志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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『機動戦士ガンダム 水星の魔女』感想

 ガンダムには元々興味があったわけではない。子供の頃はテレビマガジン派だったので、ロボットとしての容姿は知っていたが、子供時分にはシリーズを視聴することはなかったし、視聴習慣が付かなかったので20歳を迎えても基本的に観たことは全くなかった。そんな私にとって転機になったのはコンパチヒーローシリーズの復活だ。コンパチヒーローとはウルトラマン仮面ライダーガンダムが共演するゲームシリーズで、80年代に隆盛したがその後途絶えていた。厳密に言うと平成4年生まれの私とも接点はないのだが、10年代にリバイバルで復活したことは個人的にも大きいものがあった。何かと言えば、私のメインフィールドとも言うべきウルトラマンはその頃コンシューマーゲームの流れが途絶えており、仮面ライダーガンダムとの共演であっても、コンシューマー媒体でゲームが出るのは画期的だったのだ。特に当時ウルトラマンを引っ張っていたのはゼロで、ゼロをプレイアブルにしてメインキャラとして扱える媒体は今でも当時復活したコンパチシリーズが強い。そうして購入した『ローストヒーローズ2』で20代中盤にして初めてガンダムと触れ合うことになった。そこからガンダムにのめり込むことになり、一部の映画や平成三部作、『ガンダム00』を履修してとりあえずいっぱしのガンダムファンを名乗るに至った。
 こうなると当然ながら、リアルタイムで展開するガンダムにも興味を持つことになる。そうして初リアルタイム作品となったのが『鉄血のオルフェンズ』だ。しかし、『鉄血のオルフェンズ』は最終的に主人公の陣営が全滅エンドを迎えてしまい、それまで観てきたガンダムからも落差があったことから、有体に言えばショックを受けてしまった。終わってみればそういう物語だったと納得はできるのだが、子供はやっぱり子供で世界を変えられませんでしたというオチはあんまりではなかろうか。
 そのトラウマを引っ張っていたため『水星の魔女』とも当初は距離を置いていた。しかし、伝え聞く限りではどうも評判が良い。そこで、アマプラでの配信を利用しておっかけおっかけ、1期最終話(12話)までにリアルタイムに追いついた。そして、本日2期も最終回を迎えた。『水星の魔女』は今後も展開があるかもしれないが、とりあえずTVシリーズは完結したので感想記事を認めようとする次第である。

 まず端的に言っていい作品だったと思う。リアルタイム視聴にて惹起された期待には凡そ応えてくれたと言うべきか。見たいものは見せてくれた。これを前提に「感想」を紡いでいこうと思う。

  • テンポの良さ

 関心したことの一つにストーリーのテンポの良さがある。2クールしかないのでハイテンポなのは致し方ない部分もあるが、それ以上に何か問題やアクシデントが起こっても、それによって物語が停滞することが少なかったと感じる。ショックなことがあると思考停止したり、引き籠ってしまったり、うじうじしたり、そういった挙動が起きるのは自然で、『水星の魔女』でもそういった面は描かれた。それでも登場人物たちはすぐにそれを解決しようとする。しかもそのせいでさらに話が拗れていくということはあまりなく、最終的な解決はしなくとも話自体は次のステージに進展する。だからストレスは少なく見やすいということにはなる。一方で切り捨てられ全てを失ったスレッタがテロの中でやるべきことを見出し精神的な成長を長足で遂げるのはやや急ぎ過ぎた感もあり、ここは主人公なだけにもう少し欲しかった気もする。ただ、ニュージェネウルトラマンのように「もう少し欲しかった」くらいがいい塩梅ということかもしれない。

  • 現代的なテーマと答え

 さて『水星の魔女』のシリーズにおける特色としては、主人公が女性でヒロインも女性、しかも学園のルールで2人は婚約者となるというものがある。ガンダムTVシリーズにおいて女性が主人公なのも初めてだろうし、同性婚を直球で取り上げてもいるわけで、こういった要素は現代の世情を反映するものと見ても良いと思われる。その他にも、地球と宇宙の対立、ガンダムという兵器の是非などガンダムが伝統的に取り上げてきた題材もあり、『水星の魔女』がこれらをどう描いていくのかは、それ自体が現在もガンダムが作られ続ける意味を示すことでもあろう。
 『水星の魔女』が示した答えはテーマほど革新的ではなかった、と思う。すでに同性婚自体はおかしくない設定なので、その是非は取り上げられることなく、スレッタとミオリネも同性カップルを殊更に協調されず、むしろ人生のパートナーとして関係を深めていった(異質な存在同士が徐々に距離を詰め、時に感情をはっきりと出し、違和感を覚えながらギャップを埋めていき離れがたくなっていく流れはかなり丁寧だった)。特殊なものをあえて普遍性を以て描いたとも言える。地球と宇宙の対立やガンダムの是非にしても、最終的な回答が示されると言うより、改善しようという意志に終わり、問題を解決していくのはこれからのままだった。あえて言えば答え自体は平凡だった。
 ただ、『水星の魔女』が斬新な答えを提示しなかったことは作風には合っていた。これは「テンポの良さ」とも関わるが、問題に対し小さい回答が示され続けて前進する、その積み重ねが『水星の魔女』の物語だ。何か諸問題を一刀両断に解決できるものがあるわけではなく、不断に平凡な答えを重ねていくことが未来を拓く。そういうメッセージを発していたと見たい。

  • 子供が親を超えるということ

 そして、『水星の魔女』において特筆されるテーマとしては親子対立がある。これまたガンダムでも親子対立は根深いテーマだが、『水星の魔女』はどのように描いたのだろう。『水星の魔女』にはあらゆる形での親が登場し、その家庭環境は全く一筋縄ではない。というか、メインキャラで両親が健在かつ親子関係が伝統的な意味で良好な組み合わせはない。それぞれが問題のある毒親なのだが、『水星の魔女』で特異なのは毒親たちは漏れなく子を愛していることだ。単純に子供を利用する親を打倒すればいいという話ではないのである。それだけに前項でも述べたように、子が親を超えるということは、単純なものでもなく、解決可能なものでもなく、親が成し得なかったことを子供が成し得ようとするものとして描かれた。引き合いに出して悪いが、子供が包容力を以て悲劇を乗り越えていく物語は『鉄血のオルフェンズ』で期待していたものでもあったので、『水星の魔女』でようやく喉のつかえが降りた思いだ。
 また、エリクトが救われたのもほっとした。エリクトはプロローグの悲劇における被害者と見て間違いないので、「救い」は絶対に欲しかった。最終回前でエアリアルごと大破した時はヒヤリとしたが、電脳生命体(?)ではあるが助かって良かった。マスコットに小姑として収まるとは思わなかったが、エピローグのやり取りでも結構美味しいポジションだった。
 逆にデリングとシャディクに関しては不満が残る。エピローグではクワイエット・ゼロについてシャディクが罪を背負い、ミオリネに別れを告げていた。恐らくシャディクはその後犯罪者として人生を終えるのだろう。もちろんシャディクが学園の中で暗躍しテロを起こし数多の死者を出したことは大きな罪に問われるべきだが…ニカが罪を償うことに前向きさを見せ、エピローグで地球寮の一員に復帰していたことを思うと、シャディクも救われて欲しかった。もちろん死を以て償うのも認められるキャラだとは思うが、クワイエット・ゼロみたいな大事までは関係ないじゃん…。そこはデリングが罪を被ってくれ…。ここはミオリネのデリング超えがスレッタやグエルほど鮮やかではなかったこともあり、もやもやしたものがある。

まとめ

 そういうわけで『水星の魔女』はテンポ良く、現代的なテーマ、特に「子が親を超える」物語を平凡であるがゆえに力があり、前向きな答えを紡いでいってくれた。これとも関わるが、どうしてもテーマに集中すると観念的な話に傾いてしまう昨今、クワイエット・ゼロをどう見ても悪の戦艦として「こいつをぶち倒せばお話も終わりですよ!」と出してきた*1り、そういう急にIQを下げるというか、視聴者を暴力的にすっきりさせる仕掛けを用意し、超絶作画でMSのアクションを描いたのもアニメとして見応えがあった(繰り返し引き合いに出して申し訳がないが『鉄血のオルフェンズ』もここらへんは弱かった)。何というか、大人びた装いをしつつ適度に子供目線を忘れない、そういった作風も見やすかったと思う。
 次に現れるガンダムがどのようなものになるのかはまだまだわからないが、次のTVシリーズは最初からリアルタイムで観てもいいなと思えるくらいに信頼は回復したので、これからも今どういうガンダムが観られるのかは大事にしていきたいところである。

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*1:一応フォローしていくと、最終回の戦いは破壊して終わりではなく、矛盾するようだがこれもストーリーには合っていて良かった