志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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安倍晋三氏の遭難死への覚書

 令和4年(2022)7月8日の12時半頃、一仕事終えてスマホを見てみたら信じられないニュースが世情を騒がせていた。元首相である安倍晋三氏が奈良の西大寺駅で撃たれ心肺停止というのだ。その時点ですでに安倍氏の容体は絶望的と見え、実際に5時過ぎには死亡が宣告された。安倍氏参院選を2日後に控えた遊説中に暗殺されたのである。こう文字を打ってみても未だに文字列が意味していることが信じられない。何かの冗談ではなかろうかと思えてしまう。正直事件にまつわる喧噪を他所に、この件についてはその後も心身が混乱していて、安倍氏の顔が不意に浮かびながら、彼はもうこの世におらず、しかも不慮の不幸な死を遂げたということが、何か書かねばならないという使命感を惹起させながら、それでいて何を書けるのか、全くわからない状態に置かれた。1週間経ってみてようやく落ち着いてきたので、一文を認めてみようとする次第である。


 安倍氏が撃たれた映像は色々な点で劇的でありながら非現実のように感じられた。爆音のような最初の銃撃音を聞いた安倍氏や周辺の聴衆は何事かとゆっくりと音の方へ体を動かす。後知恵と言えば後知恵だが、何とものんきな数秒で、日本人の「平和ボケ」というのを如実に表したような数秒であった(最初の銃撃の時点で護衛やSPがもっと動けていれば、安倍氏が伏せていれば…しかし誰も数秒ではそのようなことは思いつかなかったのだろう)。その刹那、二度目の銃撃があり、安倍氏はよろめきながらやがて倒れた。銃殺と言えば、世代的に『名探偵コナン』での描写が思い出されるが、撃たれても撃たれたそばから血が噴き出すでもなく、即死でバッタリと倒れるのでもないのが「現実」であった。
 政治家が銃撃によって殺害されるということは「現代」離れしているように思われたが、犯人が用いた銃がどうやら3Dプリンターによる自作であるという「現代」性のコントラストにもくらくらした。またも『コナン』を引き合いに出すが、そこで使われる銃とは警官の銃だったり、猟銃だったり、密輸品だったり、何であれ正規品ではあったわけで、自作の、しかもそれでいて殺傷能力を十分に有する銃の存在は想像外であった。
 今回の事件が生む新たな政治の形はまだまだわからないが、2010年代・平成後期の政治の形が失われる流れは加速するだろう。近年は左右ともに安倍氏を結集核としてきたからだ。そして、安倍氏が首相から降りた後も、その状況は失われていなかった。それが唐突になくなってしまった。私自身は安倍氏の積極的な支持者ではない*1が、安倍氏に現実的な側面は確実にあり、過激な保守層をそれなりにコントロールしていたことは評価できる。そうした重石が左右ともに失われたことになり、より対立が先鋭化していくのは望むところではない。
 いずれにせよ、現代日本はそれが良いものか悪いものかに関わらず「新しい時代」に否応なく入っていくだろう。私の身体ははっきり言ってそういう「新しい時代」に拒否感があるが、いずれは順応を余儀なくされるのかもしれない。そうした中でも微力であってもより良い時代を遺せるように生きていきたい。それが横死した人間への供養であると信じたい。
 という決意とは別なところで、今回の事件はすでに興味深い。安倍氏はなぜ殺されたのか?犯人が統一教会への恨みを動機に挙げていることで、統一教会安倍氏、あるいは自民党の関係などがネット上では喧々諤々としている。しかし、個人的には正直言って統一教会への恨みと統一教会安倍氏の関係、安倍氏への銃撃の連関に今一つ納得しきれていない。そもそも事件からまだ1週間経ったくらいなのでそれで全貌を明らかにできると思うのは無理がある。事実関係の確定、さらには事件への歴史的評価はもっと長い目で見て確定されていくものだろう(そういう意味ではどのような立場であるにせよ、現時点で事件を断じてしまうのは勇み足が過ぎるように見える)。そうした「歴史」の中に身を置いているということが、一歩引いて見ると趣深く思われるのである。

*1:主観的には支持したつもりはないが、過去の政治活動を鑑みると結果的に消極的な支持者として動いていたことは否定できない