志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

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【ネタバレ有】綾辻行人・館シリーズ感想

 去年からミステリーを読んでいるわけだ(下記ポアロ記事参照)が、シリーズで読んだりつまみ食いしたりで無軌道な読み方をしている。そんな中、最近ミステリーにハマっていることを聞きつけた人から年初に『時計館の殺人』をとにかく読めと押し付けられた。『時計館の殺人』…その時にこれは『十角館の殺人』にはじまる、いわゆる館シリーズの1作であると教えられ、『時計館』は5作目に当たるが単体で読んでもOKとのことだった。しかしだなあ、シリーズの5作目だけつまみ食いはちょっと収まりが悪い。そして『十角館』については「どんでん返し」の傑作として「あれはすごい」ということは聞き及んでおり、いつか読まねばとは思っていた。ならば、今がその時なのではないか(人生には時機があるということは以前にも話した)。館シリーズ、全部読んでみようじゃないか!10作程度との話なので記事に書き残す分としても丁度いいだろうし。

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※注意!この記事は推理小説についてネタバレ配慮はありません!未読でこれから読もうとするお方は読まないことをお勧めします!

時計館の殺人(1991)

 推理小説のパターンとして「完璧なアリバイを持つ人物が犯人」というものがある。そりゃ犯人っぽい奴がそのまんま犯人なら、探偵役が出張る必要もないし、物語的なカタルシスもないからな。なので、推理小説を読むときも、これを念頭にどうやってアリバイを崩せるのかを考えながら読んでいるし、それが推理小説において最も王道な読者と作者の対決だとも思う。
 そういうわけで『時計館』も紗世子さんが犯人で、時計館の大仕掛けも時間を弄ることだと予想はついた。補聴器なんていかにも盗聴器だし、犯人とされた由季弥が自殺したという証言も紗世子さん頼みだしトドメにわざわざ完璧なアリバイを示す時間表すら出てきた。時計館の仕掛けも時間が1.2倍速であることまで特定はできなかったが、閉じ込められた人間たちの「あと〇時間か…」や、唯一生存した江南くんが暗室に閉じ込められていたのも時間感覚を狂わせる気マンマンでわかりやすすぎる。キーとなる永遠の死と落とし穴は無関係というのも、いつまで経っても特定の日時の話が出てこないので実はそうでもないのは読めるし、評価が高い割に素直すぎる推理小説ではあった。
 正直に言うとハードルを上げていたのもあってやや消化不良な点もあった。由季弥は実は正気なのではないかという鹿谷の見立てもあまり意味がないまま殺されてしまって、ただの狂人だということになってしまったし、永遠の死から続く関係者の死も紗世子の娘さんの死→酒浸りになった夫が事故死以外は因果関係らしい因果関係もない単なる偶然だった。そこに仕掛けはないのか…。殺意と時計館の仕掛けが別物というのも一つのギミックではあるが、それだけに見えない連関が収束する気持ちよさはなかった。

十角館の殺人(1987)

 変則的な読み順となったが、やはり最初を読まないことには始まらないだろう。どんでん返しの傑作と聞いていたのでハードルはしっかり上げて臨んだが…うん?あれ?そう…。
 初読の感想は意外と微妙なものになってしまった。これは私が考える推理小説の「どんでん返し」パターンから微妙に外れていたからだ。大いなる謎があって、探偵役がそれを解き明かすカタルシス。「どんでん返し」というのは、探偵役が真相を明かすことによるインパクトによって発生する…そう思い込んでいた。しかるに『十角館』はいわゆる「伝説の一行」、犯人が自分の正体を明かす台詞一つが「どんでん返し」の肝だが、それは読者にとってのインパクトにすぎない。その後の真相提示も犯人の独白で進んでしまい、ついに最後まで探偵役が真相を開陳することはない。
 そもそも―これは『時計館』を先に読んだ弊害も大きいが―「伝説の一行」自体はある程度読めてしまっていた。コードネームで読み合うミステリ研究会の関係性、アリバイがあるようでよく考えたら空白が多すぎる守須くんのコードネームが全く明かされない(正直守須だからルブランなんだろ?とか自然に考えることすらなかった)、ここにからくりがあるのは予想がつく。いや、本土側の島田と江南が『時計館』にも登場して犯人ではない以上、明確に怪しげなのは守須だけである。もちろんだからと言ってヴァンだとまで特定できたわけではないが、実際にそうだと言われてもそうだろうなとは思えてしまう範疇だった。
 なので、私が考えていた「どんでん返し」タイプのミステリーとしては正直期待外れだった。一方で、犯人の心情を語る小説としては読み直すとよく出来ている。犯人はラストで自分の犯行計画を記したガラス瓶の漂着を知り、敗北を認めるが、それが決定打なのは間違いないものの、半分はそれ以前に「落ちて」いたように思われる。守須くんが中村青司犯人説に反駁する中で殺意を保持し続ける辛さを語るのも、中盤に叙述トリックとしてヴァンが疲れ果てて、アガサの死体を見て悲鳴を上げるのも、連続殺人を成し遂げることへの犯人の精神的苦痛を語っている。千織が微笑んでくれなかった彼にとって、犯行と殺意の記憶を独りで保持したまま生き続けられるとは思われない。ラストは犯人への「救い」とも言えるだろう。そういう点で「どんでん返し」とは全く違うところで『十角館』は好きな作品になった。
 ところで、この話の設定年代は1985年で、学生がタバコ吸いまくってるのはともかくとして、下級生(たぶん未成年)に無理矢理酒を飲ませて事故死させたのに、その場のメンツほぼ全員が有責感を覚えていないのすごいっすね。しかもミステリー研究会の面々は良く言えば癖が強い、悪く言えば社会不適合的というか、オタクというか、今風に言えば陰キャというか、そんなキャラ付けが集っている。にも関わらず、アルハラをかまして死人を出しながらそれについて特に感想もないという…。平成キッズのおれからしたら何も理解できん…。昭和に生まれなくて良かった~~~、としみじみ思う。
 あと、本作は新本格の先駆けとなったという歴史的評価があるらしく、エラリイくんも推理小説は読者と作者の推理バトル以外いらんのやで~とかほざいているのが象徴的ということらしい。その割にエラリイくんは終盤の犯人当てでは、犯人候補のトラウマ系過去をほじくって当てようとしてしまう。そういうとこだぞ。ちゃんと筋道だって考えていたら殺されなかっただろうになあ、とか皮肉的に思ったりもする。

水車館の殺人(1988)

 2作目にしてすごく真っ当な推理小説。孤立した洋館、顔のない死体、マスクをした男―コテコテだ!しかもだいたいそのネタのある種の王道通りに展開していくので、単純な満足度は高い。ただ…やっぱりラストは気になるよな。いくら藤沼一成が幻視者だからと言っても、本当に幻視してしまったらそれはただのオカルトにすぎないわけで。紀一が水車館を建てたこと自体は絵の方が先で、絵を再現したのだから平仄が合って当然なのだが、それだけに薬指が欠けた男が描かれているのは「幻視」というよりホラーのためのご都合主義のように思えてしまう。というか、これだと紀一本人が「薬指が欠けた男」だけ足りてないと思ってしまわないか。最後の力で紀一が隠された絵に辿り着きこと切れていたというオチは良いので、紀一が「幻視」を完成させるために描き加えたの方が「理屈」としては納得できたかも(そこまでの体力があるなら他に行動することあるやろってツッコミはあるけど)。

迷路館の殺人(1988)

 あーはいはい、宮垣葉太郎の自殺は狂言で死人の枠にいることを利用して連続殺人してたのね。ほらやっぱり!の一方で、小説内小説の仕掛けは見抜けませんでした。あと、『時計館』を先に読んでたので鹿谷は誰だ!?クイズできなかったのは少しもったいなかったかも(このせいでプロローグ・エピローグの島田も「下の名前が出てこないから潔じゃないんだろうな」と予想が付いた)。もっとも小説内小説は「犯人にだけわかるメッセージ」として機能しているので、読者に謎解きできるわけないだろとは思うが…。いや実は少しは考えたんすよ。血を隠すための血で鼻血の可能性さえ疑うのならなぜ経血の話題は出ないのかと。その時は流石にミステリーといえど無茶な発想かと納得していたのにまさかいい線突いていたとはね(ちなみに母に聞いてみたところ、経血がそんな落ち方するわけないだろとのことでした。トリック否定されてるじゃん)。

人形館の殺人(1989)

 あっはっはっは!こりゃあ一本取られたわ。
 語り手の精神が不安定な上に、その中で犯人の意志も記されている―この時点で語り手=犯人で二重人格なのは予想がつく。さらに目次を見るとプロローグ・エピローグともに島田潔からの手紙となっており、島田本人は外から事件を解明するだけで中身には出てこないのだろうと思った。そう思って読み進めると、電話越しに島田が登場し、終章では島田を名乗る男さえ登場して大いに混乱させられたが…。いやいやいや、最初の予想全部合ってるじゃないか!まさかの探偵役まで語り手=犯人の多重人格の一つとは…。いや、終章もおかしいのはわかっていた。人形館の見取り図的に下に続いていく抜け道があるわけないのにあるように書かれていることそれ自体が変である。叙述トリックでさえない幻想とはな。それにしても想一さん、島田のエミュめっちゃ上手くない?多重人格で探偵役も生み出したとはいえ、「想一」の思いもかけない発想をもたらしてくれていたのも間違いないのですっかり「想一」とは別人だと思い込んでしまった(いや「別人格」ではあるんだけど)。
 正直、この作品はだいぶバカミスだと思うのだが、嫌いにもなれない。シリーズの「4作目」として完成されている作品としてはこれまでの人生で色んなシリーズものを見てきた中でもベストかもしれない。「館は中村青司に関係する」「探偵役は島田(鹿谷)」と思い込んだところで満を持して覆してくる。ミステリーとしての完成度がそこまで高くないのも、4番目の気楽さ的なものに合致している。シリーズで読む順番が自由なものもあるものの、この作品だけは決まって4作目に読みたいものである(まあかく言う私は『時計館』スタートなので「5作目」に読んでいるわけだが)。

黒猫館の殺人(1992)

 推理小説は作者と読者の謎解きバトル…という観点からすると、バトルをする間もなくすっと読んでしまって我ながら惜しい。話の構成が、記憶喪失の人物の手記と現在進行形の鹿谷・江南推理パートが交互にあるタイプなので、手記の内容に違和感は覚えつつも材料が足りないから保留していたら、いつの間にか鹿谷の真相解明まで全部読み終わっていたというところ。黒猫館があるのは北海道ではないのではないかとは漠然と感じていたのだが、じゃあどこだを考えるより前にタスマニア島でしたー!がバレてしまった。実は館が2つあり、空間的にかなり離れているというトリックネタはインパクトがあっただけに消化不良、かなあ。ちなみに天羽辰也=鮎田冬馬はすぐわかった、というよりそりゃそうじゃとしか言いようがないし…。
 それにしても良識人に見えて「理性の支配下なら仲間を殺してもOK」(正確には理性外で自分が殺人者である可能性があるよりはマシ、だが)な氷川はだいぶヤバい。

暗黒館の殺人(2004)

 長い。
 ぶっちゃけて言うと長さに見合った面白さはなかった。浦登家の因習は壮大なレッドへリングでしかない上、推理できるはずもない長大設定開示でしかないのでここらへんはただただダラダラしていた。
 それらを飲み込んだうえで推理小説としてはまあまあ。「空間超越をやったので今度は時間超越をしたい」「江南くんを犯人にしたい」「夢オチ」といった、本作で著者がやりたいと思ったであろうネタの昇華としては上手にやっていた。ちなみに時間軸が実は昔であるというのは予想できませんでした…。いや江南が犯人なのも薄々可能性を考えつつも懐疑的だったし、主要人物の入れ替わりについても想定の範囲外だったので相変わらずガンガン負けてはいるのだが…(18年前の事件で玄児が目撃した謎の人物は鏡に反射した自分の姿で、犯人は柳士郎は全部当たりました)。
 正直言うと、この手の推理小説で因習やらオカルト現象やらがいくら起きても怖くはない。推理小説である以上、トリックはロジカルなものであり、因習の効果もオカルトも基本的に否定される非実在現象にすぎないからだ。もちろん怪奇現象には相応にビビりつつ読んではいるが、それでもそれらが解明されることにカタルシスが見込めるからこそ怯えられるという側面もある。それだけに本作のラストは『水車館』からさらに突っ込んだ怪奇で終わっていて、個人的にはなかなか…。ただ、昔の事件の話も読者に示されるのは江南くんの「夢」を通じてでしかないので、ある種の逃げはあるのだが(本当に玄遥が死ねないまま徘徊しているのかは誰も「確定」はしていない)。それでもいまいち寝覚めが悪いオチなのは間違いない。
 一方で、ズルいよな~~~。無駄に長大で江南くんの「夢オチ」的要素も多分にあるのに「中也君」の正体のおかげでシリーズである意味最重要な位置付けがなされている。そりゃ、館シリーズのある種のベースを説明するためなら、こんだけ長くなるし、浦登家の因習は大きな意味を持ってくるわけだ。ひょっとして中村青司が娘の千織の死を契機に一家心中したのも、千織が死んだことで浦登家の「血」を継いでない→妻の不義を確信、だったりするんでしょうかね。

びっくり館の殺人(2006)

 ミステリーのシリーズといえばジュブナイルものは伝統的について回る。しかし館シリーズにもあるのは驚きだ。本当に何でもやるつもりか。
 内容としては子供にも読めるということで怪奇色や謎の深淵度合は薄め。一方で、実写化したら基本的にバレバレなどんでん返しは本作でも健在。正直これは驚いた。語り手の素性的にも叙述トリックはなさそうだし、単なる謎解きだと思っていたら、犯人が明らかになることで、犯人が誰だかわからなくなる転換!本作では館シリーズながら、建物のギミックはそこまで関わらず、物足りなさはある(びっくり館自体がデカいびっくり箱である、というのが案止まりなのはもったいない)のだが、それだけに「犯人の謎」がじわりじわりと重く、子供向けとして優れた塩梅に思える。
 個人的にこの作品で好きなのは、子供が主人公なだけあって「大人への反発」がうっすらと、しかも巧みに雰囲気として底流していること。語り手の三知也は兄をいじめの末の自殺で亡くし、それが原因で父母は離婚して父と二人暮らしで、表面上は父に従っているが、俊生と仲良くなるのもびっくり館に入り浸るのも殺人犯を隠蔽するのも、おおよそ全て父への反発行動に見える。彼らの仲間に加わることを許される新名さんは大学生でギリギリ「大人」ではなかったが、事件の後に別件で死去してしまう(正直これも本当に事故死なのか疑う余地はある)。そもそも描かれる殺人自体が「親殺し」でもあり、どこまでも子供目線がある。しかし、ぞっとする真相は子供であることの危険性を如実に描き出す。ジュブナイルと言ってもこの二面性を描くことに、子供向けでありながら大人も読める価値があると思う。

奇面館の殺人(2012)

 ええっ?驚いた!
 何がって、館シリーズなのに構成がめちゃくちゃ普通なのである。『十角館』は本格を謳ってたのに、探偵役による真相解明ドーンはないの?と宣うた感想も今は昔。今回鹿谷がずっと探偵役で推理してるし、犯人を最後の最後までその真相解明で追い詰める!怪奇要素も薄いし、「どんでん返し」はあるものの世界がひっくり返るというほどでもなく、実写化の難しさもさほどではない。殺人も一件しか起こらない(割に上下巻構成ではあるが)。館シリーズも9作目なのにこんな普通でいいんだろうか。ここまで館シリーズについては色々文句も付けてきたが、いざすっと飲み込める話が来たら物足りないなんて身勝手とは思わんかね?
 もっとも、ミステリーとしてレベルが低いなんてことはなく、もはや怪奇小説になっていた『暗黒館』に比べるとかなり真っ当である。ぶっちゃけると犯人当てクイズとしてはまたも敗北している…。確かに集まった客の「本名」が一切出ないのはおかしいとは思っていたが、そういう仕掛けだとは。鹿谷が人間を偽って参加している、ということが読者へはブラフになっていてそこは一本取られた。登場人物に光秀と長宗我部がいたのも無駄に戦国武将を意識してしまって考えを全然違うところに飛ばされてしまった。
 一方でエピローグは一言で言うと蛇足のように見える。『迷路館』のように真の真相が明らかになるというわけでもなく、それどころかだいぶメタ視点が入っている。この話を小説化するのは骨だなあとか、怪奇的視線を鹿谷が否定したり、ペンネームの由来を語ったり…「本筋」とは何の関係もない。これは100%こちらの想像だが、作品に対してメタ的に言い訳しているようなエピローグは作者の「照れ」を読み取ってしまう。本格ものをあえてまた書いてみたところ、若い頃は「これでいいんだ!」と突っ切れても、年を取ると「いやー無理があるけどこうなんですよ」と言うことで完璧を目指したい、というような…。思えば、ホームズやポアロでもこの手の作者の意識が作中に顔を出すことはあった(オリヴァ夫人が不満をぶちまけるというような)。館シリーズには何でもあるが、今回のエピローグはそのようなシリーズ後半にありがちなメタ意識表出の再現とでも言うべきものなのかもしれない。

おまけ 霧越邸殺人事件(1990)

 中村青司建築ではないが館シリーズの外伝的作品。こっちにも「どんでん返し」的仕掛けは健在だが、大きく異なるのは館シリーズには実写化したら即バレするような仕掛けがあるのに対し、霧越邸には世界観が反転するような大仕掛けはないこと。そういう意味では普通の(?)推理小説と言える。
 さて犯人当て勝負としてはそこそこ…といったところ。アリバイがある方が真犯人というのはミステリーの鉄則なので、まず最初の事件で怪しいのは語り手の「私」と槍中、甲斐に絞られる(第3の被害者になるまでは深月も怪しいと思っていたが)。そして、これは結果的に外れていたのだが、名前に何かしらの意味を持たせているという作風からして、カインに準えられた甲斐は臭いと睨んでいた(『そして誰もいなくなった』『カーテン』の影響ですね)。そもそも「私」と槍中が図書室に籠る中で甲斐だけが深入りするまでもなく、ただ「いる」ことでアリバイを作っているのも恣意的だし、外が大吹雪なんて体温変化による死亡時間計測を狂わせろと言わんばかりだ。なので甲斐が第4の被害者になった時は混乱したが、第一幕の犯人は紛うことなく甲斐だったので安心した。
 そして槍中。『黒猫館』の氷川を見た後だったので、まあ…深月を殺すとしたらこいつだろうというのは腑に落ちた。探偵役が犯人というのもありがちと言えばありがちでもあるし。ただ、劇団の名前の頭文字を揃えたら槍中秋清になるとかそんなのわかるわけねーだろ!まあ非常にわかりやすいカナリヤでさえ気付かなかったのだが。
 そういうわけで驚きという点ではそこまでだったが、上質なミステリーとして楽しめた。エピローグで霧越邸が消えていたのも作風としては怖がらせようとしているのかもしれないが、正直住人が住人とはいえ5人も死んだ家にそのまんま暮らし続けられるわけないよねと思えるからセーフです(お金持ちなんだしそれっぽい別荘は他にも持っていて霧越邸からは引き払っただけ説)。個人的にミステリーは怪奇要素を理屈で粉砕するものだと思っているので、無粋な自覚はあるが理屈付けられるラストの方が性には合っている。あと、『時計館』の由季弥は消化不良だったので、本作の「怪しい少年」の扱い方は良かった(発表時系列的には『時計館』の方が後なので『時計館』の方が同じオチを避けたのだろうが)。

まとめにかえて―館シリーズの奥深さ

 予想以上に楽しめた。同一作者のシリーズものであるからには、同じような方向性であったり、世界観の共有によってレギュラー人物の関係性が変わっていく「大きな流れ」があるとかそういう共通項があるのだと漠然と考えていたように思うが、館シリーズは違っていた。そりゃ探偵役の島田が作家デビューして鹿谷になるくらいの変化はあるが、江南くんがサブキャラなのも『十角館』『時計館』『黒猫館』の3作くらいで何かしら成長を遂げるわけでもない。共通項として存在するのは「どんでん返し」という一点で、それ以外は登場人物もメインとなる館の構造も自由―中村青司無関係の館さえある自由ぶり!シリーズなのに一話完結的ながら、ミステリーのイロハも抑えながら、外してもくるという幅の広さ。ところどころの怪しさはあるものの「本格」と言ってもいいのだろう。
 こうしたバラエティ感という意味ではやはり『人形館の殺人』は外せないだろう。メインの館が中村青司関係ナシ!探偵役の島田登場せず!ずーーーっと犯人が一人芝居してました!シリーズが軌道に乗って来た4作目でこれが来るのが何度考えてもすごい。単体だとなんてことはない話のはずだが、シリーズの1作として見るとこういう作品があるだけで豊かな印象になる。
 その上で好きな1作を決めるなら…『十角館』だろうか。しかし、これはミステリーとして優れているから、ではない。各巻感想の繰り返しになるが、『十角館』には探偵が難事件を解決するカタルシスはないからだ。ただし、犯人の心情描写―犯罪というある種の挑戦からの疲弊と最終的な敗北。その流れがとても綺麗だし共感できる(まさか今時分アルハラ非難に共感性が高まるのは守須くんにとっても想定外だろう)。「新本格」の幕開けとなった作品に対して、本格ミステリーではなく心情描写が良かったから好きというのもだいぶ皮肉的なものだが仕方ない。
 さて、館シリーズは全10作と予告されており、最終作『双子館の殺人』が2023年から連載開始されたようだ。もっとも、その後休載で止まっているらしく、内容についてほとんど情報は流れてきていない。そういうわけで現時点では感想の代わりに予想と期待を書いておきたい。
 もちろん最終作であることを気負わずに館シリーズの単なる1作、それこそ『双子館』を最初に読んでもいいような作品であるかもしれない。しかし、最終作であるからには期待したいのは最終作となる意義だろう。実は『十角館』以来気になっているのは中村青司の心中事件の真相である。いや、『十角館』の中で真相自体は推測されていてその妥当性も明らかにはなっているが、1作品だけならそれで良くても中村青司の相貌が増えたシリーズものとなっては、単純に妻も使用人も殺し隠し部屋であえて謎を残す精神状態にそれ以上突っ込まないのは逆に不気味さを感じてしまうのだ。その点で言うと『暗黒館』は示唆的というか、中村青司に「不死性」を明確に付与していて、一気に見え方が変わる余地を作ってきている。それは果たして伏線なのか、最終的に回収されるものなのか、わからないけれども「中村青司」とその死に対して、『十角館』を越えた結論は改めて欲しいと感じている。『双子館』の上梓がいつになるやらわからないが、現時点で館シリーズを読んで良かったと思っているので最後までお付き合いしたいものである。