志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

怪獣monsterのコンテンツを中心に興味の赴くままに色々と綴っていくブログです。

『ウルトラマントリガー』放送直前に寄せて

 全然気にしてなかったが、今回でこのブログの記事数も100らしい。だからと言うわけでは全然ないが、たまには本腰入れて昨今のウルトラマンシリーズについて語ってみたい。これまでもちょいちょい語ってはきたが、時々の作品評だったり、ゼロ関連のものの感想だったりでシリーズどうこうの話はそこまでしてこなかったし。もっとも本腰入れてとは言っても大した話は出来もしないはずだが…。
m-78.jp

 いよいよ放送が始まるウルトラマントリガー』は放送前から賛否両論と言うか、色々な意見がネットの海では見える。これは仕方のないことで、『トリガー』はこれまでのウルトラマンの新作とは根本的に違う特徴があるのも一因だろう。副題に「NEW GENERATION TIGAが躍るように、『トリガー』はあの『ティガ』の現代版を謳っている(最近の言葉で言うとリブート)のだ。であるからにはある種の『ティガ』らしさの実装は当然求められてしかるべきであり、そうではなさげなものが見えると不安感に結びついていくのは自然な感情の動きと言える。

『ティガ』らしさとは

 最初にこのことについて私の意見を述べるが、『トリガー』が『ティガ』らしさを十全な形で再現することは不可能と思っている。これはスタッフがダメとか時期がダメとかそういう問題ではなく、あの「時代」でなければ『ティガ』は『ティガ』とならなかったと思っているからだ。ウルトラマンシリーズのTVシリーズは『80』以来15年絶えており、第1期ウルトラに感銘を受けて成長し参加したスタッフたちが自分たちが思う「ウルトラマン」を贅沢に描き出すことが出来た(これに関しては第2期・第3期ウルトラへの反発も大きい要因だったのだろう)。設定はあったがカチカチのコンセプトやシリーズ構成があったわけではないのも幸いし、『ティガ』の縦軸と横軸のバランスは今でもウルトラマンシリーズでは随一だろうと思う。『ティガ』を『ティガ』たらしめたのはこういう環境面の好影響が最も大きいだろう。
 翻って見ると、『トリガー』は『ギンガ』から数えて9作目にあたる。『ギンガ』以来ウルトラマンの制作環境は徐々に整備されており、シリーズ毎に差別化された「色」がある。スタッフも若手が参入しているが、ウルトラマンを書きたいと思って書いている人間がどれだけいるかという問題もある。脚本家には若手もいるが、もはや彼・彼女らの幼少期にはウルトラマンコンテンツの中の一つくらいの位置でしかなく、「ウルトラマンを書きたい」という思いは、傾向として平成三部作のスタッフとは比べようもないと思われる。しかし、じゃあ平成三部作のスタッフを起用すれば良いかというと、彼・彼女らも三部作での熱意を今再現することが出来るものだろうか。どうやっても『トリガー』は『ティガ』にはなれないのである。
 だが、これで終わってしまってはただの悲観論者でしかなくてどうしようもない。私としてはこれまでのニュージェネ同様『トリガー』も楽しく視聴したいと考えているので、何かしら「NEW GENERATION TIGA」の自分なりの落としどころを考えていかねばなるまい。
 過去のウルトラマンシリーズで過去作の「現代版」的な試みはなかったのか、と言うと実のところそうでもない。えっ、『トリガー』が脚光を浴びているのも『ティガ』という特定の作品の「現代版」的試みがシリーズでは初めて(とだいたいの人が思っている)だからじゃないのか?まあこれはこれでやや反則臭いのではあるが、絶えず「現代版」的な作品が作られ続けている過去作は存在する。『ウルトラマン』(初代)である。『パワード』はお話も怪獣もほとんど初代のリメイクのようなものであったし、『G』『ネオス』『ULTRAMAN』(映画・Nプロの方)もリブート作品として評価できる(もっと大きく見れば『帰ってきたウルトラマン』もそうかもしれない)。他には『ウルトラQ』や『ミラーマン』もリブート作品が作られたことがあるし、『セブン』も『ULTRASEVEN X』はこの枠かもしれない。
 『G』『パワード』『ネオス』『ULTRAMAN』がそれぞれ作品として同じではないように、リブートのあり方は様々なのであって『ティガ』→『トリガー』もそのように考えるべきなのだろう。視点を変えれば『ティガ』が初代並の作品になったということでもあり、今後『ティガ』リブート的な作品が定期的に作られウルトラマンシリーズの大きな歴史の中で『トリガー』はその嚆矢だった、ということになる可能性もある。こう考えれば、ある程度肩の力が抜けると言うか、『トリガー』に『ティガ』の多くを背負わせることもない。

『トリガー』における『ティガ』と昭和

 そこで再び考える。『トリガー』における『ティガ』らしさ、とは?
 『トリガー』における『ティガ』は『ティガ』を再演するのではなく、要素を再演するという趣向になっている。しかしてその趣向にも段階差がある。ガゾートのような『ティガ』怪獣が直接再登場するというのは『ティガ』要素そのままだが、カルミラら、カミーラたちをモデルにしたあくまで新しい闇の3巨人などは要素を受け継ぎつつリメイクに近い。ティガと同じ能力を持つトリガー本人やGUTSセレクトなどはこの「再登場」とリメイクの中間に位置している。こうして書いてみると『ティガ』らしさの取り込み方自体は特に何かがおかしいということはない。
 ただし、『トリガー』は『ティガ』要素だけで成り立っているわけではない。火星が開拓されているのは『ダイナ』要素だし、ナースデッセイ号やメトロン星人マルゥルの存在はむしろ『セブン』に傾斜している。昨今の着ぐるみの都合上、登場怪獣も『ティガ』関係だけで回すことは出来ず、すでにギマイラやグビラの登場が明かされている。この近年のニュージェネにはよくある昭和偏重的な闇鍋感がそもそも『ティガ』要素とはミスマッチと言える。文句があるとしたら実際問題としてここらへんに極まるのではないだろうか。
 登場怪獣に関してはもう致し方ないと諦めるほかない*1が、ナースデッセイ号やメトロン星人は明確に『ティガ』とは何ら関係がない…。どうしてこんなことになっているのかと考えると、ティガ怪獣が昭和怪獣に比べて著しく一般的な露出に劣っており、訴求力を欠いているからだろう。この点に関しても本来仕方ない。国民的ブームだった第一期ウルトラの怪獣と訴求力を比べられる第一期以外の怪獣は絶対数が少ない。ナースやメトロン星人より一般知名度があるティガ怪獣はまずいない。かく言う私も『ティガ』世代には属するが、昭和怪獣も普通に好きだし、『ティガ』が始まる前から彼らのソフビにも親しんでいたから、ティガ怪獣より馴染み深いかもしれない。
 ただ、前作の『ウルトラマンZ』はセブンガーという知名度が本来高くない怪獣をメインに据え成功させていた。だったらティガ怪獣でも同じ効果を演出次第で狙えたんじゃないのとも思ってしまうが、セブンガーが受けた一因に愛嬌があると考えると、ティガ怪獣は全体的にいかついと言うか、仮にセブンガーがゴブニュだったら演出が同じでも人気が出たかはだいぶ怪しい。母艦にキャラ付けして面白い、マスコットとして目を引けるという点ではティガ、引いては平成三部作怪獣はセブンガー的な適任怪獣はあまりいないと言うべきだろう。というかセブンガーが色んな点でズルいのだ。
 それはともかくとして、『ティガ』リブートでありながら昭和ウルトラ要素が入ってくる根源的な要因は『ティガ』要素のみ(この場合は怪獣)に必ずしも訴求力がないから…という問題は不可避である。この問題も根が深く、過去のニュージェネでも平成三部作怪獣をフォローしなかったわけではないのだが、わざわざ新造してまで出さない→認知されず商品価値がないままなので新造されない、の悪循環に陥っていたきらいがある。ニュージェネのスタッフも監督陣は昭和ウルトラの方に親しんだ世代が多く、着ぐるみ新造を求められるにしても新怪獣か昭和怪獣になってしまう。しかし、今後平成三部作に親しんだスタッフがメインになっていくとして平成怪獣の新造に意欲を燃やす、かなあ?私とて決められる立場になったとして、俺怪獣を出すか、怪獣を復活させるか、復活させるとして昭和か平成か、大いに迷うだろうし、だからこそ平成怪獣を復活させてしかるべきとはなかなか言えない。
 結局のところティガ怪獣、引いては平成怪獣の商品価値を徐々にでもあげていくほかない。これに関しては今年に入ってから結構な好材料がある。定番ソフビに平成三部作の怪獣が新たに追加されていることだ。玩具売場での露出!とりあえずはこれに勝るものはあるまいし、実際に平成怪獣の売り上げが数字になって現れればバンダイからの平成怪獣への目線も変わってくるに違いない。
 また、今年に入ってからの新造平成三部作怪獣はガーディー、ゾイガー、ゼルガノイドあたりは単体で完結せず他の怪獣などと関係を持たせられる怪獣がいることも重要である。今後彼らの商品価値が認められ、新しいウルトラマンに拾われるかも…となった時にシリーズを超えて使い回せたり、何かしらのレギュラー要素を売りに出来るのはお得だ。
 ぶっちゃけて言うとたとえ『トリガー』が箸にも棒にもかからない駄作で終わったとしても、上半期でこれだけソフビが出て今後それが実るかもしれない可能性が生まれただけでも、TDG25周年はすでに勝った。と言うと流石に過言だが、それくらいの迫力はあると思っている。もちろんこの企みが不発に終わり、平成怪獣不遇の流れは変わらない可能性だってあるが、可能性が示されたからには、反応していきたいですよね皆さん!?(急に読者に振るな)

f:id:hitofutamushima:20210705200217j:plain
ぶっちゃけもうこれでだいぶ本望つーか
いいや!ここまで来たらヤナカーギーやモンスアーガーまで出してもらおうじゃないか

最近のウルトラマン

 ところで、私は最近のウルトラマンコンセプト面ではそこまで評価していない。誤解してほしくはないがだから価値がないということを言っているわけではない。これまた前提として私のニュージェネ観を語らねばならないが、独自の歴史観にちょっと付き合ってほしい。
 『ギンガ』以降の9作品はたまたまだと思うが、3作ごとに区分するとシリーズの歴史を語る上ですっきりする。
 『ギンガ』はウルトラマンTVシリーズを復活させるという目論見の下始まったが、制作環境には制約が多く、そのため画面の見てくれはシリーズでも低レベルである(もちろん光るものがなかったわけではない)。話数も11話とTVシリーズでは最も少ない。それが『ギンガS』では市街地ミニチュアが導入され、とにかく画面の見てくれをハッタリ的に向上させた。『X』ではさらに進歩し、防衛チームの復活に加え独自の新怪獣も出せるようになった。話数も11話→16話→22話と増え続け、とりあえず『X』で以て現代的かつシリーズの中でも遜色ないウルトラマンの形まで持っていくことが出来た。
 その一方で『X』では防衛チーム関係の商品はあまり売れなかったようで、制作にあたっての防衛チームの意義は微妙になった。『オーブ』以降は主人公を防衛チームに属させず、防衛チームもメインにしない(ただ防衛チーム的要素がないわけではない)作風が『ジード』や『R/B』にも続いて目指されることになった。ウルトラマンは防衛チームあってこそという論者もいるが、ウルトラマンの現代化という点でこれは確かに新しく納得できる試みだったと私は思う。話数は25話で定着したが、外伝的作品が定番的に制作されていくようになったのもこの頃だったし、劇場版『R/B』ではCGでウルトラマンを描く手法も復活し、特撮面での可能性も復活させていった。
 ところが『タイガ』以降は『R/B』とは別の流れと言うか、『R/B』までの反省から内容を作るという感じがする。『オーブ』以降定着した怪獣がアイテムからの召喚獣であったり、また防衛チームがないと毎週怪獣と戦う作劇に無理を生じがちで、両立させていくと怪獣ものなのに意外と人間関係が狭くなってしまうのだ。そこで『タイガ』は明確に怪獣を野生のものとして描こうとしたし、防衛チーム的なものも復活させた。『Z』では防衛チームも復活、召喚獣扱いの怪獣はほとんどいなくなり、『トリガー』の現状の情報ではこの流れを継承している。もちろん『オーブ』~『R/B』における流れが全て成功していたわけではないので、反省からのやっぱり伝統的なものの方が良いんじゃ?となるのは全くおかしくない。しかし個人的には『オーブ』~『R/B』でそれまでのウルトラマンになかったことを世界観や設定から再構築しようとしていたことに比べると、単なる復古という感触が否めない。
 これに輪をかけるのが主役ウルトラマンが「タロウの息子」「ゼロの弟子」「ティガのリブート」と過去の人気ウルトラマンの縁者で成り立っていることである。スタッフの参加経緯などを聞いていると、こちらは企画段階から決まっている要素らしいが…。これに関しては、縁者要素がキャッチコピーに留まり、シリーズ内ではそこまで膨らんでいかないことにも問題がある。もちろん過去に私も述べたように、そのウルトラマンはそのウルトラマン本人であって、過去のウルトラマンの不随物ではないのだから、新しい物語を紡ぐのは間違っていない。しかし一方では、単に絡みが設定面に留まってしまうのなら、キャッチコピーから入った視聴者にはギャップが生まれるのは避けられないし、であればそもそも要らないのでは?ともなってしまう*2
 そういうわけで、私が評価していないコンセプト面というのは結局「過去人気作に肖りつつも利用はあまりしないどっちらけな態度で、内容としてもシリーズのフォーマットを再構築するのではなく再生させようとしている」面を指す。こう言うのが正しいかはわからないが、『ギンガ』~『X』でウルトラマンの陣営を整え、『オーブ』~『R/B』で現代化を図っていたのが、『タイガ』以降はコンセプト面での進歩がないイメージなのである(返す返す言うが『タイガ』以降に進歩が見られないということではない)。企画の見てくれに「今だからこれをやれるウルトラマン!」「今のウルトラマンはこんなのやってるのか!」力が足りていないと言うか…。『ギンガ』以降9作ともなってみると、やはり制作陣も疲弊しており、毎年毎年そんな新しいウルトラマンのアイデアなんてほいほい出せねーよって気もして、そういった面の反映でもあるのかもしれない。
 『トリガー』の企画も「新しいコンセプトのウルトラマン」としてはワクワクしないのは変わらない(しつこく言うがだから楽しまないわけじゃないぞ)。まあ『トリガー』は放送前なので、蓋を開けてみたらまたコンセプト面での評価が変わる可能性はある。上記3作サイクルが本当にあるとしたら、次はまた趣が変わっていくかもしれない。今ここで私が何か言ってどうにかなるものでもないが、「このままウルトラマンをダラダラ続けていくだけでいいんですか?」とは言っておきたい(ウルトラマンがダラダラ続くこと自体が歴史上初めてだし、過去の空白期間を思えばダラダラ続けていくことに意義があるのも言うまでもない。誤読してほしくないからだけど、この項目予防線張りまくってるみたいになってないか?*3)。

まとめ

 かなり雑駁になったが、言ったこととしては次の通り。

  • ウルトラマントリガー』の『ティガ』に対する位置は、初代マンへの『G』や『パワード』的に見よう
  • 『トリガー』に昭和要素が混じるのは仕方ないので今年から本格的に平成怪獣需要をあげていこうじゃないか
  • それはそれとして今後ウルトラをダラダラ続けていっていいのか!?

 『トリガー』は正直不安がないと言うと嘘にはなるが、ウルトラマンシリーズの歴史における一種のターニングポイントになることを期待していきたい。スマイルスマイル*4

*1:ちなみに旧作怪獣の登場自体が『ティガ』リブートとして不適格という感覚もあるが、これに関しては個人的には微妙だと思っている。『ティガ』の時代は新怪獣を出すことが所与かつ自明の理で、旧作怪獣との差別化もそこまで意識されてなかった。『ティガ』に旧作怪獣が全く出なかったのは単に環境面が恵まれていたからで、『ティガ』らしさを怪獣面から演出しようとする意図がそこまであったのかは何とも言えない。『ティガ』に関するスタッフの言説は色々あるが「俺の回のこの怪獣をバルタン星人やゴモラより人気にしてやるぜ!」的な話は聞いたことないし。

*2:シリーズ内でも触れないということはないし、最近はライブやファイトといったTVシリーズ外の媒体で結構フォローしていたりもするので不要という点は上手に回避している

*3:論文の注が「私はわかってますよ」アピールであることに似ているかもしれない

*4:『トリガー』の雰囲気としてはとにかく楽しめることを推していく気がしているので、私としてもそれに沿うように視聴したいと思っている