはありました。丹波内藤氏について齧っていれば多少の交通費を以てしても損しないと思われます。この内容が定期的に再現されるとも思えないので、是非とも多くの歴史ファンに内藤氏の匂いを感じ取ってほしいですね。