いきなり個人的な昔話を語って申し訳ないが、私が「三好三人衆」を知ったのは小学4年生の頃であった。学研だったかの教材に三英傑が主人公の歴史漫画が掲載されており、織田信長の上洛戦の時に「松永久秀と三好三人衆が将軍を暗殺した」という下りがあったのが、最初の出会いとも言い得るものである(ちなみに久秀は髭面の悪人顔で三好三人衆は全員シルエット登場だった)。まあそれはともかくとして名前が出てる松永久秀はともかく三好三人衆って誰だよと思うと、コマの外に(三好三人衆…三好長逸、三好政康、岩成友通)とあった。ちなみに三好長逸というのは「ながゆき」とされることもあるが「ながやす」と読むのが正しいし、三好政康とされる人物の実名は政勝→政生で政康というのは間違い、岩成も石成と書くのが穏当である(←早口で言えれば君も三好マスターだ!)。それはともかく、この名前の並びを見て私は、と言うか誰でも初見時には感じると思うが「そうか、三好三人衆は三好名字の三人が…って岩成って何だよ!?」と思ったのである。そもそも岩成ってそんな名字聞いたことがない…*1。石成友通を「謎の人物」と見なしてしまうには足りる情報量だった。
そして、実際の石成友通も意外とヴェールに包まれた人物であった。本記事がそのような石成友通の実像に近づければ幸いである。
- 姓名と謎の出自
- 石成友通の登場
- 三好政権の中の石成友通
- 三好三人衆の一人・石成友通
- 三好三人衆の没落と反攻
- 最後の山城守護・石成長信
- 石成友通とは何だったのか
- 付録 元亀3年(1572)石成長信関係史料
- おまけ
- 参考文献・論文
*1:令和2年現在岩成姓の人は1200人ほどいるらしい