志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

『ウルトラマントリガーNEW GENERATION TIGA』の感想

 もうお正月って感じもないですが、あけましておめでとうございます。今年も色々綴っていくつもりなのでお付き合いよろしくお願いします。新年第1弾は原点に返ってウルトラマンです。
 さて、『ウルトラマントリガー』については放送前に記事を書いた。自分なりに今のTVシリーズウルトラマンについて綴ってみたつもりだ(断っておくが個人の感想である)。
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 その中で、私が出した結論としては、

  • 『トリガー』はまあ『帰ってきたウルトラマン』や『パワード』みたいに見ようじゃんか。ティガ要素がそのままだったり擦ったりしてるんだろう。
  • 『トリガー』は平成ウルトラ推しの完成形ではなくスタートダッシュである。今は平成怪獣のソフビを買って商品価値を認知させていく段階だ。
  • 『トリガー』が終わる頃にはTVシリーズの新しい道筋が見えてくると良いな。

のようなものである。表現が放送前とはちょっと違うかもしれないが、要点はこういうことだ。
 であれば、最終回を迎えた『トリガー』を評価するにあたっても基本的にこの観点を維持しつつ語っていくということになるだろう。

ティガをニュージェネレーションするとはどういうことか?

 『トリガー』は「NEW GENERATION TIGA」を副題に付けていた。要するにニュージェネ版ティガを志向するということである。私は『ティガ』は何よりもTVシリーズに15年のブランクがあってこそ生まれたと思っているので、『ティガ』の再演なんて甚だ不可能としか思っていないし、実際現実にお出しされた『トリガー』を観てもその感を新たにするだけだった。ただ、ここではもうちょい観点をクローズアップしていって何があればニュージェネ版ティガになり得るのかという問題提起から『トリガー』を分析したい。
 実はTVシリーズの『ティガ』はウルトラマンシリーズの1作としてはあんまり特徴がないと思っている。1話完結ストーリー、バラエティ感のある怪獣、魅力的な防衛チームの隊員やメカニック…全てがシリーズの中では高レベルなのが『ティガ』の名作たる由縁だが、どの要素もニュージェネ以前のウルトラマンシリーズの基本要素を抑えているに過ぎない。同時代的にはウルトラマンが宇宙人ではなく人間の延長上にあること、タイプチェンジ、光と闇の二項対立が新しい要素だっただろうが、革新的な作品にはよくあることで、革新であったがゆえにその要素は後のシリーズでも多くが踏襲され続け、最初の革新性が今から見ると「普通」にしか見えなくなってしまうことがままある(『バトルフィーバーJ』での戦隊ロボ登場は革新だが、それを以て『バトルフィーバーJ』を戦隊ロボが登場する作品!とアピールできないのと同じである)。
 『ティガ』はブランクを経て復活した作品なので、1年やり切れる保障もなかった。そうした中でかつてのウルトラマン視聴僧であった意欲的なスタッフが「俺の考えるウルトラマン」を出し切って生まれた結晶が『ティガ』だ。『ティガ』は終盤にかけて光と闇の対決に向けて雰囲気を作っていたが、これも厳密なシリーズ構成があったわけではなく、小中千昭氏が書いていた単発回の流れがハマっていったものと理解している。
 『ティガ』の再演は不可能、という話の反復みたいになるが、『ティガ』が『ティガ』たりえたのは、色々な条件が重なってしかもそれが後のスタンダードを形成したからでもある。『トリガー』はこうした『ティガ』から何を読み取って『ティガ』を再演しようとしたのか?
 結論から言うと、『トリガー』はTVシリーズの『ティガ』の再演は端からあきらめていたように見える。あえて言えば、マルチタイプやゼペリオン光線といった設定面を同名にしたくらいだろうか(上っ面のオマージュ演出も同列に属する)。特に驚きもない。これを入れたらTVシリーズの『ティガ』っぽくなるという要素は、述べたように特にないからだ。
 そこで注目されたのが『ウルトラマンティガFINAL ODYSSEY』(以下、TFO)である。この映画もあんまり評判が良くないが、TVシリーズのスタッフがオリジナルキャストを揃えて作っているし、間違いなく「正史」に属する作品なので、ティガ要素としては入れようがある。特に「かつて闇の巨人であった」「闇の巨人としての元カレ・仲間と戦う」といったティガのアイデンティティに大きく関わる後付新しい設定は今なおティガ固有のものである。『ティガ』ではなくTFOがフィーチャーされるのは変ではあるのだが、判断としてはむしろ必至とは言えよう(火星という『ダイナ』要素が入ってきたのも本質的には『ティガ』で使える要素が少ないから…なのだろう)。
 そういうわけで『トリガー』は基本線としてはニュージェネ版ティガではなく、ニュージェネ版TFOとして評価すべきという観点に立って評価したい。
 ところで、『ティガ』の再演は不可能というのはそれとして、坂本監督は「ティガ世代のスタッフに聞き込みをしてそれを作品に反映した部分もある」ということを言っていたが、具体的にどの場面・部分にどのような意見を反映していたのかはすごく気になっている。何だろうな?「ウルトラマンは喋らせない方がいい」とか「やっぱ爆破人形でしょ!」とか「ガゾート出すなら無理にでも「トモダチ」と言わせるべき」とかそういう感じか?私もドラマの大筋はもはや覆せないという状況なら、どれもそれくらいの助言はするかもしれないな…。

TFO×ニュージェネとしての『トリガー』

 TFOリブートとしての『トリガー』の要素はかなり明確で、闇の3巨人は類似した外見だし、トリガーがかつて闇の3巨人の仲間で、ユザレとの邂逅(?)によって闇の3巨人を裏切ったのがストーリーの発端であるのもTFOをなぞったものだ。だが、『トリガー』による展開はTFOからはかなり趣を異にしていった。いちいち言うまでもないが、闇の3巨人は表面的にキャラを踏襲しつつも、恋情から人間を評価するダーゴン、卑劣で他の仲間を出し抜こうとするヒュドラムなどはダーラム、ヒュドラとはだいぶ違った心情変化と末路を遂げた。トリガーダークを光に導いたのは実はトリガー(ケンゴ)本人で、力のみとなったトリガーダークはイグニスというオリジナルな登場人物に受け継がれてトリガーと共闘した。こうした試みは元のTFOが映画で時間制限があったのに比して、TVシリーズで彼らの描写に潤沢に時間を使えたのが大きいだろう。そしてそれは間違いなく、キャラクター演出に傾いたニュージェネの長所が相乗した『トリガー』の見所になった。
 最終回の決め手の一つが光と闇を併せ持つトリガートゥルースだったのも、ニュージェネによる闇を否定しないという歴史を踏まえていくと趣深いものがある。原典のカミーラも最期に光を求めたような台詞があったが、カルミラにも救いの手が差し伸べられたのも、TFOを「今」リブートしたからこそやれた部分だ。
 メガロゾーアの存在も趣深い。TFOのデモンゾーアはカミーラの最終形態だが、オールCGで全体像もはっきりしないし、何よりグリッターティガが体内に侵入→爆発という何が何だかわからない最期だった。こうしたデモンゾーアに比べると、カルミラの意匠を残しつつガタノゾーアを全体的に模したメガロゾーアは20年以上越しにあるべきデモンゾーアが現れたという感慨があった(デモンゾーア好きの人には申し訳ないが…)。
 正直『トリガー』初報の時点ではメイン監督が坂本監督であることには疑問だった。これはギャラクシーファイト撮ってるんじゃないの?というものもあったが、ティガと坂本監督らしさがそこまで関わらない気がしていたからだ。しかし、今になって思うと『ジード』でベリアルを否定しないラストに関わったという点を重視、していたのかなあ?結果的に『ジード』からベリアル前史を抜いて、ティガ設定リブートを入れたのが『トリガー』という感じで、トリガートゥルースやカルミラの最期などは坂本監督がメインだったからこそ発想として生まれてきたいいリブートだったかもしれない。
 以上のようにTFO→『トリガー』は、当時消化不良だった要素をやり切った、同じだからこそ今やれる違う部分が輝く、とリブートとしては理想的だった部分が多いように思う。『ティガ』をリブートするなんて最初から無茶だし、実際表面的要素をなぞる以上のことは評価できるものもないが、TFOリブートに関する取捨選択・改変はそれなりにセンスは感じている。最初から「NEW GENERATION FINAL ODYSSEY」を副題にしておけば良かった説

個人的な『トリガー』感想

 御託並べる前に結局お前の感想はどうなんだよということでまとめておく。
 率直に言うと『トリガー』の感触は…悪くない。ただこれはストーリーの良さを積極的に評価するということではなく、雰囲気に慣れてその上で楽しむ心構えが完成したということである。戦隊やライダーといった1年ものの特撮シリーズだとこういうことはままある。序盤にあった「ええ~~~?そこでそうなるのはおかしくないか?」といった感覚のズレ・違和感が中盤から終盤にかけて「ま、この作品ではそういうことなんだろう」という感覚が出来て思いのほか楽しめるようになるのだ。おかしいと感じたところが作品の中で修正されるわけでもないのだが、そこはもうその作品特有の「味」であり、その上で見せ場を素直に見ようと気持ちになっていく。ただこれまでは1年ものの半年を過ぎたくらいからこの感覚が完成していっていたので、例えば『ウルトラマンタイガ』はこの感覚が完成しないまま最終回を迎えてしまい、今でも素直に視聴できる心構えがない。『トリガー』は幸運か不運か、この感覚が序盤で完成したので悪印象が積み重ねっていくということはなかった。ただそれでも最低限悪い意味で琴線に触れることがなかった作品だとは言えるだろう。
 ストーリー面や設定は評価が難しい。過去のニュージェネでは「結局これ何なんですか?重要そうだし設定があるのでは…」と睨んでいたものが、後のスタッフインタビューや超全集などを読んでも「あっ、特に考えてなかったんですね」と肩透かしを食らうようなことがあった。要するに設定を練りこまないままお出しされたものが、曰くありげに見えていたというものである。これに比べると『トリガー』は恐らくストーリーも設定もニュージェネ中では最も練りこまれていると思っている(まだスタッフの証言などがないので断言できないが)。『ウルトラマンZ』では最終回の構想を先に作り、それに向けて各話でやることを振っていって作ったとされているが、『トリガー』も恐らく同様に『Z』よりも確実にそういった段取りで作られている。だから、大まかに見ると大きな流れの平仄があっていないということはない、この点だとストーリー面には結構力が入っていたと思う。
 ただ、それがどのように出力されたかという点の評価は低い。1話におけるノルマ要素がそもそも多く、今何が起きているのか画面だけでは理解できず、後で考察などを見て理路を納得するというようなこともしばしばだった。その話の中では要素が唐突に現れたと感じることもあった。演出や編集如何で煮詰めているストーリーのポテンシャルはもっと発揮できたはずだ。まあこの演出のタメの機微のズレは悪く言えばニュージェネらしさかもしれない(どの脚本・監督回でもここはあんまり変わらなかったし)。
 他の点で言うとGUTSセレクトのタツミ隊長、テッシン、ヒマリの3隊員のキャラが深まっていかなかったのはもったいない。テッシンさんは毎回出ていたはずだが、今でも『ジード』の店長の方が印象的だ。月並みだがメイン回が欲しかったところではある。
 また、これはコロナ禍とも関係あるかもしれないが、特に中盤以降市井のギャラリー不在は単純に良くなかった。同じ傾向は『Z』でもあったが、『Z』ではコロナ禍は突然だったし、『トリガー』では序盤はギャラリーをそれなりに描いており、また最終回で突然ティガオマージュのために子供たちが生えてきたので、やはり惜しさが残る。逃げる市民や戦いを応援する人くらい、もういっそのこと素材にしてしまって流用するとか出来ないものだろうか(毎回同じ人が応援してるのは変だろうって?何度もキリエロイドに爆破されるビルみたいなもんでしょ)。また、超古代の人間がユザレしか出て来なかったのも結局超古代文明は何でどう闇の巨人と因縁があったのかが全然映像として描かれなかった。コロナ禍も濃淡があったから直接の事情はよくわからないが、減点要素ではあった。
 怪獣についても評価が難しい。悪くもなく良くもなく…ではなかろうか。例えば、ゴルバーは第1話怪獣かつ新規怪獣だが、ゴルザとメルバが合体したことで何か面白い演出がなされ印象に残ったかというと別にそんなことはなかった。ただ雑魚として使いつぶされたということもなく能力演出はあったし、戦闘に見せ場もあった。加点要素もないが減点要素もなかったのである。『トリガー』怪獣の総合的印象もこんな感じで、だから怪獣を有意に描いていないという評価は過小評価だと思うが、それはさておいても過大評価できる材料もそんなにはない。

『トリガー』の引き金

 最終回を迎えた『トリガー』だが正直あんまり終わった感じはしない。例年だと最終回が年末なので「年の終わり」と最終回が連動していたのが、それがないことやエピソードZの存在もあるだろうが、一番大きいのは後番組が『ウルトラマンクロニクルD』であることだ。今年の夏から始まるであろう新ウルトラマンが「NEW GENERATION DYNA」になるのか、確たることは言えないが、過去の列伝・クロニクルを見ても大なり小なりその後の新作への前振りとして機能しているので、新作でダイナがフィーチャーされる蓋然性はかなり高い。つまり新作は『トリガー』の世界観を何らかの形で継いでいる可能性も高い。そして、昨年から平成三部作・TDGを一連のものとして推すイベント展開や玩具展開があることを思えば、来年の新作がガイア関連になることが容易に想像できる。そういう意味では『トリガー』の作る流れはもうすでに続いていくことが明らかである。
 ぶっちゃけると過去の作品を擦っていく創造手法自体に志を感じないので、今年はニュージェネダイナです!と言われても全然燃え滾るものはないが、是非に及ばず。平成ウルトラマンの商品価値を高めていく一貫として受けねばならぬ試練とでも考えるしかないか(今年はダイナ怪獣のソフビ出してくれるんですよね?キリエロイドみたいに新造怪獣での復活もあるんですよね???)。
 ただ今述べたのは志の話。『ダイナ』は作品としての神格化度合は高くないので、『ティガ』の要素を表面的に擦っただけという『トリガー』的事故が起きる可能性は低いと思っている。スフィア合成獣なんて既存の昭和怪獣にスフィアパーツ付けるだけで成り立って特に文句も出なさそう*1だし、制作側もやっぱダイナ最終回と言えばグランスフィア相手にソルジェント光線!(そのまま行方不明)ここは外せない!とは考えないだろう(そもそも第1話が火星での戦闘なのは『トリガー』でやってしまったし)。『ダイナ』は陽性の作品であるし、ニュージェネでダイナをやるというのはティガをやるよりは、雑味が入らずに昇華できると思っている。『トリガー』の後日談でもあるのなら、『トリガー』で不満だったGUTSセレクトの人たちも改めて活躍できるかもしれない。
 こういう風に考えていくと、制作側の狙いというのは、1年1作品という縛りを意図的に緩くしていくことにあるのではないかとも思える。これまでのニュージェネでもそういう傾向はあったが、それでも世界観を直接的に受け継いだのは『ギンガ』→『ギンガS』だけで、前作のキャラが客演する場合もあくまで「客演」、新しい世界観にお邪魔するという体は守っていたと思う。
 それが『トリガー』におけるハルキ・Zがそうだが、第7話はまだお邪魔する体だったが、第8話はハルキがもはや自然にGUTSセレクトに混ざって話が進行していて、「お客様」感はあまりなかった。新作で半年・クロニクルで半年という時間配分も『トリガー』は総集編を4話も挟むことで無理やり崩している。1年総じて新作を作れない代わりに、明確な区切りを意識させない作品作りを目指しているのではないだろうか*2。そのために平成三部作・TDGの看板が連作という意識付けのために使われているとも見られる。
 そうだとしても「じゃあニュージェネガイアが終わったらどうなるんだよ」とか突っ込みがあるし、「いい作品を作る」が焦点から外れてしまっている気持ちもするが、相変わらず一ファンとしてその先に何があるのか見据えていきたいですね。作品が作られる限り、すごく得心できるようなものが来る可能性だって無碍には出来ないので。

*1:ハイパーゼットンや怪獣兵器で実証済

*2:他社だが戦隊は『ゼンカイジャー』→『ドンブラザーズ』で明確に連続性を打ち出してきている