志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

『デジモンゴーストゲーム』総評

 デジモンゴーストゲーム』は令和3年(2021)10月3日から令和5年(2023)3月26日まで計68話が放送されたTVアニメだった。私は一応デジモンファンであるが、アニメについては『デジモンアドベンチャーtri.』で深い傷を負ったため、『デジモンアドベンチャー:』はTVシリーズでは初めて全くの未視聴に終わった。『:』を観なかったのは、このデジモンアドベンチャーリブート企画が成功したとして、その先に栄えある未来が全く見えなかったからだが、結果的に『デジモンゴーストゲーム』という完全新作に繋がったのだから驚きだ。旧作リブートから全く関係なさげな新作に繋がってしまうあたり、デジモンブランドの行き当たりばったりさを感じてしまうが…*1
 それはともかくデジモンアニメに望むものを問われれば、クロウォ3期方式となる。要するに一話完結を基調にしていくスタイルだ。まず、後ろ向きの理由としては現在のストーリークリエイターに1年物の筋が通ったシリーズ構成をあまり期待できないというのがある。これはデジモンに関しても『tri.』や『アプモン』で思い知らされたことだし、そもそも近年1年物のTVアニメは少なくなった。2クール止まりだったり、最初1クール作って評判が良ければ1クールの2期・3期を続けていったり、1年物でも漫画の原作があったりすると、アニメスタッフが大筋を考えるわけでもないし…まあこういった部分は多分にイメージなので間違っているかもしれないが。
 前向きな理由としてはデジモンの数が増えすぎた現在、1体でもアニメでメインとなるデジモンを増やしたいというのがある。鬼太郎的にデジモンが能力を生かして悪さをする→懲らしめられるという単純な筋でもそのデジモンにとっては晴れ舞台、このデジモンを見たいならこの回!というのが出来れば幸せなことではないだろうか。一度でもアニメに出て設定画が描かれれば再登場の可能性も大きく上がる。基本が一話完結ならそういうデジモンたちを増やしていける。

 そういうわけで個人的にデジモンアニメにはもうアドベンチャー再びで壮大なストーリープロットを構成するよりは、何ともない一話完結をただただ積み重ねる方が気安く観られて良い、そう考えていたのである。
 この観点からすると『ゴーストゲーム』はまさしく理想のシリーズだったと言っても過言ではない。クロウォ3期もデジモン版鬼太郎と言われたりすることもあったが、『ゴーストゲーム』は怪異推しだったこともあり、まさにデジタルな妖怪としてのデジモンを描く「デジモン版鬼太郎」であった。そういう意味では基本的に私は『ゴーストゲーム』に満足している。だったら万々歳なのでは…?と思うが、理想が実現することで逆に見えてきた問題点もある。
 まずTVシリーズとしての問題点として挙げておきたいのは、いきなり矛盾するようだが、流石にシリーズ構成がなさすぎるのではないかということだ。連続要素としてはクロックモンやマミーモンといった初期に敵として登場したデジモンがその後に登場したり、ガンマモンの抱える闇がたまに登場するくらいで、諸悪の根源となる敵がいてそれを倒すことを目標に一話完結が積み重なる、という構成ではなかった。これは単純に悪いことでもなく、どこから一話を切り取っても入り込める利点もある。しかし毎週の視聴が基礎で長期の付き合いが求められるTVシリーズにおいて、長期付き合うことの視聴メリットがないというのはモチベーションが上がるとは言えない。『ゴーストゲーム』には宙の父親やガンマモンの素性などシリーズを通して引っ張る謎も提示されたが、これらも普段の一話完結ではほとんど意識されず、3話かそこらでの連続ものとなった最終章でもまとめるには短すぎた。
 シリーズ構成自体も多分にドロナワで、究極体の敵が現れたのは56話目。最終回が67話なので究極体の敵が出るのは10話足らずに終わった。デジモンの場合社会保障が薄いのは増え続ける究極体の比重が高いので、掘り下げられる究極体の少なさは残念だった。
 そもそもこうした一話完結をベースにしている鬼太郎だって、〇〇編みたいな一話完結基調だが1クールほど敵が固定の長編はやってるんじゃないか。『ゴーストゲーム』でも大筋の話は動かせないにしても「ジャングルトルーパー来襲!」とか昭和ウルトラにあったような真夏の怪談シリーズのような何話か連続でお話の趣や登場デジモンの種類を揃えてイベント展開らしくするとか、そういうことは出来たのではなかろうか。これならそういう長編ボスでもっと究極体を出せたかもしれないし…。
 また、シリーズ構成の弱さにも関わる部分だが、これまでのデジモンでは進化回というのは、人間・デジモンともに何らかのイベントを乗り越えることで新たな進化が可能となる展開が多く、だからこそ見応えもあった。しかし、『ゴーストゲーム』の進化回は一話完結のついでに新たな進化が会得されるようなものが多く、精神的な成長が顕著なわけでもなく、シリーズの中でのイベント性に欠けた。これは単純にもったいないような気がしてしまう。
 次に細部の話として、何と『ゴーストゲーム』では基本的に事件の根源となったデジモンを倒したりはしない。過去にも生命であるデジモンを倒す、命を奪うことに葛藤する展開はあったが、今回は葛藤すらなく、デジモンを倒さないことがある種の前提になっている。別に倒す必要があるのか?と言うとそんなこともないという理屈はわかるが、毎回デジモンが起こす事件はシャレにならないような案件も多く、デジモン自体に悪意が存在するケースもある。そうしたものでも主人公たちはデジモンを懲らしめはするが、最後には放免するわけである。端的に言うと、カタルシスに欠けるということになるだろう。また、和解展開に持っていくために、無理矢理「誤解」ということにする展開もあったが、そこまでやるくらいなら普通に倒して解決で良くないか?こういった部分はある種「死なない妖怪」を無意識にデジモンにもなぞってしまったからだろうか(知らんけど)。
 進化回に盛り上がりが少ない、バトルはあるがトドメはないの相乗効果として、作画力が高い回はあるもののどうしても戦術面の描写は薄くなった印象もある(まあこの点に関しては過去のシリーズもそんなに力が入っていたわけではないが)。
 ここからはアニメならではのいいところについて触れておくと、やはりそれまで出番が少なかったデジモンたちがアニメに出られたのは今後への遺産として評価しておきたい。特にもう最近のデジモン展開にあんまりついていけていないので、トロピアモンやマンティコアモン、アイズモンなどを認知できたのは『ゴーストゲーム』登場の恩恵だし、オボロモンのような『ゴーストゲーム』初出の一般デジモンが出たのもコンテンツの力を感じる。また、シリウスモンはデジモン的にはもう手垢の付きまくってる意匠が多いと感じていたが、いざ主役として動いてるのを見るとカッコ良かった。やっぱりアニメで動くとそれだけでお得だなと思った次第である(過去のぽっと出デジモンたちも登場メディア媒体が限定されていたゆえにぽっと出で終わってしまった部分は絶対ある)。
 まとめると、日曜朝にダラダラ観る分には悪くなかったが、それ以上にはならなかったのが『ゴーストゲーム』と言える。一見そつはないものの、大きな加点要素がなく細かい減点要素が積み重なるため、損をするタイプの作品になってしまった。何がダメだったのか私に考えてみると、シリーズとしての個性のなさではなかろうか。一話完結が積み重なるだけでは、それ単体がどれだけ良質であったとしても、全体の顔が見えてこない。もちろん共通する雰囲気はあるのだが、それがシリーズ通して見た時に「この味はここだけ」という域に昇華されていないような、そんな落ち着きのなさがある。
 『ゴーストゲーム』が終わり、デジモンのTVアニメシリーズは再度途絶えることになった。とりあえず一話完結基調のシリーズは実現したので、次は「今だから出来るデジモンになることを望みたい。

*1:『:』が成功したのなら旧作リブート路線でシリーズが続くだろうし、失敗したのならTVシリーズも絶えるだろうので、『:』→『ゴーストゲーム』というバトンタッチはぶっちゃけよくわからない