志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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新作ウルトラマンで新怪獣が増えるのは歓迎すべきことなのか?

 7月から始まるウルトラマンブレーザーはそれまでの列伝・クロニクル系番組『ウルトラマンニュージェネレーションスターズ』がニュージェネ10周年ということでニュージェネウルトラマンをフィーチャーしたことや、『トリガー』→『デッカー』と続いた平成三部作リブートの流れとは打って変わって、過去シリーズをあまり意識していないように見える雰囲気を漂わせている。もちろん実際に放送されてみたら違ったということも多々あるだろうが、ウルトラマンブレーザーだけを見ても、過去のウルトラマンの縁者であったりその力で変身することはなさそうだし、現状ではタイプチェンジする気配もない。ニュージェネウルトラマンがシリーズの一部であることを強く意識し、また玩具展開の関係上過去のウルトラマンや怪獣の力を用いていたことからすると、急にそのような装いを外してきた印象を受ける。
 中でもすでに確定的なことは、新規怪獣がすでに多いことだ。ここは目玉として意識されているようで6月12日のプレミア発表会でも14体もの怪獣が登壇し、ガラモン、ガヴァドンA、カナン星人、デマーガ以外は全て新顔であった。この段階でここまで新規怪獣が多いのはニュージェネ史上空前で間違いない。『ブレーザー』は新規怪獣の登場に注力している、とは確実に言えるだろう。
 新規怪獣の充実―これへの反応は好意的なものしか見ない。ニュージェネシリーズでは着ぐるみの使い回しが常態化しており、『マックス』以前のウルトラマンは新しい話には新怪獣が出るのが基本だった。そういった「あった過去」へ復旧しているのを具体的に提示されたことは好意的な反応と無関係ではあるまい。しかしながら、水差しや無粋は承知の上で、これは本当に良いことなのかということはこのタイミングだからこそ語っていきたいと思う。危惧を先取りしておくと「あるべき未来」である。

ウルトラ怪獣の着ぐるみ事情

 そもそもの前提として、ウルトラマンシリーズは慢性的に着ぐるみの融通に苦しめられてきた。これは新怪獣を出し続けていた『マックス』・『メビウス』以前のシリーズでも実は変わらない。ウルトラマンシリーズのディープなファンならバラゴンの胴体を持つ怪獣を全員諳んじられるように、着ぐるみを改造して別の怪獣にするのは初期シリーズからやっていることだし、平成ウルトラマンでもⅡやⅢを名前の後ろに置くことで同じ怪獣を出す、それもシリーズ終盤に多いということはままあった。だから、ニュージェネと比べると遥かに潤沢であったことは確かだが、実はウルトラシリーズで「毎回」「新怪獣が」「新規着ぐるみ」で出ていた時代というのは存在しない。
 しかし、ウルトラシリーズとしては毎回何らかの形で新しい話を作っていく必要があった。このジレンマへの対応例は過去の歴史の中でいくつかある。一つは『ウルトラセブン』であったような着ぐるみ怪獣を全く出さない回。シャドウマンやマゼラン星人マヤの話ですね。出てくるのがヒューマノイド宇宙人や怪現象なら別に「新規着ぐるみ」は用意しなくても良い。ただ、ウルトラヒーローと怪獣の格闘も必然的になくなってしまうし、登場怪獣も商品化できないので地味さは拭えない(「盗まれたウルトラ・アイ」自体は名作として名高く、それを毀損するものではないが)。
 もう一つは『ウルトラマンネクサス』の手法。『ネクサス』初期はペドレオンが1話~4話まで、バグバズンは5話~8話まで跨いで登場していた。「毎回」の新怪獣登場はあきらめ、新怪獣で複数話持たせることで、1シリーズでの着ぐるみを節約する方法である。実はこれ、平成ライダーでは2話で怪人を倒すという基本構成で成功しているものである。しかし、『ネクサス』は商業的な不振もあり、新怪獣で一月持たせるのは早々と放棄され、『マックス』以降は毎回新怪獣を出す方式に戻った。
 そして近年に続いているのが『大怪獣バトル』以来のどうせ歴代怪獣の着ぐるみのストックがあるのなら、オールスター的に使い回していく手法だ。ここではもはや毎回の「新規着ぐるみ」どころか「新怪獣」すら放棄されてしまっているが、1クール以上のシリーズを作るのが先にあるならば、真っ先に着ぐるみ面がコストカットされるのは止むを得ないことではある。メリットとしては歴代怪獣の価値を「現役」として保てることや、新怪獣を節目のボス枠として起用し、「新怪獣」という属性を希少価値として、怪獣の個性をより強く印象付けられる効果もある。皮肉なことだが、使い回しが常態化することで新怪獣の価値はシリーズの歴史の中で最も高まるのである。デメリットとしては一時期のグビラなど毎年再登場してないかという怪獣が生まれてしまうことや、ボス枠の新怪獣も翌年以降は使い回しサイクルの中に入っていってしまうため、せっかく新怪獣として印象付けられても格落ちが発生しやすいということがある。
 ただし、1シリーズごとに新造できる着ぐるみ数が限られる以上、『大怪獣バトル』からの方法が『セブン』や『ネクサス』の方法と比べて優れているのは間違いない。一方でデメリット面も10年も続くと十分に弊害になっているわけで『ブレーザー』は転換を図っているとは言えるだろう。

ウルトラマンは新怪獣を出し続けられるのか

 それでは以上の前提を踏まえて言える『ブレーザー』の新規怪獣続々への不安要素とは何か?
 これは一言で言うと、この体制を続けていけるのか?という疑問に尽きるだろう。
 まず玩具販促という面から。ウルトラマンマーチャンダイジングはそれこそシリーズ始まって以来切っても切り離せない関係にあるが、ニュージェネの場合より玩具販促を押し出すようになっている。その最たるはインナースペースの活用で、変身後も異空間にいる人間が変身アイテムや武器を操作してタイプチェンジや必殺技を発動するのはもはや定着したと言える。つまり、より変身玩具や武器玩具のCMに特化したわけである。
 ここではその是非は問わない。ただ、シリーズを作る上でおもちゃ会社、要するにバンダイの要求を上手に昇華することが求められるようになったのは確かだ。この対応も一筋縄ではいかない。今やニュージェネを代表する監督といえば、田口清隆氏だが、田口監督も初のメイン監督作品『ウルトラマンX』ではエクスラッガーが出るということを後から聞かされたため、シリーズ中にエクスラッガーの存在を十分に組み込めなかった(この反省から翌年の『ウルトラマンオーブ』ではオーブカリバーを最初からストーリーに組み込み、第1話からオーブオリジンの存在が前提となった)。『ブレーザー』で新規怪獣を重点的に出せているのもメイン監督の田口氏がニュージェネでシリーズを手掛けるのが実に4作目で、バンダイやその他円谷上層部との折衝を心得てきたという事情は大きいと見られる。つまり、他の人物がメインスタッフとなっても新怪獣を大量に出すという路線を貫けるとは限らない。
 これに通じる問題としてはスタッフに新怪獣を出し続ける技量があるかというものもある。これも結構前の話になるが『ウルトラマンX』4話「オール・フォー・ワン」の脚本を執筆された黒沢久子氏がついぞザラブ星人がどういう宇宙人なのか知らないままザラブ星人を登場させたという話に衝撃を受けたことがある。実際、その話でもザラブ星人ザラブ星人であることを生かして登場したわけではなかった(友好面して近づき騙すこともにせウルトラマンに変身することもなかった)。まさか作り手がザラブ星人を知らないとは…。しかし、改めて思い直すとこれも当然だとは思う。ウルトラマンが社会現象化し今でも常識として通用する下地が築かれたのは本当に第一期シリーズの頃で、それはもう半世紀以上も前なのだ。平成三部作の頃は幼少期にウルトラマンを「常識」として摂取したクリエイターが多数いたが、時代が下るとそういった人数も少なくなる。雇われ脚本家にウルトラ怪獣一体一体を熟知しているなんて望むべくもないだろう。ましてやウルトラマンでこういう話を書きたい、こういう新怪獣を作り出したいというスタッフもいないとは言わないが、平成三部作の頃と比べて熱量は比べるべくもないのではなかろうか。もちろん平成三部作世代の若いスタッフがいるのも知っているが、私同様彼らにとってもウルトラマンは数ある思い入れの作品の一つくらいだろうしなあ(これは熱量が足りないと言うより現代の消費作品が展開しすぎているという事情が大きいが)。
 つまるところ今のスタッフに新怪獣を創造できる余地が与えられたとして、十分に創造し得るかというのは疑問が残る。いやもちろんニュージェネの監督陣は皆さんウルトラマンにも怪獣にも十分に思い入れが認められるので、監督陣がフォローしていくことで興のある新怪獣は出てくるはずだが、文芸面から趣のある新怪獣が生まれてくる余地が以前より狭まってしまっているのは不安を感じるところではある。
 まとめると、「決められた予算の中で新怪獣を出し続けるにはメインスタッフに相応の熱量と交渉力があって初めて成り立てるのではないか」「仮に新怪獣を豊富に出せたとして魅力的な新怪獣を出せる創造力のあるスタッフとは限らないのではないか」という危惧が『ブレーザー』あるいは今後のシリーズに拭えないところだ。

新怪獣は本当に求められているのか

 次にそもそも新怪獣は社会的に求められているのかという話をしたい。社会的にと言うと大仰だが、どういうことなのか。
 例に出したいのは『ウルトラマンタイガ』だ。ニュージェネ作品の中では『タイガ』は新怪獣という点において印象を残した作品と言える。それまでのシリーズではボス枠に新怪獣が起用されることが多かったが、『タイガ』は一話完結を基調にすることを目指し、セグメゲル、ナイトファング、ギガデロス、ゴロサンダーといった節目の一話ではないお話の中で新怪獣が登場した(ナイトファングは前後編の上フォトンアース登場もあったのでやや外れるが)。実はこの怪獣たち、ナイトファングはキメラべロス、ゴロサンダーはペダニウムゼットンのようにベリアル融合獣を改造して作られる予定もあったが、最終的には新造されている。
 そしてここにはコントラストがある。『ジード』だけの存在に思われたベリアル融合獣は『タイガ』『Z』と再登場を続ける一方で、『タイガ』新怪獣組はヘルべロスがデスドラゴ、セグメゲルがスフィアジオモスになるなど、あまり再登場することなく、その後の再登場の可能性は絶たれることになった。使い回しという面で見ると一話完結型新怪獣に利があるように思えてしまうが、完全な新怪獣よりも、ボス枠や歴代怪獣を元ネタにしているなど色のついている怪獣の方が使い回すための取っ掛かりが見出しやすいのである。
 新怪獣を出すことが歴代怪獣にも伍していけるような新しいスター・定番怪獣を生み出していこうという意欲の昇華であるのなら、一話完結型の話で新怪獣を出していくことはその意欲に十分に応えられるものとは言えないのである。使い回していくならすでに着ぐるみのある歴代怪獣や印象深いボス怪獣で間に合ってしまう。この観点で言うと、『ブレーザー』で新怪獣が多く出ることが今後ウルトラ怪獣という資産に資することなのか、確言しかねるものがあるとは言えるだろう。

そして、虚心坦懐に『ブレーザー』新怪獣

 ただし、ここまでつらつら述べてきたことは、ある意味どうでもいいと思わないでもない。これは『ブレーザー』の新怪獣続々への好評にも通じることだが、ここまでの危惧は「新怪獣」というものにすごく価値を置いている。ここまで「新怪獣」ということで盛り上がれるのは皮肉にもニュージェネのおかげである。出せる新怪獣が限られていたおかげで、新怪獣が出ること自体が一つの目玉となり、ボスなどの節目の怪獣が注目され、あるいは一話完結に出ただけでそのまま消えていった怪獣など、多くのチャレンジとそれによるメリット・デメリットが見出されるようになった。
 しかし振り返ってみると「新怪獣」がいるのは普通であり、しかも悪い言い方をすると数多のウルトラ怪獣は「死産」してきた。今でも商品価値が高いウルトラ怪獣は第1期の怪獣ばかりだし、平成以降の怪獣で定番とまで言えるのはゴルザとガンQくらいだ。多くの新怪獣はソフビ化されることもなくぽっと出で終わっており、そこまでの熱意なく生み出された新怪獣も少なくなかったはずだ*1。『ブレーザー』の新怪獣も『ブレーザー』単発で終わり、ソフビもすぐに廃版になり、10年後に誰も覚えていなくともそれこそがかつてのウルトラ怪獣の常態に回帰したと言えないこともない。
 そもそも原則的には商品価値とか消費者の側が考えることではない…と言うと身も蓋もないが。ウルトラシリーズの場合、予算面には常に苦しめられており、特にニュージェネは特撮面が低クオリティの『ギンガ』から始まったこともあり、付き合っているとすっかり「これが今出来ないのは仕方ない」「こんなことやっちゃって大丈夫なのか、またお金をかけすぎて会社が傾くのでは…」という感情に慣れっこになってしまった。この点で言うと『ブレーザー』が目指すのはこういう感情からの脱却もあるのかもしれない。
 それはともかくとして商業関係なく『ブレーザー』新怪獣に望みたいことは、これが令和の新怪獣としてふさわしいか、大きく言えばロールモデルを示してもらいたいということだ。令和が始まって5年になるが、『Z』~『デッカー』は新怪獣でも既存のシリーズをイメージソースとする怪獣も目立った。そういう意味では新時代のウルトラ怪獣はこういうのだ!を示したとは言えない。かつて『ティガ』から始まる平成怪獣はトゲトゲギザギザ釣り目瞳なしのような怪獣イメージを築いた。その当否はともかく今の怪獣といえばこういう感じを作ったのは意味のあることだ。また、平成ウルトラマンではCG怪獣が登場し、着ぐるみにこだわらない表現が出来るようになった。これもまた時代に合わせてウルトラ怪獣が新しくなった部分でもあろう。『ブレーザー』では純然な新怪獣の数が多いので、今後のシリーズで新怪獣が出続ける未来に向けて、今だからこういう怪獣が新しく出せるという側面を大いに開拓できるはずだ。その点は期待している。

まとめ

 ここまでつらつら述べてきたが、まとめると、

  • ブレーザー』が良くてもその後のシリーズで新怪獣を出し続けるには特別な交渉術が必要なのではないか?
  • そもそも新怪獣を出すことに商業的なメリットはあるのか?
  • それら関係なく『ブレーザー』怪獣は現代的な「新怪獣」の魅力を見せられるのか?

あたりを危ぶんでいる。これは田口監督に感じていることでもあるが、「あった過去」を現代的に復活させていても、それが「あるべき未来」に繋がっていくのか、今一つ確信が持てないことがこうした個人的な危惧に繋がっていると感じる。見たいのは「こういう怪獣が今後も出て行きます!」といった未来像なのだ(もちろんその時点で予想した未来になるとも限らないが)。
 とそれっぽく語ってきたが、結局ここまでの話は二次的なものだ。単純にどういう怪獣が見られるのか、見せてくれるのか。別に世間的にヒットしなくてもこの怪獣は良いと思ったら良いと思うだけで、ソフビだって買うしフィギュアーツの購入アンケートで「この怪獣をアクションフィギュア化しろ」と書くことになる(毎回ギャラクトロン書いてるんだけどまだですか…?)。そういう怪獣が1体でも多くいたら良いなが一次的な感情なので、まずはそこが大事だ。ここは忘れないようにしたい。

*1:失礼な言い方だが社会人に片足を突っ込みだすと一番大事なのは納期になるので、世の中には煮詰めないまま出てしまったものも多いと実感することになった